大原・三千院紅葉散策コース(寂光院・・・)
大原・三千院紅葉散策コース
大原・三千院紅葉散策コースは「日本の紅葉の名所100選」に選ばれた大原にある紅葉名所を散策するコースです。三千院は大原を代表する紅葉名所です。三千院近くに勝林院・宝泉院があり、宝泉院では紅葉ライトアップが行われています。(要確認)大原は京都市街地よりも紅葉の見ごろが早く訪れます。
【大原・三千院紅葉散策コース】
【紅葉見ごろ・予測】
●2024年10月31日、ウェザーニュースは京都の紅葉見ごろが平年よりやや遅いと予想しました。嵐山は11月23日頃からです。
【京都紅葉 基礎知識】
紅葉は最低気温が8度以下の日が続くと見ごろが近くなり、最低気温が5~6度になると一気に進むと言われています。なお紅葉は緑色の色素・クロロフィル(葉緑素)が分解され、赤色の色素・アントシアンが生成されることで起こります。黄葉は緑色の色素・クロロフィルが分解され、黄色の色素・カロチノイドだけが残ることで起こります。アントシアニンは植物において広く存在する色素、カロテノイドは黄・橙・赤色などを示す天然色素です。
【紅葉の見頃(例年)】
三千院・・・11月中旬頃
宝泉院・・・11月中旬頃
勝林院・・・11月中旬頃
寂光院・・・11月上旬頃~中旬頃
【大原・三千院紅葉散策コース 三千院】
三千院は788年(延暦7年)最澄が比叡山に延暦寺を開いた際、東塔南谷に最澄自作の薬師如来像を本尊とする円融房(えんにゅうぼう)を開いたのが起源です。その後平安時代後期以降は宮門跡になりました。なお三千院はデューク・エイセスが歌った「女ひとり」の歌詞に登場します。
三千院紅葉見ごろ
【大原・三千院紅葉散策コース 宝泉院】
宝泉院は1012年(長和2年)第3代天台座主である慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)が創建した勝林院(しょうりんいん)の僧坊のひとつとして建立されました。なお僧坊は江戸時代に法泉坊(宝泉院)・実光坊(実光院)・理覚坊・普暁坊の4坊あったが、現在は宝泉院・実光院の2院しか残っていません。
宝泉院紅葉見ごろ
宝泉院紅葉ライトアップ
【大原・三千院紅葉散策コース 勝林院】
勝林院は835年(承和2年)円仁(えんにん)が創建しました。その後1013年(長和2年)天台宗の僧・寂源(じゃくげん)が再興したと言われています。なお勝林院では1186年(文治2年)顕真(けんしん)の招請により、法然上人と明遍などの高僧による宗論(大原問答・大原談義)が行われました。
勝林院紅葉見ごろ
【大原・三千院紅葉散策コース 寂光院】
寂光院は寺伝によると594年(推古天皇2年)聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔う為に建立したと言われています。なお1185年(寿永4年)平家が滅亡すると平清盛の娘で、高倉天皇の中宮、そして安徳天皇の生母・建礼門院徳子が入寺し、高倉天皇・安徳天皇の菩提を弔いながら余生を送りました。
寂光院紅葉見ごろ
【大原・三千院紅葉散策コース 実光院】
実光院は1012年(長和2年)第3代天台座主である慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)が創建した勝林院(しょうりんいん)の僧坊のひとつとして建立されました。なお僧坊は江戸時代に実光坊(実光院)・法泉坊(宝泉院)・理覚坊・普暁坊の4坊あったが、現在は実光院・宝泉院の2院しか残っていません。
実光院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【大原・三千院紅葉散策コース 来迎院】
来迎院は仁寿年間に円仁(えんにん)が天台声明(てんだいしょうみょう)の道場として創建したと言われています。天台声明は経典などに独特の節を付け、僧侶によって唱和されるものです。なお天台声明(魚山声明)は円仁が唐・魚山での14年間の仏教修学後、日本に伝えました。
来迎院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【大原・三千院紅葉散策コース 出世稲荷神社】
出世稲荷神社は1587年(天正15年)豊臣秀吉が聚楽第を造営した際、幼い頃から信仰していた稲荷神社を聚楽第内社に勧請したのが起源です。翌1588年(天正16年)後陽成天皇が聚楽第に行幸した際に稲荷神社に参拝し、立身出世を遂げた豊臣秀吉に因んで、「出世稲荷」の号を授けました。
出世稲荷神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【大原・三千院紅葉散策コース 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
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