常照寺吉野太夫花供養2025年4月13日(島原太夫道中)

吉野太夫花供養

常照寺吉野太夫花供養(日程・アクセス・概要)

常照寺吉野太夫花供養(日程時間など)を紹介しています。吉野太夫花供養は例年4月の第2日曜日に行われています。吉野太夫花供養では朱塗りの山門(赤門)を寄進した2代目・吉野太夫を偲んで、法要(墓前供養)・島原の太夫による献茶が行われます。また島原太夫が禿・男衆を従えて練り歩く太夫道中や野点茶会も行われます。(要確認)(詳細下記参照)

【常照寺吉野太夫花供養2025 日程時間(要確認)】
常照寺吉野太夫花供養2025は2025年(令和7年)4月13日(日曜日)9:00~15:00に行われます。9:00からお茶席・吉野会席・点心が行われ、10:30から島原太夫道中(吉野門~本堂)・和楽器ユニット「凜ひとえ」奉納演奏・吉野太夫供茶法要・吉野太夫墓参・島原太夫奉納演奏・島原太夫トークショウーが行われます。2月10日からお茶券の発売開始です。(現金書留・当日券なし)(075-492-6775・10:00~16:00)(現在確認中・要注意)
*参考・・・常照寺ホームページ
*京都には多くの桜名所があり、その桜見ごろを下記リンクから確認できます。
京都桜見ごろ2025(清水寺・哲学の道・原谷苑・・・)

【常照寺吉野太夫花供養 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市北区鷹峯北鷹峯町45
最寄り駅・バス停・・・鷹峯源光庵前(徒歩約2分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*四条大宮から常照寺は6系統
*北大路バスターミナルからは北1系統
路線・時刻表・運賃チェック

スポンサーリンク(Sponsor Link)

【常照寺吉野太夫花供養 歴史・簡単概要】
常照寺吉野太夫花供養(よしのたゆうはなくよう)は朱塗りの山門(赤門)を寄進した2代目・吉野太夫(よしのたゆう)を偲ぶ行事です。吉野太夫花供養では法要(墓前供養)・島原の太夫による献茶が行われます。また吉野太夫花供養では島原太夫が禿(かむろ)・男衆を従え、三枚歯の黒塗下駄で内八文字と言われる足さばきを披露しながら練り歩く太夫道中や野点茶会も行われます。(要確認)なお常照寺には枝垂桜・染井吉野など約100本の桜の木が植えられ、4月中旬頃に見ごろを迎えます。
2代目・吉野太夫は西国の武士・松田武左衛門の娘・松田徳子として方広寺近くで生まれました。その後1613年(慶長18年)に7歳で禿(かむろ)になり、1620年(元和6年)には14歳で遊女の最高ランクである太夫になりました。吉野太夫の名前は廓の桜を見て、「ここにさへ さぞな吉野は 花盛り」と詠んだことに由来するそうです。その後「六条の七人衆の筆頭」・「寛永三名妓の一人」・「天下随一の太夫」と謳われ、その名声は遠く中国にまで及んだと言われています。その後1631年(寛永8年)に26歳で豪商・灰屋紹益(はいやじょうえき)に身請けされて妻になり、1643年(寛永20年)には38歳で亡くなって、遺言で常照寺に葬られました。なお灰屋紹益は後水尾天皇の弟で、関白・近衛信尋と争って身請けしたと言われています。
島原は五花街に数えられる上七軒・祇園甲部・祇園東・先斗町・宮川町と合わせて、六花街と言われました。島原には現在もかつての風情を感じさせる輪違屋(わちがいや)・島原大門が残っています。ちなみに島原はかつて六条三筋町にあったが、1640年(寛永17年)に京都所司代・板倉重宗が現在の場所に移しました。なお島原は正式には西新屋敷(にししんやしき)と言い、上之町・中之町・下之町・太夫町・中堂寺町・揚屋町から構成されていたそうです。
*参考・・・常照寺吉野太夫花供養pdf

【常照寺 歴史・簡単概要】
常照寺が建立されている場所は1615年(元和元年)に書家・陶芸家・芸術家である本阿弥光悦が江戸幕府初代将軍・徳川家康から南北7町・東西200間の鷹峰の土地を賜り、本阿弥一門らと移住した光悦村の一部です。常照寺は1616年(元和2年)に本阿弥光悦と養子・本阿弥光嵯が法華の鎮所を建立し、鷹峰に弘通していた日乾上人を招聘し、日乾上人が法華の鎮所を寂光山常照寺と号したのが起源です。1627年(寛永4年)に日乾上人が本阿弥一族の外護を得て、僧侶の養成機関である学問所・鷹峰檀林を創設しました。日乾上人は日暹上人を招いて開講し、鷹峰檀林は松ケ崎・求法院・東山・山科・鶏冠井とともに日蓮宗関西六檀林に数えられました。常照寺は往時に常照講寺とも言われ、数万坪の境内に講堂・衆妙堂・玄義寮・妙見堂など30余りの堂宇が建ち並び、数百人の学僧が学んでいました。1628年(寛永5年)頃に日揚上人が講堂・学寮などを建立し、檀林諸規則などを定めて檀林を整備し、檀林学徒を山方と峰方に分けて学問を奨励しました。1628年(寛永5年)に2代目・吉野太夫が朱塗りの山門(赤門)を寄進しました。その後吉野太夫の夫・灰屋紹益が吉野太夫を偲んで、茶室「遺芳庵」を寄進しました。1872年(明治5年)の学制発布により、鷹峰檀林が廃止されました。
*参考・・・常照寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【常照寺吉野太夫花供養 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
常照寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
京都4月のイベント・行事

関連記事

京都観光おすすめ

  1. 錦市場(Nishiki Market)
  2. 竹林の道(Bamboo Forest Path)
  3. 嵐山
ページ上部へ戻る