新日吉神宮新日吉祭2025年5月11日(日程時間・・・)
新日吉神宮新日吉祭
新日吉神宮新日吉祭(日程・時間・・・)を紹介しています。新日吉祭は例年5月の第2日曜日に行われています。新日吉祭の神幸祭(しんこうさい)では剣鉾を先頭に鳳輦(神輿)・獅子・稚児などが氏子地区を巡行し、厄除けのちまき(粽)を配ります。なお新日吉祭は神仏混淆の珍しい祭りで、妙法院(みょうほういん)の読経(法楽の儀)も行われます。(詳細下記参照)
【新日吉神宮新日吉祭2025 日程時間(要確認)】
新日吉神宮新日吉祭2025は2025年(令和7年)5月11日(日曜日)に行われます。12:00から出立祭、13:00頃から鳳輦などの巡行が行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・新日吉神宮ホームページ
【新日吉神宮新日吉祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区妙法院前側町451-1
最寄り駅・バス停・・・東山七条(徒歩約7分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは100系統(D1乗り場)、110系統(D1乗り場)、206系統(D2乗り場)、208系統(D2乗り場)
*四条河原町からは207系統
*四条烏丸からは207系統
*河原町丸太町からは202系統
路線・時刻表・運賃チェック
*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は七条駅(徒歩約12分)
【新日吉神宮新日吉祭 歴史・簡単概要】
新日吉神宮新日吉祭(いまひえさい)は1162年(応保2年)に二条天皇が再興した小五月祭(こさつきのまつり)が起源と言われています。新日吉祭は1169年(仁安4年)に宮中行事だった小五月会を新日吉神宮の祭儀として復興されたものです。その為新日吉小五月会とも言われました。新日吉祭は1212年(建暦2年)以降5月9日に行われ、上皇の御幸が慣例となり、競馬・流鏑馬・田楽などが行われていたそうです。ただ戦国時代に中断し、1655年(明暦元年)に復興し、現在のように鳳輦(ほうれん)が氏子地区を巡行するようになったそうです。
新日吉祭の神幸祭(しんこうさい)では剣鉾を先頭に鳳輦(神輿)・獅子・稚児などが氏子地区を巡行し、厄除けのちまき(粽)を配ります。なお新日吉祭は神仏混淆の珍しい祭りで、新日吉神宮の神職による祝詞(馬場御供の儀)と妙法院門跡(みょうほういんもんぜき)の読経(法楽の儀)が行われます。読経は出立祭の後に行われます。
妙法院門跡はかつて新日吉神宮・方広寺・三十三間堂(蓮華王院)を兼帯していたが、新日吉神宮・方広寺は分離・独立し、三十三間堂だけは現在も妙法院が管理しています。
【新日吉神宮 歴史・簡単概要】
新日吉神宮(いまひえじんぐう)は平安時代後期の1160年(永暦元年)に後白河上皇(第77代・後白河天皇)が院の御所(離宮)・法住寺殿(ほうじゅうじどの)を造営した際、延暦寺(えんりゃくじ)の守護神・日吉大社(ひえたいしゃ・ひよしたいしゃ)から山王七社(上七社)を鎮守社として勧請したのが起源と言われています。新日吉神宮の別当寺として、天台三門跡に数えられる妙法院(みょうほういん)が延暦寺山内から八坂神社(祇園社)西側に移されました。その後度々移ったり、応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火などによって荒廃したが、江戸時代前期の1640年(寛永17年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)を祀って廃絶した豊国神社(とよくにじんじゃ・豊国社)・豊国廟(ほうこくびょう)の参道上に再建されました。1897年(明治30年)に関白・豊臣秀吉を祀る豊国廟が再興された際に現在の場所に移りました。1958年(昭和33年)に第77代・後白河天皇を増祀し、1959年(昭和34年)に社号を新日吉神宮に改めしました。なお新日吉神宮は主祭神に日吉山王七神(大山咋命・大己貴命・玉依比売命・大山咋命荒魂・田心比売命・菊理比売命・玉依比売命荒魂)・後白河天皇を祀り、相殿に素盞嗚尊・大年神を祀っています。
*参考・・・新日吉神宮(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【新日吉神宮新日吉祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
新日吉神宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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