誠心院和泉式部忌2025/3/21(日程時間・・・)

誠心院和泉式部忌

誠心院和泉式部忌

誠心院和泉式部忌(日程・時間・・・)を紹介しています。和泉式部忌は例年3月21日に行われています。和泉式部忌では平安時代の女流歌人で、誠心院の初代住職とされている和泉式部を偲んで法要が行われます。なお和泉式部忌では和泉式部にゆかりがある謡曲「東北」と「誓願寺」も奉納されます。また和泉式部忌では屏風なども特別公開されます。(要確認)(詳細下記参照)

【誠心院和泉式部忌2025 日程時間(要確認)】
誠心院和泉式部忌2025は2025年(令和7年)3月21日(金曜日)11:00~16:00に行われます。過去のタイムテーブルは11:00から謡曲奉納、13:00から永代供養総供養、14:00から和泉式部忌です。(現在確認中・要注意)
*参考・・・誠心院ホームページ

【誠心院和泉式部忌 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市中京区新京極六角下る中筋町487
最寄り駅・バス停・・・河原町三条(徒歩約8分)、四条河原町(徒歩約8分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは4系統(A2乗り場)四、5系統(A1乗り場)三四、17系統(A2乗り場)三四、205系統(A2乗り場)三四
*四条河原町からは3系統三、32系統三、205系統三
*四条烏丸からは3系統三四、5系統三、32系統三、203系統四、207系統四
*河原町丸太町からは4系統三四、10系統三四、205系統三四
路線・時刻表・運賃チェック

*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は三条駅(徒歩約8分)、祇園四条駅(徒歩約8分)
*阪急電鉄京都線の場合、最寄り駅は河原町(徒歩約8分)
*地下鉄東西線の場合、最寄り駅は京都市役所前駅(徒歩約10分)

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【誠心院和泉式部忌 歴史・簡単概要】
誠心院和泉式部忌(いずみしきぶき)では平安時代の女流歌人で、誠心院の初代住職とされている和泉式部を偲んで、命日に法要が行われます。なお和泉式部忌は例年3月21日に行われています。
和泉式部忌では和泉式部にゆかりがある謡曲「東北(とうぼく)」・「誓願寺(せいがんじ)」が喜多流(きたりゅう)高吟会(高林社中)と金剛流(こんごうりゅう)銀謡奉納会によって奉納されます。和泉式部忌では和泉式部が一条天皇の中宮・藤原彰子(ふじわらのしょうし・上東門院(じょうとうもんいん))から賜った打掛から作られたとも言われる屏風なども特別公開されます。(要確認)
「東北」は旅の僧侶が梅の名所である東北院に行くとひとりの女性が現れ、梅は和泉式部が植えたことを知ります。僧侶は女性が和泉式部であることを悟り、お経を唱えると和泉式部が歌舞の菩薩となって現れ、和歌の徳・仏法のありがたさを説くというものです。
「誓願寺」は世阿弥(ぜあみ)が作り、和泉式部と時宗の開祖である一遍上人(いっぺんしょうにん)が登場する演目です。和泉式部は一遍上人に名号額「南無阿弥陀仏」の掛け替えを願い、叶うと喜びのあまり歌舞の菩薩となって現れ、念仏の功徳を説くというものです。
和泉式部は平安時代中期の歌人で、中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人です。和泉式部は大江雅致(おおえまさむね)の娘で、冷泉天皇の皇后・昌子(しょうし)に仕えました。その後和泉守・橘道貞(たちばなみちさだ)と結婚して、小式部内侍(こしきぶのないし)を生んだが、道貞とは別居しました。後冷泉天皇の第3皇子・為尊親王(ためたかしんのう)やその弟・敦道親王(あつみちしんのう) から求愛を受けたり、道長四天王と称された藤原保昌(平井保昌)と再婚したりしました。その恋愛遍歴から関白・藤原道長(ふじわらのみちなが)からは「浮かれ女」と評されたり、源氏物語の作者・紫式部の「紫式部日記」には「和泉式部という人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ」と記されたりしました。なお和泉式部は生没年不詳だが、976年(貞元元年)頃に生まれ、1036年(長元9年)頃に亡くなったと言われています。
金剛流は奈良・法隆寺に仕えた猿楽座・坂戸座(さかとざ)を起源とし、坂戸孫太郎氏勝が流祖です。金剛流は京都風の華麗な芸風から舞金剛、面などの名品を多く所蔵することから面金剛とも言われています。
喜多流は金剛流の流れを汲み、江戸時代初期に興った流派で、江戸幕府2代将軍・徳川秀忠に庇護を受けた喜多七太夫が流祖です。

【誠心院 歴史・簡単概要】
誠心院(せいしんいん・じょうしんいん)・和泉式部寺は寺伝によると平安時代中期の1027年(万寿4年)に第66代天皇・一条天皇(いちじょうてんのう)の皇后(中宮)・上東門院(じょうとうもんいん・藤原彰子(ふじわらのしょうし)が父で、関白・藤原道長(ふじわらのみちなが)の勧めにより、法成寺(ほうじょうじ)の中の東北院(とうほくいん)内に寺を建立し、東北院誠心院と称したのが起源です。東北院誠心院はかつて荒神口(こうじんぐち)周辺にあり、初代住職は上東門院に仕えていた和泉式部(いずみしきぶ)で、その法名を誠心院専意法尼と言いました。鎌倉時代に小川通一条上ル誓願寺(せいがんじ)南に移転し、泉涌寺(せんにゅうじ)の末寺になりました。その後安土桃山時代の天正年間(1573年~1592年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の命によって現在の場所に移されました。なお1872年(明治5年)に新京極通(しんきょうごくどおり)が整備され、境内地は二分されて、山門をはじめ堂宇を失いました。
誠心院は真言宗泉涌寺派の寺院です。
*参考・・・誠心院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【誠心院和泉式部忌 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
和泉式部忌では通常参拝できない和泉式部石塔に参拝することができます。
誠心院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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