真如院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
真如院
真如院(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。真如院では織田信長が足利義昭を迎えたと言われ、信長が義昭の為に作庭したという枯山水の庭園がありました。庭園には瓜実灯籠・烏帽子石・呼子の手水鉢があり、鱗形の石を並べて流れを表現した独創的な庭園だったそうです。
【真如院 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市下京区猪熊通五条上る柿本町677
最寄り駅・バス停・・・五条堀川(徒歩約3分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から真如院は地下鉄烏丸線
地下鉄・アクセスダイヤ
【真如院 拝観時間・時間(要確認)】
通常非公開
【真如院 拝観料金・料金(要確認)】
通常非公開
【真如院 歴史・簡単概要】
真如院(しんにょいん)は室町時代後期(戦国時代)の1535年(天文4年)に日蓮宗の僧・日映(にちえい)が日蓮宗の大本山で、六条門流の祖山(ろくじょうもんりゅうのそざん)・本圀寺(ほんこくじ)の塔頭(たっちゅう)として創建したと言われています。真如院の名称は「真実常の如し」という言葉に由来していると言われています。しかし翌1536年(天文5年)に比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)が京都洛中洛外の日蓮宗寺院21本山を焼き討ちした天文法華の乱(てんぶんほっけのらん・天文法難(てんぶんほうなん))によって焼失し、一時堺に避難しました。永禄年間(1558年~1570年)頃に再建され、1568年(永禄11年)に織田信長(おだのぶなが)が京都に入洛した室町幕府第15代将軍・足利義昭(あしかがよしあき)を迎えたと言われています。信長は義昭の為に鱗形(うろこがた)の石を並べた枯山水の庭園を作庭して招いたと言われています。その後1788年(天明8年)の天明の大火によって焼失し、寛政年間(1789年~1801年)に再建されました。1949年(昭和24年)に現在の場所に移り、1961年(昭和36年)に作庭家・重森三玲(しげもりみれい)が庭園を復元しました。
*参考・・・真如院
【真如院 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
真如院の見どころは庭園です。庭園は寺の移転後、重森三玲が江戸時代の「都林泉名勝図絵」を元に復元したものです。
【真如院 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・+81-75-811-0088
【真如院 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
【真如院 おすすめ散策ルート】
真如院からのおすすめ散策ルートは西本願寺を経由し、東本願寺に向かうルートです。20分ほど散策すれば、世界遺産である西本願寺を通り、東本願寺に行くことができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。なお西本願寺の西側には六花街のひとつだった島原の風情を今も残している輪違屋・島原大門があり、それらを散策するのもいいかもしれません。