三十三間堂・泉涌寺散策コース(東福寺・・・)
三十三間堂・泉涌寺散策コース
三十三間堂・泉涌寺散策コースは1月に通し矢が行われる三十三間堂と歴代天皇にゆかりがあって「御寺」と言われる泉涌寺を結ぶ散策コースです。周辺には三十三間堂の本坊である妙法院・「京都三熊野」に数えられる新熊野神社・紅葉の名所である東福寺があります。
【三十三間堂・泉涌寺散策コース】
【三十三間堂・泉涌寺散策コース 概要】
三十三間堂から泉涌寺は距離が約2.5キロ、徒歩では約30分掛かります。泉涌寺や東福寺にはそれぞれ塔頭があり、それらも一緒に回るともう少し時間が掛かるかもしれません。特に成人の日に行われる泉涌寺七福神巡り(泉山七福神巡り)で塔頭を回れば、ご利益もあります。なお周辺には三十三間堂を所有管理する妙法院・「身代わり不動明王(身代不動)」がある法住寺・「京都三熊野(みくまの)」のひとつの新熊野神社・通天橋から見る紅葉が名所の東福寺などがあり、楽しみながら散策することができます。
【三十三間堂・泉涌寺散策コース 三十三間堂】
三十三間堂は1165年(長寛2年)後白河上皇が平清盛に資材協力を命じ、離宮・法住寺殿の一画に創建しました。ただその後焼失し、三十三間堂だけが再建されました。なお例年1月中旬に本堂西側の射程60メートルの特設射場で弓で的を射る三十三間堂大的全国大会が行われています。
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【三十三間堂・泉涌寺散策コース 妙法院】
妙法院は比叡山三千坊と言われる比叡山上にあった坊が起源と言われ、初代門主は伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄とされています。なお妙法院は方広寺・三十三間堂(蓮華王院)・新日吉社を兼帯していたが、方広寺・新日吉社は独立し、三十三間堂だけが現在も妙法院の所属です。
妙法院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【三十三間堂・泉涌寺散策コース 法住寺】
法住寺は藤原為光が妻と花山天皇の女御だった娘の菩提を弔う為に創建した場所です。その後1161年(永暦2年)後白河上皇が離宮・法住寺殿を営みました。なお不動明王像は木曽義仲が放った矢が天台座主に当たり、後白河上皇が難を逃れたことから「身代わり不動明王(身代不動)」と言われています。
法住寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【三十三間堂・泉涌寺散策コース 新熊野神社】
新熊野神社は1160年(永暦元年)後白河上皇が離宮・法住寺殿を造営した際、平清盛・重盛父子に命じて、鎮守社として熊野の神を勧請したのが起源と言われています。なお新熊野神社は熊野神社・若王子神社とともに平安時代の院政期に造営された「京都三熊野(みくまの)」のひとつです。
新熊野神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【三十三間堂・泉涌寺散策コース 東福寺】
東福寺は1236年(嘉禎2年)摂政・九条道家が高さ5丈(約15メートル)の釈迦像を安置する寺院を創建することを発願し、仏殿を建立したのが起源です。東福寺の名称は奈良の東大寺と興福寺から1字ずつ取りました。なお通天橋から見る紅葉(もみじ)は名所になっています。
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【三十三間堂・泉涌寺散策コース 泉涌寺】
泉涌寺は天長年間に弘法大師・空海が草庵を結んだのが起源とも、855年(斉衡2年)左大臣・藤原緒嗣が神修上人を開山として山荘を改めたのが起源とも言われています。なお山内には後堀河天皇の陵墓が築かれ、後水尾天皇などが葬られ、「御寺(みてら)」と言われるようになりました。
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