浄土院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
浄土院
浄土院(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。浄土院に伝教大師・最澄の遺骸を移した慈覚大師・円仁は808年(大同3年)に唐(中国)から帰国した最澄に師事し、その後最澄最期の14年間に仕えました。822年(弘仁13年)に最澄から一心三観の妙義を授けられ、854年(斉衡元年)に第3代天台座主に就きました。
【浄土院 アクセス・マップ】
場所・・・滋賀県大津市坂本本町・延暦寺内
最寄り駅・バス停・・・西塔(徒歩約8分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*延暦寺バスセンターからシャトルバス
路線・時刻表・運賃チェック
【浄土院 拝観時間・時間(要確認)】
確認中
【浄土院 拝観料金・料金(要確認)】
確認中
【浄土院 歴史・簡単概要】
浄土院(じょうどいん)は根本中堂(こんぽんちゅうどう)が建立されている東塔と第2代天台座主(てんだいざす)である寂光大師・円澄が開いた西塔の境目に位置しています。浄土院では天台宗(てんだいしゅう)の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)が自ら刻んだ阿弥陀仏(あみだぶつ)を安置したとも言われています。浄土院では平安時代前期の854年(仁寿4年)7月に第3代天台座主である慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)が822年(弘仁13年)6月4日に亡くなった伝教大師・最澄の遺骸を移して安置しました。伝教大師・最澄は767年(神護景雲元年)に近江国滋賀郡(滋賀県大津市坂本)の豪族・三津首百枝の子として生まれました。778年(宝亀9年)に近江国分寺で出家して行表の弟子になり、780年(宝亀11年)に得度しました。785年(延暦4年)に奈良・東大寺で具足戒を受け、788年(延暦7年)に比叡山に草庵を結び、根本中堂となる一乗止観院を創建しました。802年(延暦21年)に入唐求法の還学生に選ばれ、804年(延暦23年)に真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)らとともに入唐し、中国・天台山で道邃(どうずい)・行満(ぎょうまん)らに師事し、円・密・禅・戒の諸教を受け、805年(延暦24年)に帰国しました。806年(大同元年)に天台宗の開創が許され、819年(弘仁10年)に比叡山に大乗戒壇建立を奏上したが、南都六宗の反対で許されず、822年(弘仁13年)6月4日に亡くなりました。死後7日目に大乗戒壇建立の勅許が下り、866年(貞観8年)に第56代・清和天皇から諡号・伝教大師が贈られました。浄土院は戦国時代(室町時代後期)の1571年(元亀2年)に織田信長(おだのぶなが)が比叡山焼き討ちを行った際に焼失し、江戸時代前期の1662年(寛文2年)に伝教大師御廟・拝殿が再建されたと言われています。なお浄土院では12年籠山の僧が午前3時に起床し、伝教大師・最澄が生きているかのように毎日奉仕しています。
浄土院は比叡山延暦寺の塔頭です。
*参考・・・浄土院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【浄土院 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
浄土院の見どころはいずれも重要文化財である伝教大師御廟・拝殿・唐門です。伝教大師御廟は江戸時代前期の1662年(寛文2年)に建立されました。伝教大師御廟は桁行三間・梁間三間で、宝形造(ほうぎょうづくり)の瓦棒銅板葺(かわらぼうどうばんぶき)です。拝殿は1662年(寛文2年)に建立されました。拝殿は桁行五間・梁間三間で、入母屋造(いりもやづくり)の銅板葺です。唐門は1666年(寛文6年)に建立されました。唐門は一間一戸の向唐門(むこうからもん)で、銅板葺です。
【浄土院 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・077-578-0001(延暦寺)
【浄土院 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
【浄土院 おすすめ散策ルート】
浄土院からのおすすめ散策ルートは北側にある箕淵弁財天・常行堂・にない堂・釈迦堂・鐘楼・弥勒菩薩・弥勒石仏などを巡るルートです。1時間ほど散策すれば、常行堂・にない堂・釈迦堂などをめぐることができます。なおシャトルバスで東塔に戻り、東塔に建立されている堂塔を巡るのもいいかもしれません。