千本ゑんま堂小野篁忌(日程・時間・・・)
千本ゑんま堂小野篁忌
千本ゑんま堂小野篁忌2015(日程時間・・・)を紹介しています。小野篁忌は例年12月23日に行われます。小野篁忌では柴燈護摩供と餅つきが行われます。柴燈護摩供の残り火でもち米を蒸して餅つきを行います。なお小野篁などの小野氏の祭神は日本で初めて餅つきをした米餅搗大使主命(たがねつきおほおみのみこと)とも言われています。
【千本ゑんま堂小野篁忌2015 日程時間(要確認)】
千本ゑんま堂小野篁忌2015は2015年12月23日(水曜日)11:00から行われます。
【千本ゑんま堂小野篁忌2015 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区千本通鞍馬口下ル閻魔前町34
最寄り駅・バス停・・・乾隆校前(徒歩約2分)、千本鞍馬口(徒歩約2分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは206系統(A3乗り場)
*四条河原町からは46系統、59系統
*四条烏丸からは46系統
*河原町丸太町からは59系統
路線・時刻表・運賃チェック
【千本ゑんま堂小野篁忌 歴史・簡単概要】
千本ゑんま堂小野篁忌(おののたかむらき)は852年(仁寿2年)12月22日(新暦の853年2月3日)に亡くなったとされる小野篁を偲ぶ行事です。小野篁忌では柴燈護摩供と餅つき(もち搗き)が行われます。柴燈護摩供では山伏による法斧の儀・法剣の儀・法弓矢の儀などが行われ、護摩壇で護摩木を焚き上げます。その後餅つきが行われます。餅つきでは柴燈護摩供の残り火でもち米を蒸すそうです。千本ゑんま堂では閻魔さまに供える鏡餅や信者に配る丸餅を作るそうです。なお小野篁などの小野氏の祭神は日本で初めて餅つきをした米餅搗大使主命(たがねつきおほおみのみこと)とも言われています。
小野篁は百人一首の歌人で、平安時代初期の公卿です。小野篁は昼は宮中に仕え、夜は閻魔庁の第二の冥官として閻魔大王に仕えたと言われています。その為藤原高藤・藤原良相らを蘇生させたとも、また冥土で生身の地蔵菩薩に出逢い、その教えによって蘇生したことから地蔵尊像を刻んという伝承が残されています。なお小野篁が冥土に通う際に使ったとされる「冥土通いの井戸」が六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)、冥土から帰る際に使ったとされる「黄泉がえりの井戸」が六道珍皇寺の旧境内地にあります。
【千本ゑんま堂 歴史・簡単概要】
千本ゑんま堂(せんぼんゑんまどう)・引接寺(いんじょうじ)は起源が明確ではありません。千本ゑんま堂は平安時代初期に小野篁(おののたかむら)が自ら閻魔大王を刻んで、朱雀大路(千本通)に祠を建立したのが起源とも、1017年(寛仁元年)恵心僧都(えしんそうず)・源信(げんしん)の法弟・定覚上人(じょうかくしょうにん)が関白・藤原道長(ふじわらのみちなが)の援助により、道場・諸人化導引接仏道を開山し、光明山歓喜院引接寺と称したのが起源とも言われています。(諸説あり)その後応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火により、閻魔大王像が焼失した言われています。また1977年(昭和52年)の火災でも閻魔大王像の一部が焼けました。千本ゑんま堂の名称は千本ゑんま堂がある場所が京の三大墓地のひとつである蓮台野の入口で、石仏や卒塔婆が無数にあったことから「千本」の地名が残り、それに由来していると言われています。なお1574年(天正2年)織田信長が上杉謙信に贈ったと言われている国宝「洛中洛外図屏風」の中にはゑんま堂狂言「閻魔庁」が演じらている様子が描かれています。
千本ゑんま堂は高野山真言宗の寺院です。
*参考・・・千本ゑんま堂(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【千本ゑんま堂小野篁忌2015 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
小野篁忌2015では上記の内容と異なり、今年から本堂内で僧侶によって柴燈護摩供だけが行われました。その後僧侶による加持が行われ、お餅が配られました。
千本ゑんま堂(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報