許波多神社(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
許波多神社
許波多神社(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。許波多神社ではかつて東西2町の馬道で競馬(くらべうま)が行われ、競馬発祥の神社とも言われています。許波多神社には平安時代に造られ、重要文化財に指定されている鐙(あぶみ・鉄宝相華孔雀銅象嵌半舌鐙)や馬頭天王の神像などが残されています。
【許波多神社 アクセス・マップ】
場所・・・京都府宇治市五ヶ庄古川13
最寄り駅・バス停・・・JR黄檗駅(徒歩約20分)、黄檗駅(徒歩約18分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からはJR奈良線
*祇園四条駅からは京阪電鉄本線・宇治線
【許波多神社 拝観時間・時間(要確認)】
自由
【許波多神社 拝観料金・料金(要確認)】
無料
【許波多神社 歴史・簡単概要】
許波多神社(こはたじんじゃ)は社伝によると飛鳥時代中期の645年(大化元年)に第36代・孝徳天皇(こうとくてんのう)が蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)の奏上により、藤原鎌足(ふじわらのかまたり・中臣鎌足(なかとみのかまたり))に命じ、皇祖(こうそ)を祀る神殿を木幡荘に建立させたのが起源とも言われています。許波多神社はかつて柳山に社殿が建立されていたことから柳大明神とも言われ、江戸時代までは柳神社が正式の社名でした。672年(天武天皇元年)の壬申の乱(じんしんのらん)前に第40代・天武天皇(てんむてんのう)となる大海人皇子(おおあまのおうじ)、奈良時代後期の東征の際に坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が戦勝を祈願したとも伝えられています。平安時代中期の「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」で名神大社(みょうじんたいしゃ)に列せられたとも言われています。戦国時代(室町時代後期)の兵火で社殿を焼失し、古伝も失われたが、1562年(永禄5年)に現在の本殿が再建され、1569年(永禄12年)に最高位の神階・正一位を授かったと言われています。明治時代に陸軍宇治火薬製造所(陸上自衛隊宇治駐屯地)が建設される際に境内地が官有地として接収され、御旅所(おたびしょ)があった旧・岡田村内の現在の場所に移り、社名を旧称の許波多神社に改称しました。許波多神社は天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)・瓊々杵尊(ににぎのみこと)・神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと・神武天皇(じんむてんのう))を祀っています。
*参考・・・許波多神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【許波多神社 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
許波多神社の見どころは国の重要文化財に指定されている本殿です。本殿は戦国時代(室町時代後期)の1562年(永禄5年)に再建されました。本殿は三間社(さんげんしゃ)流造(ながれづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
【許波多神社 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・0774-31-8676(許波多神社)
【許波多神社 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
京都府宇治市木幡東中1には木幡の許波多神社も祀られています。木幡の許波多神社は社伝によると645年(大化元年)に第35代・皇極天皇(こうぎょくてんのう)が「吾れ天神故に下土に神陵なし吾が霊を祭祀し給へ」という夢告(むこく)を受け、藤原鎌足に命じ木幡荘に社殿を建立させたのが起源とも言われています。
【許波多神社 おすすめ散策ルート】
許波多神社からのおすすめ散策ルートは東側にある萬福寺とその塔頭に向かうルートです。15分ほど散策すれば、萬福寺とその塔頭に行くことができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。なお許波多神社周辺にはあまり観光スポットが多くない為、次の観光スポットに向かい、その周辺を散策するのもいいかもしれません。