正法寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)

正法寺

正法寺(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。正法寺ゆかりの第45代・聖武天皇の第2皇子・安積親王は第1皇子で、皇太子・基皇子が亡くなり、皇太子の有力な候補になったが、聖武天皇と光明皇后との皇女で、第46代・孝謙天皇と第48代・称徳天皇となる阿倍内親王が史上唯一とも言われる女性皇太子になりました。

【正法寺 アクセス・マップ】
場所・・・京都府相楽郡和束町大字南小字下河原71
最寄り駅・バス停・・・山の家(徒歩約5分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR加茂駅から奈良交通バス

【正法寺 拝観時間・時間(要確認)】

【正法寺 拝観料金・料金(要確認)】

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【正法寺 歴史・簡単概要】
正法寺(しょうほうじ)は起源が明確ではありません。正法寺は奈良時代の744年(天平16年)に僧・行基(ぎょうき・ぎょうぎ)が同年3月に17歳で亡くなった第45代・聖武天皇の第2皇子・安積親王(あさかしんのう)の菩提を弔う為に創建したとも言われています。正法寺は当初背後の仏法寺山に建立され、幡寺または仏法寺と称されたとも言われています。ちなみに僧・行基は聖武天皇から奈良の大仏(東大寺(とうだいじ))造立の実質上の責任者として招聘され、東大寺開基の聖武天皇・東大寺開山の良弁(ろうべん・りょうべん)・大仏開眼会の導師である菩提僊那(ぼだいせんな)とともに東大寺の四聖(ししょう)に数えられました。元弘年間(1331年~1333年)・建武年間(1334年~1336年)頃に武将の陣所となって荒廃し、仏光寺城主・田村貞清の祖父・田村宗意が無量寿仏(むりょうじゅぶつ・阿弥陀如来(あみだにょらい))を求めたことから田村貞清の父・田村了徹が寺院を建立し、田村貞清が臨済宗(りんざいしゅう)永源寺派の大本山である永源寺(えいげんじ)第81世で、中興の祖・如雪文厳(にょせつもんがん)を招聘して禅寺に改めました。江戸時代前期の正保年間(1644年~1648年)に如雪文厳が第108代・後水尾天皇とその中宮・東福門院(とうふくもんいん・徳川和子(とくがわまさこ)の外護を得て現在の場所に再興し、1656年(明暦2年)に正法寺に寺号を改めました。1657年(明暦3年)に仏殿(京都府指定文化財)が建立され、江戸時代中期(17世紀後半)頃に表門(京都府指定文化財)が建立されました。なお正法寺は本尊・阿弥陀如来坐像を安置しています。
正法寺は臨済宗永源寺派の寺院です。
*参考・・・正法寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ正法寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia

【正法寺 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
正法寺の見どころは紅葉です。正法寺の山内に植えられているヤマモミジは滋賀県の紅葉の名所で、臨済宗永源寺派の大本山・永源寺から移植されたと言われています。永源寺は1361年(興安元年)に近江守護職・六角氏頼(ろっかくうじより)が入唐求法の高僧である正燈国師・寂室元光(じゃくしつげんこう)に帰依し、土地を寄進して伽藍を創建したのが起源です。

【正法寺 花暦(梅・桜・紅葉・・・)】
●紅葉見ごろは例年11月上旬頃から11月下旬頃です。山内に永源寺から移植されたとも言われるヤマモミジ・鐘楼の横にある老木の大イチョウなどが植えられ、紅葉と石畳の参道・石標・十三重石塔・本堂・お地蔵さまなどの光景が美しいと言われています。
正法寺紅葉見ごろ

*京都には多くの紅葉名所があり、その紅葉見ごろを下記リンクから確認できます。
京都紅葉見ごろ2024(清水寺・東福寺・永観堂・・・)

【正法寺 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・0774-78-2834

【正法寺 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】

【正法寺 おすすめ散策ルート】
正法寺からのおすすめ散策ルートは北側にある安積親王陵墓(太鼓山古墳)に向かうルートです。20分ほど散策すれば、安積親王陵墓に行くことができます。なお正法寺は市街地から少し離れ、周辺には観光スポットがあまり多くない為、次の観光スポットに向かい、その周辺を散策した方がいいかもしれません。

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