北野天満宮献茶祭2024年12月1日(日程時間・・・)
北野天満宮献茶祭
北野天満宮献茶祭(日程・時間・・・)を紹介しています。献茶祭は例年12月1日に行われています。献茶祭では藪内家・表千家・裏千家・武者小路千家・堀内家・久田家の4家元2宗匠が6年毎に輪番で、神前にお茶を供える献茶式を行います。なお献茶祭では北野天満宮内に茶席などが設けられるだけでなく、上七軒歌舞練場にも副席が設けられます。(要確認)(詳細下記参照)
【北野天満宮献茶祭2024 日程時間(要確認)】
北野天満宮献茶祭2024は2024年(令和6年)12月1日(日曜日)10:00から行われます。本席は神事終了後~15:00頃、副席は9:00~15:00頃です。(現在確認中・要注意)なお例年、拝服茶券は11月上旬頃から文道会館で頒布され、当日券は9:00から受付が行われます。(拝服茶券枚数限定)
*参考・・・北野天満宮ホームページ
【北野天満宮献茶祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区御前通今出川上る馬喰町
最寄り駅・バス停・・・北野天満宮前(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から北野天満宮は50系統(B2乗り場)、101系統(B2乗り場)
*四条河原町からは51系統
*四条烏丸からは55系統、101系統、203系統
*河原町丸太町からは10系統
路線・時刻表・運賃チェック
*嵐電(京福電鉄)北野線の場合、最寄り駅は北野白梅町駅(徒歩約7分)
【北野天満宮献茶祭 歴史・簡単概要】
北野天満宮献茶祭(けんちゃさい)は1587年(天正15年)10月1日(新暦の11月1日)関白・豊臣秀吉が行った北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)に因んだ祭礼です。献茶祭では11月に行われた御茶壺奉献祭・口切式(おちゃつぼほうけんさい・きりくちしき)で奉納された碾茶(てんちゃ)が石臼で挽かれて抹茶にして使われます。献茶祭では藪内家・表千家・裏千家・武者小路千家・堀内家・久田家の4家元2宗匠が6年毎に輪番で、神前にお茶を供える献茶式を行います。なお献茶祭では北野天満宮内に茶席などが設けられるだけでなく、上七軒歌舞練場にも副席が設けられます。(要確認)
北野大茶湯(北野大茶会)は豊臣秀吉が行った身分を問わない無礼講の茶会です。北野大茶湯では1500軒以上の数寄屋や茶屋を建てて客をもてなしたり、秀吉が所有する名物(茶道具)を公開したりしました。秀吉は千利休・津田宗及(つだそうきゅう)・今井宗久(いまいそうきゅう)とともに亭主(茶頭)を務めました。なお北野大茶湯は当初10日間の予定だったが、たった1日で終わったそうです。ちなみに肥後(熊本県)の国人一揆が発生したことが切り上げの理由とも言われています。
御茶壺奉献祭・口切式では木幡・宇治・莵道・伏見桃山・小倉・八幡・京都・山城など山城六郷で生産された碾茶(てんちゃ)が名茶師から奉献されます。
藪内家(やぶのうちけ)・古儀茶道藪内流は藪内宗巴(やぶのうちそうは)を遠祖とし、宗巴の養子・剣仲紹智(けんちゅうじょうち)が千利休に師事して始まりました。
表千家(おもてせんけ)は千利休による千家流茶道の本家であり、利休が建てた茶室・不審庵(ふしんあん)を継いだ利休の孫・千宗旦(せんそうたん)の三男・江岑宗左(こうしんそうさ)に始まります。
裏千家(うらせんけ)は利休の孫・千宗旦が建てた茶室・今日庵(こんにちあん)を継いだ宗旦の末っ子・仙叟宗室(せんそうそうしつ)に始まります。
武者小路千家(むしゃのこうじせんけ)は千利休の孫・宗旦(そうたん)の次男・一翁宗守(いちおうそうしゅ)が茶室・官休庵(かんきゅうあん)が開いたことに始まります。
堀内家(ほりのうちけ)は表千家の宗匠を務める茶家です。堀内家は表千家6代・覚々斎原叟宗左の門弟・堀内仙鶴(ほりのうちせんかく)が初代です。
久田家(ひさだけ)は表千家に属する茶家です。千利休の妹の子・久田宗栄(ひさだそうえい)が初代です。
●北野天満宮の歴史(創建から現在)を紹介しています。
北野天満宮歴史(菅原道真・豊臣秀吉・豊臣秀頼)
●北野天満宮の見どころ(本殿・三光門など)を紹介しています。
北野天満宮見どころ(本殿・三光門など)
【北野天満宮 歴史・簡単概要】
北野天満宮(きたのてんまんぐう)は平安時代中期の947年(天暦元年)に西ノ京に住んでいた多治比文子(たじひのあやこ)・近江(滋賀)比良宮(ひらのみや)の神主である神良種(みわのよしたね)・北野朝日寺(東向観音寺(ひがしむかいかんのんじ))の僧である最珍(さいちん・最鎮)らが神殿を造営し、祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)を祀ったのが起源です。903年(延喜3年)に菅原道真が左遷された大宰府で没し、942年(天慶5年)に多治比文子に宣託があり、947年(天暦元年)には神良種の子・太郎丸に再び託宣があったとも言われています。その後菅原道真の左遷の原因になった左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)の甥・藤原師輔(ふじわらのもろすけ)が私邸を寄贈し、大規模な社殿が造営されました。987年(永延元年)に第66代・一条天皇が勅使を派遣して国家の平安を祈願する勅祭が行われ、神号「北野天満宮天神」を賜り、1004年(寛弘元年)には一条天皇が行幸し、その後皇室に崇敬されました。しかし1444年(文安元年)の文安の麹騒動(ぶんあんのこうじそうどう)で室町幕府の攻撃によって焼失して一時衰退しました。1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉が境内で北野大茶会(きたのだいさのえ)を行い、1607年(慶長12年)には秀吉の子・豊臣秀頼が本殿などを造営しました。なお北野天満宮は「文道の大祖・風月の本主」と言われる菅原道真を祀っていることもあり、学問の神として多くの信仰を集めています。
北野天満宮は菅原道真を祀った神社の総本社です。
*参考・・・京都・北野天満宮(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
【北野天満宮献茶祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
京都・北野天満宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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