聚楽第跡(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

聚楽第跡

聚楽第跡(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。聚楽第を造営した豊臣秀吉は1537年(天文6年)に木下弥右衛門の子として生まれ、織田信長に仕えて戦功を重ね、山崎の戦いで明智光秀を破り、四国・九州・関東・奥羽を平定し、1590年(天正18年)に天下を統一を成し遂げました。

【聚楽第跡 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区中立売通浄福寺東
最寄り駅・バス停・・・千本出水(徒歩約15分)

アクセス路線は次の通りです。
*京都駅からは206系統 (A3乗り場)
*四条河原町からは10系統、46系統、201系統
*四条烏丸からは46系統、55系統、201系統
*河原町丸太町からは10系統
路線・時刻表・運賃チェック

【聚楽第跡 拝観時間・時間(要確認)】
自由

【聚楽第跡 拝観料金・料金(要確認)】
無料

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【聚楽第跡 歴史・簡単概要】
聚楽第跡(じゅらくだいあと・じゅらくていあと)は京都府京都市上京区中立売通浄福寺東にあります。聚楽第は本丸・南二ノ丸・北ノ丸・西ノ丸の内郭と外堀に囲まれた外郭の二重構造になっていました。外郭は元誓願寺通・堀川通・押小路通・千本通に囲まれるエリアにあり、南北約700メートル・東西約600メートルで、聚楽第は二条城(南北約400メートル・東西約500メートル)よりも一回り大きい規模だったと言われています。聚楽第は安土桃山時代(1573年~1603年)の1586年(天正14年)2月に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が政庁兼邸宅として着工され、翌1587年(天正15年)9月に完成しました。豊臣秀吉は本拠地を大坂に定め、二条第(妙顕寺城)で政務を行っていたが、聚楽第が完成すると二条第から移りました。その後1588年(天正16年)に第107代・後陽成天皇(ごようぜいてんのう)が行幸したり、江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)が謁見したりしました。1591年(天正19年)に豊臣秀吉が豊臣氏の氏長者・家督と関白職を養子で、甥・豊臣秀次(とよとみひでつぐ)に譲って豊臣秀次の邸宅になりました。1592年(天正20年)に後陽成天皇が再び行幸しました。1594年(文禄3年)頃に北ノ丸が増築されました。1595年(文禄4年)7月に豊臣秀次が豊臣秀吉によって高野山に追放されて切腹し、翌8月から聚楽第が徹底的に破却され、一部は築城中だった伏見城に移されました。ちなみに豊臣秀吉は御所に参内する為に現在の仙洞御所の場所に京都新城を造営し、その後豊臣秀吉の正室・北政所が住しました。聚楽第跡は勧進能や芸能興行が行われる場所になり、その後次第に人家が立ち並ぶようになりました。
*参考・・・聚楽第跡(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)

【聚楽第跡 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
聚楽第跡の見どころは出土した金箔瓦などです。また聚楽第から移築されたと言われる大徳寺(だいとくじ)の唐門(国宝)・妙覚寺(みょうかくじ・妙覺寺)の大門(京都府指定有形文化財)も見どころです。

【聚楽第跡 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・075-213-1717(京都市観光協会)

【聚楽第跡 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】

【聚楽第跡 おすすめ散策ルート】
聚楽第跡からのおすすめ散策ルートは南側の二条城に向かうルートです。10分~30分ほど散策すると二条城に行くことができます。二条城では二の丸御殿・唐門などの建築物や梅・桜などの四季折々の草木を楽しむことができます。なお少し距離があるが東側に位置する京都御苑まで散策するのもおすすめです。京都御苑でも二条城と同じように四季折々の草木を楽しむことができます。

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