天龍寺・大覚寺散策コース(竹林の道・落柿舎・宝筐院・・・)

天龍寺見どころ

天龍寺・大覚寺散策コース

天龍寺・大覚寺散策コースは世界遺産で、嵐山随一の観光スポットある天龍寺と大沢池がある大覚寺を結ぶ散策コースです。西側の天龍寺から東側の大覚寺までは距離が約2.0キロあり、徒歩で約25分掛かります。天龍寺から大覚寺は緩やかな上りだが、距離はそれほど長くない為、比較的楽に散策することができます。天龍寺・大覚寺散策コース周辺には女性観光客に人気の野宮神社・外国人観光客に人気の竹林の道・向井去来の草庵だった落柿舎・白河天皇創建の宝筐院・三国伝来の釈迦像を祀る清凉寺・大覚寺の塔頭である覚勝院・蓮の名所である大沢池などがあります。天龍寺・大覚寺散策コースには紅葉名所である天龍寺・清凉寺・宝筐院・大覚寺などがあり、紅葉シーズンに紅葉狩りを兼ねて散策するのがおすすめです。

【天龍寺・大覚寺散策コース】

【天龍寺(てんりゅうじ) 概要】

天龍寺は嵯峨天皇の后・檀林皇后が創建した日本初の禅寺・壇林寺、醍醐天皇の皇子・前中書王兼明親王の亀山山荘、後嵯峨上皇の仙洞御所、亀山上皇の離宮・亀山殿があった場所です。1335年(建武2年)に後醍醐天皇が亀山殿内に臨川寺を創建しました。天龍寺は1339年(延元4年・暦応2年)に室町幕府初代将軍・足利尊氏が後醍醐天皇を弔う為、夢窓疎石を開山として創建しました。当初、元号から暦応資聖禅寺と称したが、尊氏の弟・直義が見たという大堰川から天に昇る金龍の夢から天龍資聖禅寺に改められました。室町時代に京都五山に列せられました。その後度々火災や応仁の乱などの兵火に見舞われました。天龍寺は8回も大きな火災に見舞われた記録が残されています。なお天龍寺山内には節分に七福神めぐりが行われる塔頭が建立されています。
天龍寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)天龍寺見どころ

【野宮神社(ののみやじんじゃ) 概要】

野宮神社は天皇の代理で、伊勢神宮に仕える斎王が伊勢神宮に向かう前に身を清めた「野宮」に由来しています。「野宮」の場所は天皇の即位の度に決められ、毎回違っていたが、嵯峨天皇の仁子内親王からは野宮神社に「野宮」が作られるようになりました。南北朝時代に兵火により、後醍醐天皇の皇女・祥子内親王を最後に斎王制度が廃絶され、「野宮」は野宮神社になって勅祭が行われるようになりました。なお野宮神社は竹林の道の東端に位置しています。
野宮神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

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【竹林の道(ちくりんのみち) 概要】

竹林の道は東側に位置する野宮神社と西側に位置する大河内山荘庭園を結ぶ長さ約300メートルの小径です。竹林の道は北側に山陰本線・嵯峨野トロッコ列車が走り、南側に天龍寺が建立されたエリアにあります。竹林の道では両側に竹林が広がり、晴れた日に木漏れ日が差し、風がある日に葉音が感じられます。竹林の道は無料であることもあり、国内外から多くの観光客が訪れます。嵐山・嵯峨野エリア随一の観光名所です。
竹林の道(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【落柿舎(らくししゃ) 概要】

落柿舎は俳人・松尾芭蕉の弟子で、向井去来の草庵でした。落柿舎の名称は周りに植えられていた柿の実が一夜の内にほとんど落ちたことに由来しています。松尾芭蕉は1691年(元禄4年)4月18日から5月4日まで滞在し、「嵯峨日記(さがにっき)」を記したと言われています。その際に松尾芭蕉は愛宕神社・野宮神社の嵯峨祭を見物したとも言われています。
落柿舎(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【宝筐院(ほうきょういん) 概要】

