藤原百川公墓(アクセス・マップ・見どころ・概要・・・)
藤原百川公墓
藤原百川公墓(アクセス・見どころ・拝観料金・・・)情報を紹介しています。藤原百川公墓に弔われる藤原百川は769年(神護景雲3年)に弓削道鏡が皇位(天皇位)を得ようとした宇佐八幡宮神託事件(道鏡事件)の際、藤原永手らともに阻止し、第48代・称徳天皇が崩御すると弓削道鏡を下野薬師寺別当に左遷し、第49代・光仁天皇を擁立しました。
【藤原百川公墓 アクセス・マップ】
場所・・・京都府木津川市相楽城西
最寄り駅・バス停・・・山田川駅(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*近鉄京都線
路線・時刻表・運賃チェック
【藤原百川公墓 拝観時間・時間(要確認)】
自由
【藤原百川公墓 拝観料金・料金(要確認)】
無料
【藤原百川公墓 歴史・簡単概要】
藤原百川公墓(ふじわらのももかわこうのはか)は京都府木津川市相楽城西にあります。藤原百川公墓は北ノ庄児童遊園内にあります。藤原百川公墓は玉垣で囲まれ双丘(二つの円墳)で、藤原百川と夫人・藤原諸姉(ふじわらのもろあね・藤原良継(ふじわらのよしつぐ)の娘)の墓とされています。藤原百川の墓は勅撰史書「日本後紀(にほんこうき)・平安時代初期編纂」の797年(延暦16年)2月1日条に「賜山城国相楽郡田二町六段。為贈右大臣従二位藤原朝臣百川墓地。」と記され、779年(宝亀10年)に亡くなった藤原百川の墓が797年(延暦16年)に相楽に改葬されたと言われています。その後藤原百川の墓の所在が分からなくなり、1894年(明治27年)に伝承や江戸時代の文献からこの地に比定されたと言われています。なお藤原百川は藤原式家の祖・藤原宇合(ふじわらのうまかい)の八男として生まれ、759年(天平宝字3年)に従五位下に叙せられ、763年(天平宝字7年)に智部少輔に任じられました。769年(神護景雲3年)の宇佐八幡宮神託事件(道鏡事件)の際に弓削道鏡に反対し、第48代・称徳天皇が崩御すると弓削道鏡を追放し、第49代・光仁天皇を擁立しました。また772年(宝亀3年)に光仁天皇の皇后・井上内親王と皇太子・他戸親王を廃し、皇太子に山部親王 (第50代・桓武天皇) を擁立しました。779年(宝亀10年)に亡くなり、823年(弘仁14年)に藤原百川の孫で、第53代・淳和天皇が即位すると天皇の外祖父として、正一位・太政大臣が追贈されました。
*参考・・・藤原百川公墓(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)
【藤原百川公墓 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
藤原百川公墓の見どころは公墓そのものです。鳥居や石碑が建てられています。また桜も見どころです。
*京都には多くの桜名所があり、その桜見ごろを下記リンクから確認できます。
京都桜見ごろ2025(清水寺・哲学の道・原谷苑・・・)
【藤原百川公墓 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0774-39-8191(木津川市観光協会)
【藤原百川公墓 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
【藤原百川公墓 おすすめ散策ルート】
藤原百川公墓からのおすすめ散策ルートは山田川を渡って、西側にある相楽神社を散策することです。10分ほど散策すると相楽神社に行くことができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。なお大智寺周辺にはあまり観光スポットが多くない為、次の観光スポットに向かい、その周辺を散策するのもいいかもしれません。