八坂神社・花街散策コース(祇園東・祇園甲部・辰巳大明神)

八坂神社見どころ

八坂神社・花街散策コース

八坂神社・花街散策コースは祇園祭を行う八坂神社と花街(祇園東・祇園甲部・宮川町・先斗町)を結ぶ散策コースです。ちなみに祇園祭の名称や祇園の地名は「祇園さん」とも言われる八坂神社に由来しています。八坂神社から最も東側にある花街・先斗町までは距離が約2.4キロあり、徒歩で約30分掛かります。八坂神社から先斗町までは起伏があまりなく、比較的楽に散策することができます。八坂神社・花街散策コース周辺には祇園東・祇園甲部・辰巳大明神・建仁寺・安井金比羅宮・恵美須神社・宮川町・先斗町などがあります。祇園や宮川町には京都情緒が漂う街並みにが残されています。また飲食店などもあり、飲食を楽しむことができます。なお花街で舞妓・芸妓に出会った場合、マナーを守りましょう。

【八坂神社・花街散策コース】

【八坂神社(やさかじんじゃ) 概要】

八坂神社は起源が明確ではありません。八坂神社は656年(斉明天皇2年)に高麗から来日した伊利之使主が新羅・牛頭山に座した素戔嗚尊を山城八坂郷に祀ったのが起源とも、876年(貞観18年)に南都の僧・円如が堂を建立して薬師千手等の像を祀り、その後天神が東山の麓・祇園林に垂跡したのが起源とも言われています。また829年(天長6年)に紀百継が山城八坂郷丘一処を賜り、神の祭祀を行ったのが感神院の起源とも言われています。その後869年(貞観11年)に流行した疫病を鎮める御霊会が神泉苑で行われ、祇園祭の起源と言われ、970年(天禄元年)からは毎年行われるようになりました。995年(長徳元年)に王城鎮護の社として二十一社(二十二社)に列せられました。八坂神社はかつて感神院・祇園社と言われました。
京都・八坂神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)八坂神社見どころ

【祇園東(ぎおんひがし) 概要】

祇園東は京都五花街に数えられる花街で、例年秋に祇園をどりを行っています。祇園東は祇園甲部とともに江戸時代初期に八坂神社の門前で営業していた水茶屋とそこで働く茶点て女が起源と言われています。京都所司代・板倉重宗が茶点て女を置くことを許可し、八坂神社の門前の茶屋町を「祇園町」と言うようになりました。明治時代に祇園甲部から分離独立し、四条花見小路北東部が祇園乙部と言われたが、戦後に祇園東新地、その後祇園東に名称を変更しました。
祇園東(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

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【祇園甲部(ぎおんこうぶ) 概要】

祇園甲部は京都五花街に数えられる花街で、例年春に都をどりを行っています。祇園甲部は京都五花街の中で最大の花街と言われています。祇園甲部は祇園東とともに江戸時代初期に八坂神社の門前で営業していた水茶屋とそこで働く茶点て女が起源と言われています。京都所司代・板倉重宗が茶点て女を置くことを許可し、八坂神社の門前の茶屋町を「祇園町」と言うようになりました。
祇園甲部(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【辰巳大明神(たつみだいみょうじん) 概要】

辰巳大明神は祇園の芸妓・舞妓が技芸上達の為に信仰し、祇園のお稲荷さんとも言われています。辰巳大明神は起源は明確ではありません。辰巳大明神は南東の守護の為に京都御所の南東(辰巳)に祀られて辰巳神社と言われたのが起源とも、巽橋に棲んで芸舞妓などを誑かす悪戯を働いていた狸が悪戯をしないことを約束したことから狸を祀ったのが起源とも言われています。辰巳大明神はかつて巽橋畔や新橋の上に祀られていたが、戦中の建物疎開によって現在の場所に移されたと言われています。
辰巳大明神(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【建仁寺(けんにんじ) 概要】

建仁寺は1202年(建仁2年)に鎌倉幕府2代将軍・源頼家が寺域を寄進し、栄西禅師が宋(中国)・百丈山を模して創建しました。土御門天皇の勅許により、禅寺初の年号寺・建仁寺になりました。当初、真言・止観の二院を構え、天台・密教・禅の三宗兼学の道場でした。その後火災などで荒廃し、1258年(正嘉元年)に東福寺開山である聖一国師・円爾が再興しました。1262年(弘長2年)に蘭渓道隆が入寺して禅の道場に改められました。室町時代に京都五山に列せられました。その後天正年間に安国寺恵瓊が方丈・仏殿を移築して再建し、江戸時代に江戸幕府の保護によって伽藍が再建されました。建仁寺の境内の一部は現在、花街である祇園の敷地になっています。
建仁寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう) 概要】

安井金比羅宮は飛鳥時代に藤原鎌足が藤原氏の繁栄を祈願する一堂を建立し、藤を植えた藤寺が起源と言われています。平安時代に崇徳天皇が藤を愛でる為に度々行幸したと言われています。1177年(治承元年)に大円法師が参拝した際に崇徳天皇の霊が現れた為、後白河法皇の詔によって光明院観勝寺が建立されました。その後応仁の乱で荒廃し、1695年(元禄8年)に太秦安井から蓮華光院がこの地に移され、鎮守として崇徳天皇に加え、讃岐・金刀比羅宮から勧請した大物主神・源頼政が祀られました。明治維新後の廃仏毀釈で蓮華光院が廃寺になり、安井神社に社名を改め、更に安井金比羅宮に改めました。
安井金比羅宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)安井金比羅宮見どころ

【恵美須神社(えびすじんじゃ) 概要】

恵美須神社は1202年(建仁2年)に建仁寺開山・栄西禅師が建仁寺を創建した際、建仁寺の鎮守として創建されたと言われています。応仁の乱で建仁寺が焼失し、その後再建された際に現在の場所に移ったと言われています。ゑびす信仰の象徴である福笹は恵美須神社独自の「御札」の形態が広く広まったものと言われています。十日ゑびす大祭では祇園甲部・宮川町の舞妓が福笹を授与することがあります。
恵美須神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【宮川町(みやがわちょう) 概要】

宮川町は京都五花街に数えられる花街で、例年春に京おどりを行っています。宮川町は江戸時代に出雲・阿国の歌舞伎踊りが人気になった頃が起源と言われています。宮川町は歌舞伎発祥の地とも言われています。宮川町の地名は京都三大祭りに数えられる祇園祭の際、神輿洗いが行われる鴨川を宮川と言ったことに由来すると言われています。宮川町では当初、遊女などが接待していたが、江戸時代の三大改革によって打撃を受けました。1999年(平成11年)宮川筋3丁目から6丁目の一部は京都市の祇園町南歴史的景観保全修景地区に指定されました。
宮川町(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【先斗町(ぽんとちょう) 概要】

先斗町は京都五花街に数えられる花街で、例年春に鴨川をどりを行っています。先斗町は江戸時代初期に鴨川の州を埋め立て、茶屋や旅籠が置かれたのが始まりと言われています。その後度々取り締りを受けたが、川端二条にあった二条新地の出店に認められました。1870年(明治3年)に二条新町から独立しました。先斗町の地名はポルトガル語のponto(先)が語源とも言われています。また先斗町が鴨川と高瀬川の2本の川に挟まれていることから2枚の皮に挟まれている鼓に例えられ、鼓の「ポン」と鳴る音に掛けたとも言われています。更に高瀬川を行きかう高瀬舟の船頭衆のせんど丁に由来するとも言われています。
先斗町(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【八坂神社・花街散策コース 備考】
散策コースではグーグルマップを使用して、スポットを紹介しています。

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