天龍寺・苔寺散策コース(松尾大社・月読神社・鈴虫寺・・・)

天龍寺・苔寺散策コース
天龍寺・苔寺散策コースは世界遺産である天龍寺と世界遺産で、苔寺とも言われる西芳寺を結ぶ散策コースです。北側の天龍寺から南側の苔寺(西芳寺)までは距離が約3.7キロあり、徒歩で約50分掛かります。天龍寺から苔寺まではかなり距離がある為、体力・時間がある方におすすめです。無理は禁物です。天龍寺・苔寺散策コース周辺には十三まいり(十三詣り)で知られる虚空蔵法輪寺・「酒の神」として信仰されている松尾大社・「月延石」がある月読神社・鈴虫を1年中飼育している鈴虫寺などがあります。天龍寺・苔寺散策コースでは嵐山・嵯峨野のシンボルである嵐山や桂川(大堰川)に架けられている渡月橋などを通り、じっくり光景を眺めるのがおすすめです。桜・紅葉シーズンは嵐山が桜や紅葉で彩られます。
【天龍寺・苔寺散策コース】
【天龍寺(てんりゅうじ) 概要】
天龍寺は承和年間に嵯峨天皇の后・檀林皇后が創建した日本初の禅寺・壇林寺、醍醐天皇の皇子・前中書王兼明親王の亀山山荘、後嵯峨上皇の仙洞御所、亀山上皇の離宮・亀山殿があった場所です。天龍寺は1339年(延元4年・暦応2年)に室町幕府初代将軍・足利尊氏が後醍醐天皇を弔う為、夢窓疎石を開山として創建しました。当初、元号から暦応資聖禅寺と称したが、尊氏の弟・直義が見たという大堰川から天に昇る金龍の夢から天龍資聖禅寺に改められました。室町時代に京都五山に列せられ、最盛期に寺域が約950万平方メートル、子院150か寺に及んだとも言われています。その後火災や応仁の乱などの兵火に度々見舞われ、1864年(元治元年)の禁門の変で伽藍の多くが焼失し、明治時代以降に伽藍が再建されました。
天龍寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)・天龍寺見どころ
【虚空蔵法輪寺(こくうぞうほうりんじ) 概要】
虚空蔵法輪寺は三光明星尊を祀った葛野井宮があった場所とも言われています。法輪寺は寺伝によると713年(和銅6年)に僧・行基が元明天皇の勅願によって創建した木上山葛井寺が起源と言われています。その後弘法大師・空海の師・勤操大徳、弘法大師・空海、興教大師・覚鑁らが参篭したと言われています。829年(天長6年)に弘法大師・空海の高弟・道昌が虚空蔵菩薩像を安置し、868年(貞観10年)に寺号を法輪寺に改められました。天慶年間に空也上人が伽藍を修造したと言われています。その後応仁の乱で焼失し、1597年(慶長2年)に後陽成天皇の勅旨と加賀・前田家の帰依によって再建されました。しかし1864年(元治元年)に禁門の変で焼失し、1884年(明治17年)に現在の本堂が再建しました。
法輪寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【松尾大社(まつのおたいしゃ) 概要】
松尾大社は太古の昔、松尾山の山霊を頂上に近い大杉谷の上部の磐座に生活の守護神として大山咋神を祀ったのが起源とも言われています。その後5世紀頃に渡来系氏族・秦氏が松尾山の神を秦氏一族の総氏神として祀り、開拓に従事したとも言われています。701年(大宝元年)に秦忌寸都理が文武天皇の勅命によって現在の場所に社殿を建立し、知満留女を斎女として松尾山山上の磐座に祀られていた神霊を社殿に遷して祀りました。794年(延暦13年)の平安京遷都後、東の賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)とともに「東の厳神・西の猛霊」と並び称され、西の王城鎮護社に位置付けられました。平安時代中期に「延喜式神名帳」に記されて名神大社に列せられ、その後明神二十二社・上七社にも列せられました。
松尾大社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)・松尾大社見どころ
【月読神社(つきよみじんじゃ) 概要】
月読神社は「日本書紀」によると487年(顕宗天皇3年)に阿閉巨事代に月神の神託があり、顕宗天皇の勅命により、壱岐県主祖・押見宿禰が山城葛野郡に天月神命を祀ったのが起源と言われています。その後856年(斉衡3年)に桂川の氾濫よって現在の場所に移されたとも言われています。明治維新後の廃仏毀釈によって神宮寺が廃寺になり、薬師如来像が両讃寺に移されました。1878年(明治11年)に松尾大社の摂社になり、1893年(明治26年)に現在の社殿が再建されました。
月読神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【鈴虫寺(すずむしでら) 概要】
鈴虫寺は平安時代末期に源義家の後裔・延朗上人が創建した最福寺があった場所です。鈴虫寺は1723年(享保8年)に華厳宗の僧・鳳潭上人が華厳宗の再興を志し、最福寺の跡地の一部に大華厳寺を創建したのが起源です。その後1868年(明治元年)に慶厳が中興し、華厳宗から臨済宗に改めました。1912年(大正元年)に現在の本堂が再建されました。戦後に住職・桂台厳が坐禅中に鈴虫の音を聴き、悟りを開くきっかけになったと言われ、鈴虫が飼育させるようになりました。
鈴虫寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【苔寺(こけでら) 概要】
苔寺は飛鳥時代に用明天皇の皇子・聖徳太子の別荘があった場所で、聖徳太子作の阿弥陀如来像が安置されていたとも言われています。天平年間に僧・行基が聖武天皇の詔により、法相宗の寺院として創建し、行基作の弥陀三尊を安置し、西方寺と称したのが起源とも言われています。806年(大同元年)に平城天皇の皇子・真如法親王が草庵を結んで修行したとも言われています。また平安時代初期に弘法大師・空海が入山して一時住し、黄金池で放生会を行ったとも言われています。鎌倉時代初期に法然上人が浄土宗に改めたが、その後兵火で荒廃しました。1339年(延元4年・暦応2年)に夢窓疎石が松尾大社宮司・藤原親秀の招請によって再興し、臨済宗に改めました。
苔寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)・苔寺見どころ
【天龍寺・苔寺散策コース 備考】
散策コースではグーグルマップを使用して、スポットを紹介しています。