車折神社節分祭-2025年の節分は2月2日(日程時間・・・)
車折神社節分祭
車折神社節分祭(日程・時間・・・)を紹介しています。節分祭は例年節分(立春の前日)に行われています。節分祭では冬が去り、春が来る境目となる節分の夕刻に厄除開運・金運招来を祈願する祈祷が行なわれます。節分祭では車折神社に古来から伝わる秘儀が行われます。節分祭では郵送で祈祷を申し込むことができます。(要確認)(詳細下記参照)
【車折神社節分祭2024 日程時間(要確認)】
車折神社節分祭2024は2024年(令和6年)2月3日(土曜日)夕方から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・車折神社ホームページ
●京都の寺院・神社では節分・豆まきなどの行事が行われています。
京都節分・豆まき2025
【車折神社節分祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市右京区嵯峨朝日町23
最寄り駅・バス停・・・車折神社前(徒歩約3分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは72系統(C6乗り場)、73系統(C6乗り場)
*四条河原町からは61系統、62系統、63系統
京都バス・アクセスダイヤ
*嵐電(京福電鉄)嵐山本線の場合、最寄り駅は車折神社駅(徒歩約1分)
*JR嵯峨野線の場合、最寄り駅は嵯峨嵐山駅(徒歩約10分)
【車折神社節分祭 歴史・簡単概要】
車折神社節分祭(せつぶんさい)は例年節分(立春の前日)に行われています。節分祭では厄除け・招福を祈願します。
節分祭では冬(陰)が去り、春(陽)が来る境目となる節分の夕刻に厄除開運・金運招来を祈願する祈祷が行なわれます。節分祭では車折神社に古来から伝わる秘儀が行われます。節分祭では郵送で祈祷を申し込むことができ、宮司が祈念した車折大神鎮護の神符・一陽来福の護符・一陽来福の種銭・御守・福豆などが郵送されます。(要確認)車折大神鎮護の神符は神棚や目線よりも高い場所に南または東に向くように祀ります。一陽来福の護符は出入口である玄関に貼ります。一陽来福の種銭は財布や金庫などに入れます。御守は身に着けます。
- 節分は元々季節が変わる節目で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を差していたが、江戸時代以降は立春の前日だけを指す場合が多くなりました。節分には邪気悪霊(鬼)が外から入ってくるのを防ぐ為、「鬼は外・福は内」と言いながら福豆を撒き、年の数だけ福豆を食べて厄除けをします。豆撒きは平安時代中期に鞍馬山の鬼が都を荒らしたことから毘沙門天のお告げにより、鬼の穴を祈祷で封じ、鬼の目を炒り豆で打ちつぶしたということに由来しています。豆などの穀物には魔除けの呪力や生命力を持つという穀霊が宿っているとも言われています。豆は鬼の目を表す「魔目(まめ)」から鬼を滅する「魔滅」を意味するようになったそうです。
【車折神社 歴史・簡単概要】
車折神社(くるまざきじんじゃ)は鎌倉時代初期の1189年(文治5年)に漢学者・儒学者であった清原頼業(きよはらのよりなり)が亡くなり、清原家の領地だった現在の場所に廟が建てられ、その後寺院・宝寿院(ほうじゅいん)が創建されたの起源と言われています。宝寿院の名称は頼業の法名・宝寿院殿に由来しています。頼業は生前から桜を殊に愛し、廟には多くの桜が植えられたことから「桜の宮」とも言われていたそうです。その後1190年(建久元年)頃に車折神社が建立され、鎌倉時代に第88代・後嵯峨天皇(ごさがてんのう)から「車折大明神」の神号を賜り、神階・正一位を贈られました。南北朝時代の1339年(延元4年・暦応2年)に室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)が南朝初代で、第96代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう)を弔う為に夢窓疎石(むそうそせき)を開山として天龍寺を創建されると宝寿院は天龍寺の末寺になりました。
*参考・・・車折神社ホームページ
【車折神社節分祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
車折神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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