嵐山・大覚寺紅葉散策コース(宝厳院・常寂光寺・二尊院・・・)

京都紅葉名所・嵐山

嵐山・大覚寺紅葉散策コース

嵐山・大覚寺紅葉散策コースは「日本の紅葉の名所100選」に選ばれた嵐山と時代劇のロケ地で知られる大覚寺周辺の紅葉名所を散策するコースです。嵐山は紅葉シーズン以外でも国内外の観光客が混雑するが、紅葉シーズンは大変混雑します。嵐山・大覚寺紅葉散策コース周辺には天龍寺・宝厳院・常寂光寺・二尊院・祇王寺・宝筐院・野宮神社・竹林の道などもあり、チャンスがあれば立ち寄りましょう。竹林の道は紅葉名所ではないが、国内外の観光客に人気があり、見逃せません。宝厳院・大覚寺では紅葉ライトアップを行うことがあります。

【嵐山・大覚寺紅葉散策コース】

【紅葉の見頃(例年)】
●2025年9月上旬頃から京都の紅葉見ごろ情報を情報発信します。
嵐山・・・11月中旬~11月下旬頃
天龍寺・・・11月中旬頃
宝厳院・・・11月中旬~11月下旬頃
常寂光寺・・・11月中旬~11月下旬頃
二尊院・・・11月中旬~11月下旬頃
祇王寺・・・11月中旬~11月下旬頃
宝筐院・・・11月中旬~11月下旬頃
大覚寺・・・11月中旬~11月下旬頃
野宮神社・・・11月中旬~11月下旬頃
京都紅葉見ごろ2025

【嵐山(あらしやま) 概要】

嵐山では山一帯にカエデなどが分布し、紅葉と嵐山・大堰川(桂川)・渡月橋などが見どころです。嵐山は古くから紅葉名所とされ、小倉百人一首を選定した歌人・藤原定家は「吹きさらふ もみぢの上の 霧はれて 嶺たしかなる あらし山かな」と詠みました。また歌人・藤原公任は「朝まだき 嵐の山の 寒ければ 紅葉の錦 着ぬ人ぞなき」と詠みました。嵐山は渡月橋の西側にある標高約380メートルの山です。嵐山は古くから京都を代表する景勝地で、平安時代に別荘地になり、国の史跡・名勝に指定されています。現在、一般的に嵐山と言う場合、山自体ではなく、エリアを指すことが多く、桂川の右岸・嵐山(西京区)と桂川の左岸・嵯峨野(右京区)を含め、嵐山・嵯峨野エリアと言われます。嵐山は京都を代表する人気観光地です。
嵐山紅葉見ごろ

【天龍寺(てんりゅうじ) 概要】

天龍寺ではカエデ・ドウダンツツジなどが分布し、紅葉と嵐山や小倉山を借景にした曹源池庭園などが見どころです。天龍寺は嵐山を代表する紅葉名所の為、紅葉シーズンに拝観時間が早められる場合があります。天龍寺は承和年間に嵯峨天皇の后・檀林皇后が創建した日本最初の禅寺・壇林寺があった場所です。その後亀山上皇の離宮・亀山殿が造営され、1335年(建武2年)に後醍醐天皇が亀山殿内に臨川寺を創建しました。天龍寺は1339年(延元4年・暦応2年)に足利尊氏が後醍醐天皇を弔う為、夢窓疎石を開山として創建しました。天龍寺は元号から暦応資聖禅寺と称したが、その後尊氏が弟・直義が見た大堰川から天に昇る金龍の夢から天龍資聖禅寺に改められました。
天龍寺紅葉見ごろ

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【宝厳院(ほうごんいん) 概要】

宝厳院では獅子吼の庭などにイロハモミジなどが分布し、紅葉と獅子吼の庭などが見どころです。ライトアップを行うことがあります。宝厳院は1461年(寛正2年)に細川頼之が天龍寺開山・夢窓疎石の三世の法孫・聖仲永光を開山として創建したのが起源と言われています。その後応仁の乱で焼失し、天正年間に再興されました。明治時代に河川工事によって寺域が買い上げられ、天龍寺の塔頭・弘源寺内に移り、2002年(平成14年)に天龍寺方丈の南側に移りました。宝厳院はかつて天龍寺の塔頭・妙智院の旧地で、妙智院の庭園は江戸時代に「都林泉名勝図会」に紹介されました。
宝厳院紅葉見ごろ宝厳院紅葉ライトアップ

【常寂光寺(じょうじゃっこうじ) 概要】

常寂光寺では小倉山中腹の境内にカエデなどが分布し、紅葉と仁王門周辺の庭園・参道などが見どころです。常寂光寺は小倉百人一首の撰者・藤原定家の小倉山荘・時雨亭があった場所とも言われています。常寂光寺は慶長年間に本圀寺16世・日禎上人が隠棲の地として開創したのが起源と言われています。角倉了以・角倉栄可が小倉山の麓の土地を寄進し、慶長年間に小早川秀秋の助力よって伏見城・客殿が移されて本堂が建立されました。1616年(元和2年)に本圀寺客殿の南門が移されて仁王門が建立されました。仁王像は運慶作とも言われ、目と足腰の病気にご利益があるとされています。
常寂光寺紅葉見ごろ

