宝泉院の紅葉見ごろ2025(時期:11月中旬頃)

宝泉院の紅葉見ごろ(時期・アクセス・概要)
宝泉院の紅葉見ごろ(時期・ライトアップ・・・)情報を紹介しています。宝泉院の紅葉見ごろは例年11月中旬頃です。宝泉院は額縁庭園とも言われる盤桓園などにイロハモミジ・イタヤモミジ・ニシキモミジなどが分布し、紅葉と盤桓園などの光景が美しいと言われています。なお紅葉見ごろにライトアップを行っています。(要確認)(詳細下記参照)
【宝泉院の紅葉見ごろ(例年時期)・2025年予測】
宝泉院の紅葉見ごろは例年11月中旬頃です。ただ紅葉の時期や見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2025年9月上旬頃から京都の紅葉見ごろ情報を情報発信します。
京都紅葉見ごろ2025(清水寺・東福寺・永観堂・・・)
【宝泉院紅葉 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市左京区大原勝林院町187
最寄り駅・バス停・・・大原(徒歩約15分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から宝泉院は17系統(C3乗り場)、18系統(C3乗り場)
*四条河原町・三条京阪からは17系統
*四条烏丸からは17系統
京都バス・アクセスダイヤ
【宝泉院の紅葉見ごろ(例年時期) 概要】
宝泉院は京都を代表する紅葉の名所です。宝泉院の紅葉見ごろは例年11月中旬頃です。ちなみに標高は約267メートルです。市街地よりも見ごろが早くなります。
宝泉院では額縁庭園とも言われる盤桓園(ばんかんえん)などにイロハモミジ・イタヤモミジ・ニシキモミジ・ドウダンツツジ・桜などが分布し、紅葉と盤桓園などの光景が美しいと言われています。宝泉院では紅葉と青々とした竹林のコントラストが素晴らしいと言われています。額縁庭園からの紅葉の眺めは絵画にも例えられています。ちなみに客殿では抹茶・茶菓子(若狭屋手作り)を味わいながら額縁庭園の中の色鮮やかな紅葉を楽しむことができます。(要確認)客殿では樹齢約700年の五葉の松(京都市天然記念物)もじっくり眺めましょう。なお宝泉院では紅葉見ごろにライトアップが行われ、期間中にはイベントも行われるそうです。(要確認)
宝泉院紅葉ライトアップ
宝泉院近くには宝泉院ゆかりで、紅葉名所とされる勝林院(しょうりんいん)があり、宝泉院と一緒に紅葉狩りするのがおすすめです。また宝泉院周辺には大原を代表する紅葉名所である三千院(さんぜんいん)もあり、寺社を巡りながら大原で紅葉狩りを楽しむのもいいかもしれません。
盤桓園は建物の柱や鴨居を額縁に見立てて、盤桓園を鑑賞することから額縁庭園とも言われています。ちなみに盤桓は立ち去りがたいとか、先に進まずにとどまるとかという意味だそうです。盤桓園は客殿の西方から鑑賞します。ちなみに客殿近くには樹齢約700年の五葉の松(京都市天然記念物)も植えられています。五葉の松は樹高約11メートルで、枝張りが南北約11.5メートル・東西約14メートルです。盤桓園には桜・ツツジ・サツキなども植えられています。
【宝泉院 歴史・簡単概要】
宝泉院は嘉禎年間(1235年~1238年)に「声明目録」を記し、声明の大家として知られる宗快法印が勝林院の塔頭として創建したと言われています。当初、了性坊と言われました。ちなみに勝林院は835年(承和2年)に第3代天台座主である慈覚大師・円仁が天台声明の根本道場として比叡山に創建したとも、1013年(長和2年)に慈覚大師・円仁の9代目弟子で、天台宗の僧・寂源が国家安穏の為、法儀声明念仏三昧(魚山流声明)の根本道場として創建したとも言われています。室町時代中期頃に了性坊(宝泉院)が廃絶したと言われています。1502年(文亀2年)に書院(本堂)が再建されました。元亀年間(1570年~1573年)に「両院僧坊歴代記」によると幸淵が了性坊(宝泉院)を再興したと言われています。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの前哨戦である伏見城の戦いで、江戸幕府初代将軍・徳川家康の家臣・鳥居元忠ら数百名が石田三成に破れて自刃しました。鳥居元忠らの供養の為に伏見城の床板が移され、書院の天井が血天井になったと言われています。1716年(正徳6年)に寺号が宝泉院に改められたと言われています。勝林院には江戸時代に宝泉院(法泉坊)・実光院(実光坊)・理覚坊・普暁坊の4つの僧房があったが、明治維新後に宝泉院・実光院だけが残されました。
*参考・・・宝泉院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【宝泉院紅葉 備考】
宝泉院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
★京都の紅葉名所では紅葉の見ごろに合わせ、ライトアップを行なっているところがあります。(下記リンク参照)
京都紅葉ライトアップ2025(清水寺・永観堂・東寺・・・)