西方尼寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)

西方尼寺

西方尼寺(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。西方尼寺には1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉が北野天満宮で北野大茶湯を催した際、茶人・千利休が使った言われる利休井戸が残されています。西方尼寺には千利休手植えという利休椿(五色散椿)も植えられているそうです。

【西方尼寺 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区今出川通七本松西入真盛町742
最寄り駅・バス停・・・上七軒(徒歩約3分)、北野天満宮前(徒歩約5分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは50系統(B2乗り場)、101系統(B2乗り場)
*四条河原町からは10系統、51系統、55系統
*三条京阪・河原町丸太町・堀川丸太町からは10系統
路線・時刻表・運賃チェック

*嵐電(京福電鉄)北野線の場合、最寄り駅は北野白梅町駅(徒歩約12分)

【西方尼寺 拝観時間・時間(要確認)】
通常非公開

【西方尼寺 拝観料金・料金(要確認)】
通常非公開

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【西方尼寺 歴史・簡単概要】
西方尼寺(さいほうにじ)・真盛山西方尼寺は京都府京都市上京区真盛町にあります。西方尼寺は寺伝によると室町時代(1336年~1573年)中期の文明年間(1469年~1487年)に天台宗(てんだいしゅう)真盛派の祖・真盛(しんせい)を開山に尼僧の道場として大北山(葛野郡大北山村)に創建されたと言われています。当初、西福寺(さいふくじ)と言われていたとも言われています。真盛は比叡山西塔の慶秀に師事し、天台宗の教学を学び、恵心僧都(えしんそうず)・源信(げんしん)の「往生要集(おうじょうようしゅう)」によって称名念仏(しょうみょうねんぶつ)を唱え、宮中・公家などに無欲と慈悲を説きました。また近江国坂本の西教寺を再興し、天台宗真盛派の本寺としました。その後戦国時代(1493年~1590年)の永正年間(1504年~1521年)に現在の場所に移り、寺号を西方寺に改めました。1968年(昭和43年)に本堂が建立されたと言われています。西方尼寺は椅子に腰を掛け、中品中生の印を結ぶ珍しい阿弥陀如来像を本尊として祀っています。なお名物・真盛豆(しんせいまめ)は真盛が念仏を聞きに来た信者に出したのが始まりと言われています。真盛は仏弟子で、西方尼寺の開祖である盛久・盛春両尼に真盛豆の製法を伝授したと伝えられています。北野大茶会の際に関白・豊臣秀吉が真盛豆を食し、「茶味に適す」と賞賛し、細川幽斎(ほそかわゆうさい・細川藤孝(ほそかわふじたか))は「苔のむす豆」と例えたと伝えられています。現在、上京区下長者町通黒門東入吉野町712番地の金谷正廣(かなやまさひろ)が製造・販売しています。
西方尼寺は天台真盛宗の寺院です。
*参考・・・西方尼寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【西方尼寺 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
西方尼寺の見どころは1587年(天正15年)の北野大茶湯の際、茶人・千利休が使った言われる利休井戸です。また重要文化財に指定されている絹本著色観経曼荼羅図(けんぽんちゃくしょくけんきょうまんだらず)も見どころです。絹本著色観経曼荼羅図は鎌倉時代(1185年~1333年)に奈良・當麻寺(たいまでら・当麻寺)の中将姫(ちゅうじょうひめ)ゆかりの綴織観経曼荼羅(當麻曼荼羅(たいままんだら))を転写したものです。

【西方尼寺 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・+81-75-461-2369(西方尼寺)

【西方尼寺 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】

【西方尼寺 おすすめ散策ルート】
西方尼寺からのおすすめ散策ルートは西側に位置する北野天満宮に向かうルートです。10分ほど散策すると京都を代表する梅名所である北野天満宮に行くことができます。花街・上七軒の風情を感じながら向かうのがおすすめです。なお北野天満宮の西側には京都を代表する桜名所である平野神社があり、桜シーズンに足を伸ばすのがおすすめです。

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