二条城能楽公演(日程・時間・・・)
二条城能楽公演
二条城能楽公演(日程・時間・・・)を紹介しています。能楽公演では世界遺産である二条城の二の丸御殿にある台所(重要文化財)を舞台に観世流の能と大蔵流の狂言が披露されます。ちなみに観世流は片山九郎右衛門による紅葉狩、大蔵流は茂山千作・茂山千五郎による萩大名が演じられます。
【二条城能楽公演2017 日程時間(要確認)】
二条城能楽公演2017は2017年10月13日(金曜日)18:30~21:00頃まで行われます。
【二条城能楽公演 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
最寄り駅・バス停・・・二条城前(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から二条城は9系統(B1乗り場)、50系統(B2乗り場)、101系統(B2乗り場)
*四条河原町からは12系統、15系統
*四条烏丸からは101系統
路線・時刻表・運賃チェック
*地下鉄東西線の場合、最寄り駅は二条城前駅(徒歩すぐ)
【二条城能楽公演 歴史・簡単概要】
二条城能楽公演(のうがくこうえん)は東アジア文化都市2017京都実行委員会・京都市の主催で行われます。能楽公演では東アジアとの交流によってもたらされ、日本の精神文化の中で磨かれてきた伝統芸能の魅力を国内外に伝えていく為におこなわれます。能楽公演では世界遺産である二条城の二の丸御殿にある台所(重要文化財)を舞台に観世流の能と大蔵流の狂言が披露されます。ちなみに観世流は片山九郎右衛門による紅葉狩、大蔵流は茂山千作・茂山千五郎による萩大名が演じられます。
能・狂言はとともに平安時代に起こった猿楽が起源です。能はストーリー性のある猿楽の能から発展した歌舞劇、狂言は滑稽な物真似(ものまね)を洗練させた庶民的な喜劇・笑劇です。なお能・狂言は明治維新前までは猿楽と言われていたが、明治維新後は能楽と言われるようになりました。
観世流は大和猿楽・結崎座(ゆうざきざ)を起源とし、観阿弥清次(かんあみきよつぐ)が流祖です。観世流の名称は流祖・観阿弥の幼名・観世丸に由来しています。なお観世流は江戸時代に四座一流の筆頭とされ、現在もシテ方の五流(観世流・金剛流・宝生流・金春流・喜多流)の最大流派です。
大蔵流は天台宗の学僧・玄恵法印(げんえほういん)を流祖とし、室町時代後期に金春座(こんぱるざ)で狂言を務めていた大蔵弥右衛門(おおくらやえもん)が起こした狂言の流派です。なお大蔵流は奈良の興福寺(こうふくじ)・春日大社(かすがたいしゃ)などで奉仕した大和猿楽(やまとさるがく)系の狂言を伝える唯一の流派とも言われています。
●二条城の歴史(築城から現在)を紹介しています。
二条城歴史(徳川家康・徳川家光・・・)
●二条城の見どころ(二の丸御殿・二の丸庭園など)を紹介しています。
二条城見どころ(二の丸御殿・二の丸庭園など)
【二条城 歴史・簡単概要】
二条城(にじょうじょう)・元離宮二条城(もとりきゅうにじょうじょう)は平安時代に禁苑(宮中の庭)だった神泉苑(しんせんえん)の一部で、かつて内裏も造営された場所でした。1601年(慶長6年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康が京都御所の守護・将軍の宿泊所として築城を開始し、1603年(慶長8年)には本丸御殿(二の丸御殿)が完成しました。家康は伏見城での将軍宣下の後に入城し、重臣・公家衆を招いて将軍就任の祝賀の儀を行いました。その後1624年(寛永元年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光が第108代・後水尾天皇の行幸の際に大規模な改修・増築を行い、1626年(寛永3年)には後水尾天皇と中宮・和子(徳川和子・東福門院)が行幸して5日間滞在しました。1750年(寛延3年)の雷火によって五層の天守が焼失し、1788年(天明8年)の天明の大火によって本丸などが焼失しました。なお二条城は1994年(平成6年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都京都の文化財)のひとつに登録されました。
*参考・・・二条城(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【二条城能楽公演 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
二条城(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報