北野天満宮北野御霊会2022/9/4(日程時間・・・)
北野天満宮北野御霊会
北野天満宮北野御霊会(日程・時間・・・)を紹介しています。北野御霊会は平安時代に始まった北野祭の一環として行われていたが、その後途絶えました。北野御霊会は北野天満宮の神職と延暦寺・曼殊院の僧侶が参列して行われます。先ず北野天満宮の宮司が祝詞を奏上し、次に延暦寺の僧侶が祭文を奏上し、玉串を奉奠します。(詳細下記参照)
【北野天満宮北野御霊会2022 日程時間(要確認)】
北野天満宮北野御霊会2022(●コロナによる実施の有無・変更要確認)は2022年(令和4年)9月4日(日曜日)10:00から行われています。
【北野天満宮北野御霊会 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区御前通今出川上る馬喰町
最寄り駅・バス停・・・北野天満宮前(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から北野天満宮は50系統(B2乗り場)、101系統(B2乗り場)
*四条河原町からは51系統
*四条烏丸からは55系統、101系統、203系統
*河原町丸太町からは10系統
路線・時刻表・運賃チェック
*嵐電(京福電鉄)北野線の場合、最寄り駅は北野白梅町駅(徒歩約7分)
【北野天満宮北野御霊会 歴史・簡単概要】
北野天満宮北野御霊会(きたのごりょうえ)は2020年(令和2年)9月に約550年ぶりに再興されました。北野御霊会は平安時代に始まった勅祭・北野祭の一環として行われていたが、室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))などによって途絶えていました。北野御霊会では世の平安・疫病退散などを祈願する為、天台宗(てんだいしゅう)の僧侶による御霊会が盛り込まれ、山門八講(法華八講)の講会が行われていました。なお2020年(令和2年)の北野御霊会では非業の死をとげた北野天満宮の祭神・菅原道真の神霊を慰め、新型コロナウィルスの早期終息などを祈願しました。
北野御霊会は北野天満宮の神職と延暦寺(えんりゃくじ)・曼殊院(まんしゅいん)の僧侶が参列して行われます。神職と僧侶が三光門近くから本殿に向かい、その後本殿などで神事などが行われます。先ず北野天満宮の宮司が祝詞(のりと)を奏上し、次に延暦寺の僧侶が祭文を奏上し、玉串(たまぐし)を奉奠(ほうてん)します。その後延暦寺の講師・読師が拝殿に設えられた高座に登り、問答の形式で山門八講(法華八講)の講会が行われます。なお北野天満宮の祭神・菅原道真は生前に延暦寺の尊意(そんい)を師として仰ぎ、「北野天神縁起絵巻」には尊意が菅原道真の怨霊と対峙し、法力を振るった様子が描かれています。曼殊院の前身である東尾坊を開いた是算国師(ぜざんこくし)は菅原氏の出身だったことから北野天満宮の初代別当職に任じられ、曼殊院が明治維新までの約900年間に渡って北野別当職を歴任しました。
北野祭は北野天満宮創建の翌年から始まり、987年(永延元年)に第66代・一條天皇の勅使を迎えたことから国家の勅祭になりました。北野祭では第62代・村上天皇から賜った鳳輦などの荘厳・華麗な渡御が行われなした。
延暦寺は788年(延暦7年)に天台宗の宗祖である伝教大師・最澄が自ら刻んだ薬師如来を本尊とする一乗止観院を創建したのが起源と言われています。806年(延暦25年)に勅許によって天台宗が公認され、823年(弘仁14年)に第52代・嵯峨天皇から最初の年号寺「延暦寺」が許されました。
曼殊院は延暦年間(782年~806年)に伝教大師・最澄が比叡山に鎮護国家の道場として創建した坊(小寺院)が起源と言われています。天暦年間(947年~957年)に曼殊院初代・是算国師が比叡山西塔北渓に移し、東尾坊と号しました。
●北野天満宮の歴史(創建から現在)を紹介しています。
北野天満宮歴史(菅原道真・豊臣秀吉・豊臣秀頼)
●北野天満宮の見どころ(本殿・三光門など)を紹介しています。
北野天満宮見どころ(本殿・三光門など)
【北野天満宮 歴史・簡単概要】
北野天満宮は947年(天暦元年)に西ノ京に住んでいた多治比文子(たじひのあやこ)・近江(滋賀)比良宮(ひらのみや)の神主である神良種(みわのよしたね)・北野朝日寺(きたのあさひでら)の僧である最珍(さいちん)らが神殿を造営し、祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)を祀ったのが起源です。903年(延喜3年)に菅原道真が左遷された大宰府で没し、942年(天慶5年)に多治比文子に宣託があり、947年(天暦元年)には神良種の子・太郎丸に再び託宣があったとも言われています。その後菅原道真の左遷の原因になった左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)の甥・藤原師輔(ふじわらのもろすけ)が私邸を寄贈し、大規模な社殿が造営されました。987年(永延元年)に第66代・一条天皇が勅使を派遣して国家の平安を祈願する勅祭が行われ、神号「北野天満宮天神」を賜り、1004年(寛弘元年)には一条天皇が行幸しました。しかし1444年(文安元年)の文安の麹騒動(ぶんあんのこうじそうどう)で室町幕府の攻撃によって焼失して一時衰退しました。1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉が境内で北野大茶会(きたのだいさのえ)を行い、1607年(慶長12年)には秀吉の子・豊臣秀頼が本殿などを造営しました。
北野天満宮は菅原道真を祀った神社の総本社です。
*参考・・・京都・北野天満宮(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
【北野天満宮北野御霊会 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
京都・北野天満宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報