井出の玉川ヤマブキ見ごろ2025(4月中旬~5月上旬頃)

井出の玉川ヤマブキ見ごろ(見頃)

井出の玉川ヤマブキ見ごろ(時期・イベント等)を紹介しています。井出の玉川では両岸約1.5キロにヤマブキが約5,000株分布し、ヤマブキと玉川などの光景が美しいと言われています。井出の玉川では一重のヤマブキと八重のヤマブキを楽しむことができます。ヤマブキの見ごろにライトアップが行われています。(要確認)(詳細下記参照)

【井出の玉川ヤマブキ見ごろ(例年時期)】
井出の玉川のヤマブキ見ごろは例年4月中旬頃から5月上旬頃です。なおヤマブキの見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。

【井出の玉川ヤマブキ見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・京都府綴喜郡井手町井手
最寄り駅・バス停・・・玉水駅(徒歩約3分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR奈良線
路線・時刻表・運賃チェック

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【井出の玉川ヤマブキ見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
井出の玉川は京都を代表するヤマブキ(山吹)の名所です。井出の玉川のヤマブキ見ごろは例年4月中旬頃から5月上旬頃です。
井出の玉川では両岸約1.5キロにヤマブキが約5,000株分布し、ヤマブキと玉川などの光景が美しいと言われています。井出の玉川では一重のヤマブキと八重のヤマブキを楽しむことができます。井出の玉川ではヤマブキの見ごろにライトアップが行われています。(要確認)なお井出の玉川では奈良時代に橘諸兄(たちばなのもろえ)がヤマブキを好んで邸宅に植えるだけでなく、玉川沿いにも植えた言われています。その為玉川のヤマブキは多くの和歌に詠まれ、カジカガエル(河鹿蛙)の鳴き声とともに井手の玉川を象徴する歌枕になりました。ちなみに小野小町(おののこまち)は「色も香も なつかしきかな 蛙鳴く 井手のわたりの 山吹の花」、紀貫之(きのつらゆき)は「音にきく 井手の山吹 見つれども 蛙の声は 変らざりけり」と詠みました。井出の玉川には後鳥羽上皇(第82代・後鳥羽天皇(ごとばてんのう))の歌碑「山吹の 花色衣 さらすてふ 垣根や井手の 渡りなるらむ」や西行法師(さいぎょうほうし)の歌碑「山吹の 花咲く里に なりぬれば こゝにもゐでと 思ほゆるかな」が建てられています。
ヤマブキ(山吹)はバラ科ヤマブキ属の落葉低木です。ヤマブキの名称は古くに山振(やまぶり)と書かれ、それが転訛したものと言われています。山振は細く柔らかい枝が風に振られて吹かれて揺れる姿に因んでいると言われています。ヤマブキは北海道南部・本州・四国・九州や朝鮮半島・中国の山野に分布しています。ヤマブキは地下茎を横に伸ばして繁殖し、大群落を形成することがあります。ヤマブキは背丈1~2メートルで、細く柔らかい立ち上がった茎は先端がやや傾きます。ヤマブキは若い枝が鮮やかな緑色で、ややジグザグに伸び、その後木質化して褐色になり、3~4年で枯れます。ヤマブキは葉が互生し、長さ3~8センチの倒卵形で、先端が尖り、縁に鋸歯(きょし)があり、葉柄があります。ヤマブキは径30~50ミリの鮮やかな黄色の5弁花を咲かせます。ヤマブキは花が八重咲きのものをヤエヤマブキ(八重山吹)、キクのようは花を咲かすものをキクザキヤマブキ(菊咲山吹)、黄色を帯びた白色の花を咲かせるものをシロバナヤマブキ(白花山吹)などと言います。なおヤマブキは山吹色の語源になっています。
橘諸兄は飛鳥時代後期の684年(天武13年)に第30代・敏達天皇の孫または曽孫・栗隈王の孫として生まれました。橘諸兄は第45代・聖武天皇の后・光明皇后の同母兄で、橘奈良麻呂の父になります。葛城王と称していたが、736年(天平8年)に臣籍に下りて母の氏姓を継ぎ、750年(天平勝宝2年)に朝臣姓を賜りました。藤原不比等の四子が病没すると右大臣・左大臣に昇って政権を握ったが、藤原仲麻呂の台頭によって実権を失い、756年(天平勝宝8年)に官職を辞しました。橘諸兄は757年(天平宝字元年)に亡くなりました。

【井出の玉川 歴史・簡単概要】
井出の玉川(いでのたまがわ)は京都府綴喜郡井手町井手などを流れています。井出の玉川は京都府綴喜郡井手町井手東部にある山中を源とし、西側に流れて井手地区を貫流し、京都市から奈良県奈良市を経て、和歌山県和歌山市に至る国道24号付近で北側に向きを変え、その後淀川(よどがわ)水系の一級河川・木津川(きづがわ)に合流しています。井出の玉川は平安時代に山吹(ヤマブキ)の名所として知られ、藤原俊成が和歌「玉川の 岸の山吹 影みえて 色なる浪に 蛙(かわず)なくなり」を詠みました。井出の玉川は2008年(平成20年)に環境省が選定した「平成の名水百選」に選ばれ、野路の玉川(滋賀県草津市)・野田の玉川(宮城県多賀城市)・調布の玉川(多摩川)・三島の玉川(大阪府高槻市)・高野の玉川(和歌山県高野山)とともに日本六玉川に数えられています。井出の玉川は1953年(昭和28年)8月に停滞した寒冷前線による南山城水害によって決壊し、1960年(昭和35年)に復旧工事が完成して約500本の染井吉野(ソメイヨシノ)が植えられました。南山城水害では井手町内だけでも死者・行方不明者が計109人にもなり、全壊・流出した戸数も278戸にのぼりました。なお井出の玉川一帯は平安時代後期の「井堤郷古絵図・1143年(康治2年)」によると橘諸兄(たちばなのもろえ)の居館や井堤寺があったことが描かれています。
*参考・・・井出の玉川(アクセス・歴史・・・)

【井出の玉川ヤマブキ見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
井出の玉川(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)情報

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