仁和寺・龍安寺桜散策コース(転法輪寺・ぬかけの路・・・)

仁和寺・龍安寺桜散策コース
仁和寺・龍安寺桜散策コースはいずれも世界遺産である仁和寺と龍安寺周辺の桜名所を散策するコースです。仁和寺の御室桜は京都府内で嵐山・醍醐寺・笠置山自然公園とともに「日本さくら名所100選」に選ばれた京都屈指の桜名所です。龍安寺は石庭(枯山水(かれさんすい)式庭園)ではなく、池泉回遊式庭園の鏡容地周辺の桜などが美しいと言われています。仁和寺・龍安寺桜散策コース周辺にはきぬかけの路・蓮華寺・転法輪寺・住吉大伴神社などもあり、チャンスがあれば立ち寄りましょう。
【仁和寺・龍安寺桜散策コース】
【桜の見頃(例年)】
●2025年3月20日、ウェザーマップは桜の開花・満開が平年並で、京都で3月25日に開花、3月31日に満開になると予想しました。(順次情報更新中)
仁和寺・・・4月中旬頃
蓮華寺・・・4月中旬頃
龍安寺・・・4月上旬頃
京都桜見ごろ2025(清水寺・哲学の道・原谷苑・・・)
【仁和寺(にんなじ) 概要】
仁和寺では御室桜(国の名勝)が「日本さくら名所100選」に選ばれています。仁和寺では御室桜と言われる約200本の御室有明・染井吉野などが分布し、御室桜と高さ約36メートルの五重塔などが見どころです。ライトアップを行うことがあります。仁和寺は886年(仁和2年)に光孝天皇が西山御願寺を創建することを発願したのが起源です。ただ翌887年(仁和3年)に光孝天皇が崩御し、888年(仁和4年)に宇多天皇が父の遺志を引き継ぎました。当初、西山御願寺と言われていたが、その後年号寺・仁和寺に改められました。897年(寛平9年)に宇多天皇は醍醐天皇に譲位し、899年(昌秦2年)に益信を戒師として落髪して仁和寺1世になりました。その後応仁の乱で伽藍の大部分を焼失し、1634年(寛永11年)に覚深法親王が徳川家光から再興を許され、慶長年間の御所造替の際に建物が下賜されました。
仁和寺桜見ごろ・仁和寺桜ライトアップ
【きぬかけの路(きぬかけのみち) 概要】
きぬかけの路は衣笠山の麓にいずれも世界遺産である金閣寺から龍安寺を経由し、仁和寺まで続く長さ約2.5キロの道です。きぬかけの路は平安時代中期に宇多天皇が真夏に雪見をする為に衣笠山に絹を掛けたと言われている故事に因んで、1991年(平成3年)の公募で名付けられました。
【蓮華寺(れんげじ) 概要】
蓮華寺では染井吉野・枝垂桜などが分布し、桜と山門・石造五智如来像などが見どころです。蓮華寺は1057年(天喜5年)に藤原康基が後冷泉天皇の御願によって創建しました。応仁の乱で鳴滝音戸山の山上に移りました。その後荒廃が続いたとも言われています。1641年(寛永18年)に常信が伽藍・堂宇を再興し、五智如来石像を木喰僧・坦称上人に造仏させ、後水尾天皇の兄・覚深法親王から山号・寺号「五智山蓮華寺」を賜りました。常信は江戸の豪商だったが、1635年(寛永12年)に五智不動尊の霊夢に導かれ、その後秩父三十四カ所・西国三十三カ所・坂東三十三カ所を木の実や草の根を食べながら裸足で6年間修行しました。
蓮華寺桜見ごろ
【転法輪寺(てんぽうりんじ) 概要】
転法輪寺は1756年(宝暦6年)に関通上人が廃寺になった圓通寺を譲り受け、1758年(宝暦8年)に伽藍が完成し、新調した本尊・阿弥陀如来の開眼供養などを行ったのが起源と言われています。関通上人は箱根で「南無阿弥陀仏の符券を持てば、極楽世界の門が開ける。」と悟って関通と名乗り、東三本木の轉輪寺で専修念仏の法門を説いていたが、その後信徒が増えて狭隘を感じるようになり、適地を探しました。1929年(昭和4年)に山下俊孝を中心に転法輪寺の住持だった知恩院79世・謙蓮社孝誉現有大僧正の援助によって現在の場所に移りました。
転法輪寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【住吉大伴神社(すみよしおおともじんじゃ) 概要】
住吉大伴神社は794年(延暦13年)の平安京遷都の際、大伴氏が氏神として祀ったのが起源と言われています。その後823年(弘仁14年)に淳和天皇が即位すると諱が大伴だった為、大伴氏は苗字を伴氏に改め、社名も伴氏神社に改めました。ただ866年(貞観6年)に伴善男が失脚すると祭礼も途絶えました。平安時代末期に徳大寺実能が山荘・徳大寺殿を営み、和歌の神・住吉と玉津島が勧請され、名称を住吉神社に改めました。
住吉大伴神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【龍安寺(りょうあんじ) 概要】
龍安寺では紅枝垂桜・染井吉野・山桜など約400本の桜の木が分布し、ロックガーデンとも言われる石庭の油土塀越しの紅枝垂桜などが見どころです。龍安寺は984年(永観元年)に創建された円融天皇の御願寺・円融寺があった場所です。また藤原実能が山荘を営み、徳大寺を創建した場所です。龍安寺は1450年(宝徳2年)に細川勝元が徳大寺公有から山荘を譲り受け、義天玄詔を開山、玄詔の師・日峰宗舜を勧請開山として創建しました。ただ勝元が東軍総大将になった応仁の乱で焼失し、1488年(長享2年)に勝元の子・細川政元が特芳禅傑とともに再興し、方丈が再建・石庭が作庭されたと言われています。
龍安寺桜見ごろ
【仁和寺・龍安寺桜散策コース 備考】
散策コースではグーグルマップを使用して、スポットを紹介しています。
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