法住寺今様合2025年10月12日(日程時間・・・)

法住寺

法住寺今様合

法住寺今様合(日程・時間・・・)を紹介しています。今様合は例年10月の第2日曜日に行われています。今様合では先ず阿弥陀堂で読経・焼香などの法要が行われ、次に後白河法皇像がご開帳されます。その後華麗な平安装束を身に付けた歌人が今様を即興で作り、白拍子(しらびょうし)・楽人(がくじん)が歌舞楽(かぶら)を即興で演じます。 (詳細下記参照)

【法住寺今様合2025 日程時間(要確認)】
法住寺今様合2025は2025年(令和7年)10月12日(日曜日)15:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・法住寺ホームページ

【法住寺今様合 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区法住寺三十三間堂廻り町655
最寄り駅・バス停・・・博物館・三十三間堂前(徒歩約5分)、東山七条(徒歩約5分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から法住寺は100系統(D1乗り場)、110系統(D1乗り場)、206系統(D2乗り場)、208系統(D2乗り場)
*四条河原町からは207系統
*四条烏丸からは207系統
*河原町丸太町からは202系統
路線・時刻表・運賃チェック

*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は七条駅(徒歩約10分)

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【法住寺今様合 歴史・簡単概要】
法住寺今様合(いまようあわせ)は1986年(昭和61年)から日本今様歌舞楽会が主体となり、平安の雅を復活されました。なお法住寺がある場所はかつて後白河上皇の御所・法住寺殿があり、1174年(承安4年)9月1日から15日間、後白河上皇が貴族を集めて今様歌合せを行ったと言われています。ちなみに今様合では貴族30人が15人ずつ2組に分かれ、一晩に一試合、合計15日間行われたそうです。なお後白河上皇は今様を愛好し、熱中し過ぎて喉を痛めたことが自ら編纂した「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」に記されているそうです。
今様合では先ず阿弥陀堂で読経・焼香などの法要が行われ、次に後白河法皇像がご開帳されます。その後華麗な平安装束を身に付けて今様合が再現されます。2組に分かれた歌人が今様を即興で作り、白拍子(しらびょうし)・楽人(がくじん)が歌舞楽(かぶら)を即興で演じます。
今様は現代風・当世風という意味で、平安時代中期から鎌倉時代に掛けて流行した歌謡です。今様の歌詞は7・5・7・5・7・5・7・5の七五調四句の詞型をしています。なお今様以前には神楽歌・催馬楽・風俗歌などが歌謡の中心だったそうです。ちなみに今様が初めて文献に登場するのは1008年(寛弘5年)8月に記された「紫式部日記」です。

【法住寺 歴史・簡単概要】
法住寺(ほうじゅうじ)は平安時代中期に太政大臣・藤原為光(ふじわらのためみつ)が妻と花山天皇の女御だった娘の菩提を弔う為に創建したのが起源です。その後1032年(長元5年)の火災によって焼失しました。1161年(永暦2年)後白河上皇が法住寺跡に御所・法住寺殿を営み、1176年(安元2年)後白河上皇の女御・建春門院(平滋子)が亡くなると建春門院の御陵として、法華堂を建立しました。しかし1183年(寿永2年)木曽義仲によって焼き討ちされ、1192年(建久3年)後白河上皇が亡くなると新たに法華堂が建てられ、上皇の御陵に定められました。
法住寺は天台宗の寺院です。
*参考・・・法住寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【法住寺今様合 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
法住寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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