経王寺鬼子母神大祭2024年7月18日(日程時間・・・)
経王寺鬼子母神大祭
経王寺鬼子母神大祭(日程・時間・・・)を紹介しています。鬼子母神大祭は例年7月に行われます。鬼子母神大祭は江戸時代中期の元禄時代から行われていると言われています。鬼子母神大祭では十数人の荒行修行僧が秘妙の祈祷を行ないます。境内に子供の守り神である鬼子母神堂があり、大祭に大勢の人が参詣します。(詳細下記参照)
【経王寺鬼子母神大祭2024 日程時間(要確認)】
経王寺鬼子母神大祭2024は2024年(令和6年)7月18日(木曜日)に行われます。祈祷は15:00~16:30、19:00~21:00に行われます。(現在確認中・要注意)
【経王寺鬼子母神大祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府宮津市字金屋谷886
最寄り駅・バス停・・・宮津駅(徒歩約13分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都丹後鉄道
路線・時刻表・運賃チェック
【経王寺鬼子母神大祭 歴史・簡単概要】
経王寺鬼子母神大祭(きしぼじんたいさい)は江戸時代中期の元禄時代(1688年~1704年)から行われていると言われています。鬼子母神大祭は例年7月に行われている夏祭りです。
鬼子母神大祭では十数人の荒行修行僧が秘妙の祈祷を行ないます。境内に子供の守り神である鬼子母神堂があり、大祭に大勢の人が参詣します。
鬼子母神は夜叉毘沙門天の部下である武将・八大夜叉大将の妻で、「鬼子母経」によると千人の子供を育ていました。鬼子母神は性質邪悪で、子供を育てる栄養をつける為、人間の子供を奪い取っては食べていました。そこで仏教の開祖・お釈迦さまが鬼子母神が最も愛していた末子を隠し、千人の内の一人の子供を失う悲しみを与えて改心させました。またお釈迦さまは五戒を守り、施食によって飢えを満たすことなども教え、鬼子母は仏に帰依し、誓願を立て、安産・子育ての守護神、仏教の守護神になりました。また盗難除けの神ともされています。鬼子母神は大乗仏教の重要な経典「法華経(ほっけきょう・妙法蓮華経)」の守護神として、日蓮宗(法華宗)の寺院で多く祀られています。なお鬼子母神の像容には天女形と鬼神形があり、天女形は一般的に一児を抱き、右手に吉祥果(きちじょうか・石榴(ざくろ))を持っています。【経王寺 歴史・簡単概要】
経王寺は安土桃山時代の1597年(慶長2年)に日蓮宗の僧・日依上人が京都府与謝郡本庄村(伊根町)に建立されていた真言宗の楞厳寺を日蓮宗に改めたのが起源と言われています。「丹後宮津志」によると1602年(慶長7年)に丹後国宮津藩2代藩主・京極高広から帰依を受けて現在の場所に移され、京極高広の娘・了智院殿妙尭日清の香華所となったと伝えられています。本堂裏の墓地には了智院殿妙尭日清の五輪塔が建立されています。ただ京極高広は1622年(元和8年)に丹後国宮津藩2代藩主になっており、元和年間(1615年~1624年)・寛永年間(1624年~1644年)に寺町(金屋谷地区・小川地区)を整備した際に現在の場所に移されたとも言われています。1843年(天保14年)に現在の本堂が着工され、1845年(弘化2年)10月に再建されました。
経王寺は日蓮宗の寺院です。
*参考・・・経王寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)
経王寺は安土桃山時代の1597年(慶長2年)に日蓮宗の僧・日依上人が京都府与謝郡本庄村(伊根町)に建立されていた真言宗の楞厳寺を日蓮宗に改めたのが起源と言われています。「丹後宮津志」によると1602年(慶長7年)に丹後国宮津藩2代藩主・京極高広から帰依を受けて現在の場所に移され、京極高広の娘・了智院殿妙尭日清の香華所となったと伝えられています。本堂裏の墓地には了智院殿妙尭日清の五輪塔が建立されています。ただ京極高広は1622年(元和8年)に丹後国宮津藩2代藩主になっており、元和年間(1615年~1624年)・寛永年間(1624年~1644年)に寺町(金屋谷地区・小川地区)を整備した際に現在の場所に移されたとも言われています。1843年(天保14年)に現在の本堂が着工され、1845年(弘化2年)10月に再建されました。
経王寺は日蓮宗の寺院です。
*参考・・・経王寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)
【経王寺鬼子母神大祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
経王寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報