篠村八幡宮(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
篠村八幡宮
篠村八幡宮(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。篠村八幡宮で鎌倉幕府打倒の挙兵をした足利尊氏は1333年(元弘3年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇が挙兵すると鎌倉幕府軍を率いて上洛したが、篠村八幡宮で鎌倉幕府への反乱を宣言し、六波羅探題を滅ぼし、建武の新政後の1338年(延元3年・暦応元年)に北朝第2代・光明天皇から征夷大将軍に任じらました。
【篠村八幡宮 アクセス・マップ】
場所・・・京都府亀岡市篠町篠八幡裏4
最寄り駅・バス停・・・馬堀駅(徒歩約20分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR嵯峨野線
*JR嵯峨野線亀岡駅から京阪京都交通バスの場合、篠(徒歩約5分)
【篠村八幡宮 拝観時間・時間(要確認)】
自由
【篠村八幡宮 拝観料金・料金(要確認)】
無料
【篠村八幡宮 歴史・簡単概要】
篠村八幡宮(しのむらはちまんぐう)は社伝や本殿の棟札によると平安時代後期の1071年(延久3年)に河内源氏2代目棟梁・源頼義(みなもとのよりよし)が勅宣(ちょくせん)によって大阪府羽曳野市の誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)から勧請して創建したと言われています。この地は藤原氏が荘園を開き、その後源氏が相伝するようになり、1072年(延久4年)5月13日付の源頼義の社領寄進状が残されています。鎌倉時代末期の1333年(元弘3年)4月29日に室町幕府初代将軍となる足利尊氏(あしかがたかうじ・足利高氏)が戦勝祈願の願文を奉じて10日間滞在し、同年5月7日に 鎌倉幕府の六波羅探題(ろくはらたんだい)を滅ぼしました。足利尊氏は源氏復興を願う願文や鏑矢(かぶらや)を奉納し、旗立楊(はたたてやなぎ)に白旗を立て、白旗が翻った場所に楊の木がそびえています。また1336年(延元元年・建武3年)1月30日に足利尊氏は京都攻防戦で敗れ、2月1日まで篠村八幡宮で味方の兵を集め、その後九州に逃れたが、態勢を整えると京都に戻り、1338年(延元3年・暦応元年)に北朝第2代・光明天皇(こうみょうてんのう)から征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任じられ、室町幕府を開きました。1349年(貞和5年)8月10日に足利尊氏がお礼に参詣し、歴代足利将軍から社領が寄進されたが、室町時代中期の応仁の乱(おうにんのらん)や明智光秀(あけちみつひで)によるによる丹波攻略で社伝や社領を失いました。江戸時代前期の寛永年間(1624年~1643年)に丹波国亀山藩初代藩主・菅沼定芳(すがぬまさだよし)が本殿を改修しました。なお篠村八幡宮は主祭神に誉田別命(ほんだわけのみこと)、合祀神に仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)・神功皇后(じんぐうこうごう)を祀っています。
*参考・・・篠村八幡宮(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)
【篠村八幡宮 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
篠村八幡宮の見どころは例年11月中旬頃~11月下旬頃に見ごろを迎える紅葉です。また足利尊氏ゆかりの楊の木(1992年(平成4年)に挿木された6、7代目)・矢塚も見どころです。更に亀岡の銘木100選に選ばれている樹高約27メートル・幹周約4.47メートルのツブラジイの大木も見どころです。
京都紅葉見ごろ
【篠村八幡宮 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・0771-24-6395
【篠村八幡宮 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
【篠村八幡宮 おすすめ散策ルート】
篠村八幡宮からのおすすめ散策ルートは北東にある法林寺・北側にある観音芝六地蔵に向かうルートです。10分ほど散策すれば、法林寺・観音芝六地蔵に行くことができます。なお篠村八幡宮周辺にはあまり観光スポットが多くない為、次の観光スポットに向かい、その周辺を散策するのもいいかもしれません。