明菴栄西(みょうあんえいさい)と京都ゑびす神社(恵美須神社)
明菴栄西と京都ゑびす神社(恵美須神社)
明菴栄西は1187年(文治3年)に南宋(中国)に渡り、1191年(建久2年)に帰国しました。帰国途中に暴風雨に見舞われたが、えびす神を船に祀ると暴風雨が収まりました。明菴栄西は建仁寺を創建した際、鎮守社として京都ゑびす神社を祀りました。
【京都ゑびす神社(恵美須神社)十日ゑびす大祭 日程時間(要確認)】
京都ゑびす神社十日ゑびす大祭は例年1月8日~12日に行われます。京都ゑびす神社では1月9日9:00から1月11日24:00まで夜通しで開門されます。
京都ゑびす神社(恵美須神社)十日ゑびす大祭
【十日ゑびす大祭 歴史・簡単概要】
十日ゑびす大祭では例年1月8日から12日までの5日間、商売繁昌・家運隆昌を祈願した吉兆笹が授与されます。また大宝・福俵・福箕・福熊手・福鯛・宝船・宝来などの縁起物も授与されます。また京都ゑびす神社では例年10月20日に二十日ゑびす大祭、前日19日に宵戎も行われています。二十日ゑびす大祭・宵戎では縁起物の福笹・次年度の暦・来年度の干支絵馬などが授与されます。
【建仁寺開山・明菴栄西(みょうあんえいさい)】
明菴栄西は鎌倉時代(1185年~1333年)初期の1187年(文治3年)に2度目となる南宋(中国)に渡り、1191年(建久2年)に日本に帰国しました。帰国途中の海上で暴風雨に見舞われて船が沈没しそうになったが、高波の中からえびす神が現れ、明菴栄西がえびす神を船に祀ると暴風雨が収まりました。明菴栄西は1202年(建仁2年)に建仁寺(けんにんじ)を創建し、その鎮守社として京都ゑびす神社を祀ったと言われています。京都ゑびす神社はえびす神とされる八重事代主大神(やえことしろぬしのおおかみ)を祀り、大黒天(だいこくてん)の妙円寺(みょうえんじ・松ヶ崎大黒天)・毘沙門天(びしゃもんてん)の東寺(とうじ)・弁財天(べんざいてん)の六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)、福禄寿(ふくろくじゅ)の赤山禅院(せきざんぜんいん)・寿老神(じゅろうじん)の行願寺(ぎょうがんじ・革堂(こうどう))・布袋尊(ほていそん)の萬福寺(まんぷくじ)とともに都七福神に数えられています。えびす神は唯一日本生まれの神とされています。
●えびす神は一般的に左手に鯛、右手に釣竿を持っています。えびす神は漁業を好み、海産物と米穀と交換したことから漁業・海上・商業・商売繁盛などの神とされています。
●明菴栄西は日本初の仏教通史である「元亨釈書(げんこうしゃくしょ)」によると1141年(永治元年)に岡山県岡山市・吉備津神社(きびつじんじゃ)の権禰宜(ごんねぎ)・賀陽貞遠の子、賀陽貞政の曽孫として生まれたと言われています。1148年(久安4年)に「倶舎論(くしゃろん)」・「婆沙論(ばさろん)」を読んだとも言われています。1151年(仁平元年)に備中の安養寺(あんようじ)の静心(じょうしん)に師事し、1154年(久寿元年)に比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)で出家得度しました。安養寺・延暦寺・伯耆の大山寺(だいせんじ)などで天台宗(てんだいしゅう)の教学・密教を学び、その後自分の坊号を冠した葉上流(ようじょうりゅう)を興しました。1157年(保元2年)に静心が亡くなると法兄・千命(せんめい)に従い、翌1158年(保元3年)に千命から虚空蔵求聞持法(こくぞうぐもんじほう)を受け、1167年(仁安2年)に大山寺の基好(きこう)から金剛界(こんごうかい)・胎蔵界(たいぞうかい)の灌頂(かんじょう)を受けました。1168年(仁安3年)に堕落した天台宗(てんだいしゅう)を立て直すべく、禅宗を学ぶ為に南宋(中国)に留学し、天台山万年寺(まんねんじ)を訪れ、同年9月に「天台章疎」60巻を持って帰国しました。1187年(文治3年)に再び南宋に渡り、仏法辿流の為にインド渡航を願い出るが、許可されませんでした。その後天台山万年寺の虚庵懐敞(こあんえじょう)に師事し、1189年(文治5年)に虚庵懐敞にともに天童山景徳寺(けいとくじ)に移り、1191年(建久2年)に虚庵懐敞から臨済宗(りんざいしゅう)黄龍派(おうりゅうは)の嗣法(しほう)の印可(いんか)を受け、号「明菴」を授かりました。1191年(建久2年)に帰国して布教を開始し、お茶の種を持ち帰って栽培も始めました。1195年(建久6年)に博多の聖福寺(しょうふくじ)を創建して日本最初の禅道場にしました。1198年(建久9年)に京都での布教に限界を感じて鎌倉に下向し、1200年(正治2年)に鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)一周忌の導師を務め、源頼朝の継室・北条政子(ほうじょうまさこ)創建の寿福寺(じゅふくじ)の住職に招聘されました。1202年(建仁2年)に鎌倉幕府2代将軍・源頼家(みなもとのよりいえ)の外護によって建仁寺(けんにんじ)を創建し、1204年(元久元年)に俊乗坊重源上人(しゅんじょうぼうちょうげんしょうにん)の跡を継いで東大寺(とうだいじ)勧進職(かんじんしょく)に就任し、東大寺の復興に尽力しました。明菴栄西は「興禅護国論」・「喫茶養生記」・「一代経論釈」などを記しました。なお明菴栄西は1215年(建保3年)に亡くなりました。
【明菴栄西と京都ゑびす神社(恵美須神社) 備考】
京都十日戎・十日えびす












