高倉神社(アクセス・マップ・見どころ・・・)
高倉神社
高倉神社(アクセス・見どころ・拝観料金・・・)情報を紹介しています。高倉神社が祀っている以仁王は後白河天皇の皇子として生まれました。以仁王は1180年(治承4年)に平氏打倒の令旨を発し、全国の源氏に挙兵を促して自らも挙兵したが、南山城(京都府南部)で平氏軍に討たれたと言われています。
【高倉神社 アクセス・マップ】
場所・・・京都府木津川市山城町綺田神ノ木48
最寄り駅・バス停・・・JR玉水駅(徒歩約20分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR奈良線
*コミュニティーバス山城線の場合、神ノ木(徒歩約3分)
路線・時刻表・運賃チェック
【高倉神社 拝観時間・時間(要確認)】
自由
【高倉神社 拝観料金・料金(要確認)】
無料
【高倉神社 歴史・簡単概要】
高倉神社(たかくらじんじゃ)は京都府木津川市山城町綺田神ノ木にあります。高倉神社は起源が明確ではありません。この地はかつて奈良・興福寺(こうふくじ)領で、春日神社が建立され、天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祀っていたと言われています。その後平安時代末期の1180年(治承4年)に第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう)の皇子・以仁王(もちひとおう)が亡くなり、以仁王を祀るようになったと言われています。高倉神社近くには以仁王の御墓があります。ちなみに1179年(治承3年)に平氏打倒を目指した後白河法皇(第77代・後白河天皇)は幽閉され、以仁王も城興寺(じょうこうじ)領を没収されました。以仁王は1180年(治承4年)に源頼政(みなもとのよりまさ)の勧めにより、平氏打倒の令旨(れいじ)を全国の源氏に発して挙兵を促し、自らも挙兵したが、南山城で平氏軍に討たれたと言われています。以仁王は興福寺を頼って奈良に向かっていたが、光明山寺の鳥居の前で流れ矢に当たって亡くなり、高倉神社で以仁王の御霊を祀るようになったと言われています。高倉神社は1885年(明治18年)に社名を高倉神社に改めたと言われています。高倉神社は天児屋根命・以仁王を祭神として祀っています。
*参考・・・高倉神社(アクセス・歴史・見どころ・・・)
【高倉神社 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
高倉神社の見どころは社殿です。また宮内庁が管理する以仁王の御墓と浄妙塚(じょうみょうづか)も見どころです。浄妙塚は筒井浄妙(つついじょうみょう)の墓と伝えられいます。筒井浄妙は近江(滋賀)・三井寺(みいでら・園城寺(おんじょうじ))の僧兵で、以仁王・源頼政らの挙兵に従って宇治川の合戦に参戦したが、戦死したと言われています。
【高倉神社 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0774-73-8191(木津川市観光協会)
【高倉神社 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
【高倉神社 おすすめ散策ルート】
高倉神社からのおすすめ散策ルートは少し距離があるが、南側の蟹満寺を散策することです。15分ほど散策すると蟹満寺に行くことができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。なお高倉神社周辺には観光スポットがあまり多くない為、次の観光スポットに向かい、その周辺を散策した方がいいかもしれません。