宝筐院は平安時代に白河天皇の勅願により、鎮護国家・玉体安穏の為の勅願寺として創建されました。当初、善入寺と称し、平安時代末期から皇族が入寺しました。その後貞和年間に天龍寺開山である夢窓疎石の高弟・黙庵周諭禅師が入寺して中興し、臨済宗に改めました。また1365年(貞治4年)に母を亡くし、黙庵周諭禅師に帰依した足利幕府2代将軍・足利義詮が伽藍を整備し、観林寺に寺号を改めたが、しばらくして善入寺に戻されました。その後1367年(貞治5年)に義詮が亡くなると菩提寺になり、その後義詮の院号「宝筐院殿道権瑞山」に因んで、宝筐院に寺号が改められました。その後応仁の乱などで衰退し、江戸時代に天龍寺の末寺なりました。幕末に廃寺になったが、50数年後に復興されました。
宝筐院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【清凉寺(せいりょうじ) 概要】

清凉寺は嵯峨天皇の皇子・源融の山荘・棲霞観があった場所です。清凉寺は源融の一周忌である896年(寛平8年)に子息が阿弥陀三尊像を造仏して阿弥陀堂に安置し、棲霞寺と号したのが起源とも、945年(天慶8年)に重明親王妃が新堂を建立し、等身大の釈迦像を安置したのが起源とも言われています。987年(永延元年)に奝然上人が愛宕山を中国の五台山に模し、「三国伝来の釈迦像」を安置する大清凉寺を建立しようとしたが、途中で亡くなり、弟子・盛算が遺志を受け継ぎ、棲霞寺内に釈迦堂を建立しました。1279年(弘安2年)に円覚上人の大念仏が伝わったとも言われています。その後応仁の乱で焼失したが、1481年(文明13年)に再興され、1602年(慶長7年)に関白・豊臣秀吉の子・秀頼の寄進によって本堂が再建されました。その後も嵯峨の大火や大地震に見舞われ、1701年(元禄14年)に江戸幕府5代将軍・徳川綱吉や生母・桂昌院らの発願によって本堂が再建されました。
清凉寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【覚勝院(かくしょういん) 概要】

覚勝院は大覚寺の塔頭です。覚勝院は正平年間に摂政・関白の子息が出家し、法皇の法流を継承する院家の住坊として建立されました。1711年(宝永8年)に江戸幕府6代将軍・徳川家宣の寄進によって本堂が建立されました。
覚勝院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【大沢池(おおさわのいけ) 概要】

大沢池は814年(弘仁5年)頃に嵯峨天皇が離宮・嵯峨院を造営した際、中国・洞庭湖を模して築造したとも言われています。大沢池は庭湖とも言われ、舟遊びなど最先端の文化の発信地だったと言われています。大沢池は周囲約1キロの日本最古の人工の庭池とも言われています。大沢池には池の中に天神島・菊ヶ島・庭湖石などがあります。大沢池一帯には放生池・護摩堂・石仏群・もみじロード・梅林・紀友則詠碑・臼井喜之介詠碑・鈴鹿野風呂詠碑・望雲亭・池舞台などがあります。また大沢池は奈良の猿沢池・滋賀の石山寺とともに三大名月鑑賞地とされています。
大沢池(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【大覚寺(だいかくじ) 概要】

大覚寺は平安時代初期に嵯峨天皇が造営した離宮・嵯峨院があった場所です。大覚寺は876年(貞観18年)に嵯峨天皇の皇女で、淳和天皇の皇后・正子内親王が淳和天皇の皇子・恒寂入道親王を開山として離宮を寺院に改め、門跡寺院になりました。清和天皇から寺号「大覚寺」を賜ったと言われています。鎌倉時代に後宇多法皇が伽藍を建立して再興し、大覚寺殿とも称され、院政を行ったことから嵯峨御所とも言われるようになりました。後宇多法皇と父・亀山法皇の皇統は後宇多法皇が大覚寺に住したことから大覚寺統(南朝)と称されるようになりました。1392年(元中9年・明徳3年)の南北朝媾和では正寝殿で南朝の後亀山天皇から北朝の後小松天皇に三種の神器が引き継がれました。
大覚寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)大覚寺見どころ

【天龍寺・大覚寺散策コース 備考】
散策コースではグーグルマップを使用して、スポットを紹介しています。

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