【二尊院(にそんいん) 概要】

二尊院では小倉山の麓に広がる境内にカエデなどが分布し、紅葉と紅葉の馬場とも謳われる参道などが見どころです。ちなみに倉山は「小倉百人一首」の中で藤原忠平が「小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ」と詠みました。二尊院は小倉百人一首を選んだ藤原定家の小倉山荘・時雨亭があった場所とも言われています。二尊院は承和年間に第3代天台座主である慈覚大師・円仁が嵯峨天皇の勅願によって創建したと言われています。二尊院の寺号は本尊である「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」に由来しています。二尊院は明治維新まで黒戸四ヶ院として、京都御所内の御黒戸を守りました。
二尊院紅葉見ごろ

【祇王寺(ぎおうじ) 概要】

祇王寺ではカエデと竹林などに囲まれ、紅葉と苔の庭・茅葺き屋根の本堂などが見どころです。真っ赤な紅葉と苔の緑のコントラストが美しいと言われています。祇王寺は平安時代に平清盛の寵愛を受けた祇王と仏御前が出家の為に入寺したとも言われています。その後法然上人の門弟・良鎮が創建した往生院があった場所と言われています。その後荒廃し、1868年(明治元年)に一時廃寺になり、大覚寺が残された墓や仏像を管理しました。1895年(明治28年)に北垣国道が別荘一棟を寄付し、寺院に改められて再興されました。祇王寺は本尊・大日如来、そして鎌倉時代作とも言われる清盛・祇王・祇女などの木像を安置しています。
祇王寺紅葉見ごろ

【宝筐院(ほうきょういん) 概要】

宝筐院ではヤマモミジなどが分布し、紅葉と青苔・白砂の回遊式庭園などが見どころです。モミジの絨毯とも称される敷きモミジが美しと言われています。宝筐院は平安時代に白河天皇の勅願により、鎮護国家・玉体安穏の為の勅願寺として創建されました。当初、善入寺と称しました。その後貞和年間に天龍寺開山・夢窓疎石の高弟・黙庵周諭禅師が入寺して臨済宗に改めました。1365年(貞治4年)に母を亡くし、黙庵周諭禅師に帰依した足利幕府2代将軍・足利義詮が伽藍を整備し、観林寺に寺号を改めたが、善入寺に戻されました。その後1367年(貞治5年)に義詮が亡くなると菩提寺になり、室町幕府8代将軍・足利義政の時代に義詮の院号「宝筐院殿道権瑞山」に因んで、宝筐院に名称が改められました。
宝筐院紅葉見ごろ

【大覚寺(だいかくじ) 概要】

大覚寺では大沢池周辺などにカエデなどが分布し、紅葉と大沢池・放生池などが見どころです。大沢池・放生池の水鏡には紅葉や心経宝塔などが映し出されます。ライトアップを行うことがあります。大覚寺は平安時代前期に嵯峨天皇が造営した離宮・嵯峨院があった場所です。876年(貞観18年)に嵯峨天皇の皇女で、淳和天皇の皇后・正子内親王が淳和天皇の皇子・恒寂入道親王を開山として離宮を寺院に改め、清和天皇から寺号・大覚寺を賜ったと言われています。鎌倉時代に後宇多法皇が伽藍を建立して再興し、大覚寺殿とも称され、院政を行ったことから嵯峨御所とも言われました。後宇多法皇と父・亀山法皇の皇統は後宇多法皇が大覚寺に住したことから大覚寺統と称されるようになりました。
大覚寺紅葉見ごろ大覚寺紅葉ライトアップ

【野宮神社(ののみやじんじゃ) 概要】

野宮神社ではカエデなどが分布し、紅葉と黒木鳥居・本殿・苔庭などが見どころです。野宮神社は天皇の代理で、伊勢神宮に仕えた斎王が伊勢へ向かう前に身を清めた「野宮」に由来しています。「野宮」は天皇の即位ごとに決められ、毎回違っていたが、平安時代初期に嵯峨天皇の皇女・仁子内親王からは野宮神社に「野宮」が作られるようになりました。しかし南北朝時代の兵火により、後醍醐天皇の皇女・祥子内親王を最後に斎王制度が廃絶され、「野宮」は野宮神社となって勅祭が行われるようになりました。
野宮神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【竹林の道(ちくりんのみち) 概要】

竹林の道は東端の野宮神社と西端の大河内山荘庭園を結ぶ長さ約300メートルの道です。竹林の道は北側の山陰本線・嵯峨野トロッコ列車と南側の天龍寺に挟まれた地域にあります。竹林の道では両側に竹林が広がり、晴れた日に木漏れ日が差し、風がある日に葉音が感じられます。竹林の道は無料であることもあり、嵐山・嵯峨野を代表する観光スポットになっています。
竹林の道(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【嵐山・大覚寺紅葉散策コース 備考】
散策コースではグーグルマップを使用して、スポットを紹介しています。
京都紅葉名所

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