三十三間堂・泉涌寺散策コース(妙法院・法住寺・東福寺・・・)

三十三間堂(Sanjusangen-do Temple)

三十三間堂・泉涌寺散策コース

三十三間堂・泉涌寺散策コースは1月に通し矢が行われる三十三間堂と「御寺」と言われる泉涌寺を結ぶ散策コースです。北側の三十三間堂から南側の泉涌寺までは距離が約2.5キロあり、徒歩で約30分掛かります。三十三間堂・泉涌寺散策コース周辺には三十三間堂の本坊である妙法院・法住寺・「京都三熊野」に数えられる新熊野神社・京都随一の紅葉名所である東福寺などがあります。三十三間堂周辺には歴史などゆかりがある妙法院・法住寺・新熊野神社などがあり、それらに立ち寄るのもおすすめです。泉涌寺・東福寺には山内にそれぞれ塔頭寺院があり、それらも一緒に回るのもいいかもしれません。紅葉シーズンは東福寺で紅葉狩りを楽しみましょう。

【三十三間堂・泉涌寺散策コース】

【三十三間堂(さんじゅうさんげんどう) 概要】

三十三間堂は988年(永延2年)に藤原為光が造営した私邸があった場所とも言われています。その後989年(永祚元年)に為光が妻と花山天皇の女御だった娘の菩提を弔う為に法住寺を創建したが、1032年(長元5年)に火災で焼失しました。1161年(永暦2年)に後白河上皇が法住寺跡に離宮・法住寺殿を営み、三十三間堂は1165年(長寛2年)に後白河上皇が平清盛に資材協力を命じ、離宮・法住寺殿の一画に創建されました。ただ1249年(建長元年)に焼失し、1266年(文永3年)に後嵯峨上皇が三十三間堂のみを再建しました。その後室町幕府6代将軍・足利義教が修復し、関白・豊臣秀吉が東山大仏(方広寺)を建立した際、土塀や門などが整備されたと言われています。
京都・三十三間堂(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)三十三間堂見どころ

【妙法院(みょうほういん) 概要】

妙法院は比叡山三千坊と言われる比叡山上にあった僧侶の住坊が起源と言われています。初代門主は伝教大師・最澄とされています。その後平安時代末期に洛中に移り、一時綾小路小坂にあったが、16世紀末までに現在の場所である法住寺殿跡に移りました。鎌倉時代に後高倉院の王子・尊性法親王が門主として入寺して以来、門跡寺院になりました。妙法院は方広寺・三十三間堂(蓮華王院)・新日吉社を兼帯していたが、方広寺・新日吉社が独立し、三十三間堂だけが現在も妙法院の所属になっています。
妙法院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)妙法院見どころ

スポンサーリンク(Sponsor Link)

【法住寺(ほうじゅうじ) 概要】

法住寺は989年(永祚元年)に藤原為光が妻と娘で、花山天皇の女御だった藤原し子の菩提を弔う為に創建したのが起源と言われています。985年(寛和元年)6月に妻、7月に娘が相次いで亡くなったそうです。1032年(長元5年)に火災で焼失しました。1161年(永暦2年)に後白河上皇が法住寺跡に離宮・法住寺殿を営み、1160年(永暦元年)に新日吉神社、1163年(長寛元年)に三十三間堂(蓮華王院)が創建され、1176年(安元2年)に後白河上皇の女御・建春門院が亡くなると建春門院の御陵として法華堂が建立されました。しかし1183年(寿永2年)に木曽義仲によって焼き討ちされ、1192年(建久3年)に後白河上皇が亡くなると新たに法華堂が建立され、上皇の御陵に定められました。
法住寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【新熊野神社(いまくまのじんじゃ) 概要】

新熊野神社は1160年(永暦元年)に後白河上皇が離宮・法住寺殿を造営した際、平清盛・平重盛父子に命じ、鎮守社として熊野の神を勧請したのが起源と言われています。その後室町時代中期の応仁の乱などの兵火で荒廃したが、江戸時代初期に後水尾天皇の中宮・東福門院が再建し、1663年(寛文13年)に後水尾上皇の皇子・聖護院宮道寛親王が現在の本殿を修復しました。
新熊野神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【東福寺(とうふくじ) 概要】

東福寺は924年(延長2年)に藤原忠平が創建した藤原氏の氏寺・法性寺があった場所です。東福寺は1236年(嘉禎2年)に九条道家が像高5丈の釈迦像を安置する寺院創建を発願し、聖一国師・円爾を開山として仏殿を建立したのが起源です。寺号はいずれも奈良にある東大寺と興福寺から1字ずつ取り、「東福寺」になりました。仏殿は1239年(延応元年)に建立が始まり、1255年(建長7年)に完成し、1236年(嘉禎2年)の東福寺創建から19年間を要しました。その後1319年(元応元年)に火災で釈迦像が焼失し、1334年(建武元年)・1336年(延元元年・建武3年)の火災に伽藍の多くが焼失しました。1346年(貞和3年)に一条経道が仏殿を再建したが、1881年(明治14年)に火災で仏殿などが焼失しました。1917年(大正6年)から本堂の再建が始まり、1934年(昭和9年)に完成しました。
京都・東福寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)東福寺見どころ

【泉涌寺(せんにゅうじ) 概要】

泉涌寺は天長年間に真言宗の宗祖である弘法大師・空海が草庵を結んで、法輪寺と名付けたのが起源とも、855年(斉衡2年)に藤原緒嗣が神修上人に山荘を与えて寺院に改め、仙遊寺と称したのが起源とも言われています。1218年(建保6年)に月輪大師・俊じょうが宇都宮信房から寄進され、1226年(嘉禄2年)に宋法式を取り入れた大伽藍を建立し、寺号を泉涌寺に改めました。寺号は清水が涌き出したことに由来しています。1224年(貞応3年)に後堀河天皇が皇室の祈願寺とし、崩御後に陵墓が築かれ、1242年(仁治3年)に四条天皇が崩御すると葬儀が営まれました。江戸時代以降に後水尾天皇から孝明天皇までが山内に葬られ、「御寺」と言われるようになりました。1876年(明治9年)に京都御所の仏間・御黒戸に安置されていた念持仏が海会堂に移され、諸寺院の御尊碑も合祀されました。

泉涌寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)泉涌寺見どころ

【三十三間堂・泉涌寺散策コース 備考】
散策コースではグーグルマップを使用して、スポットを紹介しています。

関連記事

京都観光おすすめ

  1. 錦市場(Nishiki Market)
  2. 竹林の道(Bamboo Forest Path)
  3. 嵐山
ページ上部へ戻る