大黒寺の歴史-修学旅行・観光の簡単解説

大黒寺の歴史を時代別年表にまとめ
大黒寺の歴史を簡単にまとめています。大黒寺は平安時代前期に真言宗の宗祖である弘法大師・空海が創建したと言われています。当初、真言宗東寺派の寺院で、長福寺と言われたそうです。平安時代前期に真如法親王が創建したとも言われています。(時代別年表・重要人物下記参照)
【伏見】
●伏見は日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)」雄略天皇17年(473年)条に「山背国の俯見村」と記されているのが文献上の初見です。
【大黒寺の起源・始まり】
●大黒寺は平安時代(794年~1185年)前期に真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が創建したと言われています。当初、真言宗東寺(とうじ)派の寺院で、長福寺(ちょうふくじ)と言われたそうです。弘法大師・空海は本尊・聖観音(しょうかんのん)立像と出世大黒天(しゅっせだいこくてん)立像を安置したと伝えられています。出世大黒天立像は金張の厨子(ずし)の中の小さな仏像で、甲子の年に開帳される秘仏になっています。
●大黒寺は平安時代(794年~1185年)前期に第51代・平城天皇(へいぜいてんのう)の第3皇子・真如法親王(しんにょほうしんのう)が創建したとも言われています。真如法親王は799年(延暦18年)に生まれ、809年(大同4年)に父が譲位して第52代・嵯峨天皇が即位すると皇太子に立てられたが、翌810年(大同5年)の薬子の変(くすこのへん)で父と嵯峨天皇が対立すると皇太子を廃されて出家しました。その後弘法大師・空海の弟子として修行し、十大弟子に数えられ、弘法大師・空海の埋葬に立ち合いました。861年(貞観3年)に入唐求法を許可され、864年(貞観6年)に長安(中国)に到着しました。865年(貞観7年)に皇帝から許可されて海路で天竺(インド)を目指して出発したが、その後消息を断ちました。
【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の歴史・出来事】
●桃山時代に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が深く信仰しました。その後も武家にも信仰されたと言われています。豊臣秀吉は1592年(天正20年)に関白職を甥・豊臣秀次(とよとみひでつぐ)に譲り、平安時代から観月の名所だった伏見指月(しげつ)に隠居屋敷を造営し、1593年(文禄2年)に豊臣秀頼(とよとみひでより)が誕生すると大坂城を譲る為に隠居屋敷の大規模な改修を開始し、1594年(文禄3年)に城下町も整備されました。しかし1596年(慶長元年)に慶長伏見地震(けいちょうふしみじしん)で建物が倒壊し、木幡山(こばたやま)に場所を移して築城が再開され、1597年(慶長2年)5月に天守閣が完成し、豊臣秀吉が移り住んだが、1598年(慶長3年)8月に伏見城で亡くなりました。
【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】
●1615年(元和元年)に伏見奉行・山口駿河守(するがのかみ)が薩摩藩主・島津家久(しまづいえひさ)の命により、武運長久の祈願所に定め、寺号を大黒寺に改めました。大黒寺は薩摩藩邸に近く、薩摩藩主と島津家の護り本尊・出世大黒天と同じ大黒天を祀っていたことから祈願所に定められました。大黒寺は薩摩寺とも言われるようになりました。
●江戸時代末期(幕末)に西郷隆盛(さいごうたかもり)・大久保利通(おおくぼとしみち)らが国事を密談したと言われています。密談の部屋にはゆかりの書や歌・肖像などが保存されています。西郷隆盛は1862年(文久2年)の寺田屋事件で犠牲になった薩摩藩勤王党・有馬新七らの伏見寺田屋殉難九烈士之墓を建てたと言われています。
【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】
●1879年(明治12年)に第3子の妊娠中に亡くなった八代美津女(やしろみつめ)に由来する幽霊子育飴伝説が残されています。境内に八代美津女の墓も残されています。
●2001年(平成13年)に名水「金運清水(きんうんしみず)」が掘られました。
【大黒寺の開山とも言われる弘法大師・空海】
弘法大師・空海は774年(宝亀5年)に佐伯直田公と阿刀大足の妹の子として讃岐国多度郡屏風浦(香川県善通寺市)に生まれました。789年(延暦8年)に母方の叔父・阿刀大足のもとで論語・孝経・史伝などを学び、792年(延暦11年)に官僚育成機関である大学寮に入って官吏としての学問を修めました。その後仏道を志して山林で修行し、三論宗の僧で、東大寺別当・勤操のもとで南都仏教を学びました。804年(延暦23年)に遣唐使として唐(中国)に渡り、長安で青竜寺の恵果のもとで密教を学び、伝法阿闍梨位の灌頂を受け、遍照金剛の灌頂名を与えられました。806年(大同元年)に帰国し、真言密教を日本に伝えて真言宗の開祖になりました。816年(弘仁7年)から高野山で金剛峯寺創建に着手し、823年(弘仁14年)に東寺を賜って真言密教の道場にしました。なお弘法大師・空海は835年(承和2年)に高野山で亡くなりました。
【大黒寺の歴史 備考】
*参考・・・大黒寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia/a>














