雲林院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
雲林院
雲林院(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。雲林院は紫式部が晩年を過ごした寺と言われ、「源氏物語」第10帖「賢木(さかき)」の巻では「秋の野も見たまひがてら雲林院にまうで給へり」と記されています。なお紫式部墓所もかつて境内にあったと言われています。
【雲林院 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市北区紫野雲林院町23
最寄り駅・バス停・・・大徳寺前(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から雲林院は101系統(B2乗り場)、205系統(B3乗り場)、206系統(A3乗り場)
*四条河原町からは12系統、205系統
*四条烏丸からは12系統
*河原町丸太町からは204系統、205系統
路線・時刻表・運賃チェック
【雲林院 拝観時間・時間(要確認)】
6:30~17:00
【雲林院 拝観料金・料金(要確認)】
無料
【雲林院 歴史・簡単概要】
雲林院(うんりんいん・うりんいん)は平安時代前期に第53代・淳和天皇(じゅんなてんのう)の離宮・紫野院(むらさきのいん)があった場所でした。その後第54代・仁明天皇(にんみょうてんのう)の離宮になり、仁明天皇の第7皇子・常康親王(つねやすしんのう)に譲られました。869年(貞観11年)に常康親王が亡くなると僧正遍昭(そうじょうへんじょう)に託されて官寺・雲林院になり、884年(元慶8年)に僧正遍昭は天台宗(てんだいしゅう)の元慶寺(がんけいじ)の別院とし、鎌倉時代まで天台宗の官寺として栄え、菩提講(ぼだいこう)・桜・紅葉が知られていました。その後鎌倉時代に荒廃し、鎌倉時代後期の1324年(正中元年)に復興されて臨済宗(りんざいしゅう)大徳寺派の大本山・大徳寺(だいとくじ)の塔頭(たちゅう)になり、天台宗から臨済宗に改められました。その後室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年)の兵火で焼失して廃絶しました。江戸時代中期の1707年(宝永4年)に大徳寺291世・江西宗寛(こうざいそうかん)が再興し、かつての寺名を踏襲しました。
雲林院は臨済宗大徳寺の境外塔頭です。
*参考・・・雲林院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【雲林院 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
雲林院の見どころは本尊・十一面千手観世音菩薩を安置する観音堂です。観音堂は1707(宝永4年)に再建されました。
【雲林院 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・+81-75-431-1561
【雲林院 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
【雲林院 おすすめ散策ルート】
雲林院からのおすすめ散策ルートは大徳寺を経由し、金閣寺に向かうルートです。20分ほど散策すれば、世界遺産である金閣寺まで行くことができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。なお雲林院周辺には大徳寺だけでなく、瑞峯院・大仙院・芳春院・黄梅院・興臨院・龍光院などもあり、それらを散策してから金閣寺に向かうのもいいかもしれません。