金閣寺見所ランキング-修学旅行・観光で必見

金閣寺見どころ(Kinkaku-ji Temple)

金閣寺の国宝・重要文化財などの見所紹介

金閣寺の見所ランキングを紹介します。見所は1位が1955年(昭和30年)に再建され、金箔が張られている金閣、2位が足利義満が粋をつくした庭園(特別名勝・特別史跡)、3位が天正年間に再建された不動堂です。番外は安民沢・白蛇の塚です。(詳細下記参照)

金閣寺見どころ一覧

【1955年に再建され、65年以上の歴史がある金閣の見所】

  • 概略-金閣は室町時代(1336年~1573年)前期に室町幕府3代将軍・足利義満が建て、550年の歴史があったが、戦後に放火によって焼失しました。現在の金閣は1955年(昭和30年)に再建され、65年以上の歴史があります。金閣は漠然と眺めるだけでなく、どこに金箔が張られ、どこに金箔が張られていないかを確認しながら眺めるのがおすすめです。金閣は二階・三階に金箔が張られ、一階には金箔が張られていません。1950年(昭和25年)に焼失した金閣(国宝)は三階だけに金箔が残り、二階に金箔が残っていませんでした。ただ明治時代(1868年~1912年)の修理の際、二階の使用されなかった部材に金箔が残っていたことから二階にも金箔が張られるようになりました。金閣は鏡湖池と一体となった姿が美しいと言われています。鏡湖池の周りを散策しながら堪能しましょう。風がなく、晴れた日には地上の金閣だけでなく、鏡湖池の水面に映し出された「逆さ金閣」を楽しめます。ただ雨が降ったり、風が吹いたりすると「逆さ金閣」を十分に眺めることができないかもしれません。鏡湖池は鏡のように金閣寺を映し出すことから名付けられました。なお金閣は雪化粧した金閣や紅葉・カキツバタ(杜若)などに彩られた金閣も美しく、季節ごとに楽しむのがおすすめです。
  • 歴史-金閣は1950年(昭和25年)に放火によって焼失し、1955年(昭和30年)に再建されました。足利義満坐像(国宝)・伝運慶(うんけい)作の観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)像・春日仏師(かすがぶっし)作の夢窓疎石像など10体の木像・仏像も焼失しました。ちなみに金閣は室町時代(1336年~1573年)前期の1398年(応永5年)頃に創建されました。1408年(応永15年)3月には第100代・後小松天皇(ごこまつてんのう)が金閣寺の前身・北山殿に約20日間行幸し、足利義満は盛大な宴を開き、後小松天皇宸筆の扁額「究竟頂」を賜りました。その後室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の際、金閣寺が山名宗全(やまなそうぜん)を総大将とする西軍の陣所になったが、金閣だけが焼失を免れました。その後江戸時代(1603年~1868年)前期の1649年(慶安2年)に大修理が行われました。
  • 構造-金閣は一階が寝殿造(しんでんづくり)、二階が武家造(ぶけづくり)、三階が禅宗仏殿造(ぜんしゅうぶつでんづくり)です。金閣は宝形造(ほうぎょうづくり)のこけら葺(こけらぶき)です。一階が法水院(ほうすいいん)、二階が潮音洞(ちょうおんどう)、三階が究竟頂(くっきょうちょう)と言われています。金閣は一階と二階が同じ大きさだが、三階は一回り小さくなっています。
  • 仏像-金閣は鏡湖池(きょうこち)の畔に建立された舎利殿(しゃりでん)です。舎利殿はお釈迦様(おしゃかさま)の遺骨・仏舎利(ぶっしゃり)を祀る堂宇です。金閣は一階に宝冠釈迦如来(ほうかんしゃかにょらい)像・足利義満像、二階に岩屋観音(いわやかんのん)像・四天王(してんのう)像を安置しています。
  • 金箔-金閣は1955年(昭和30年)の再建時に10センチ角の金箔が10万枚(2キロ)使用され、その後の修復では5倍の厚さがある五倍箔が20万枚(20キロ)使用されました。なお2020年(令和2年)の屋根の葺き替えの際、鳳凰や傷んでいた軒下の金箔が10センチ角の金箔約1万枚を使って補修されました。
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【足利義満が大きく改修した庭園(特別名勝・特別史跡)の見所】

  • 概略-庭園は西園寺公経の山荘の時代に作庭され、室町幕府3代将軍・足利義満が鏡湖池を中心に大きく改修したのが起源と言われています。庭園は金閣が建てられている鏡湖池を中心とした池泉回遊式庭園です。庭園は極楽浄土(ごくらくじょうど)をこの世に表したと言われ、庭園作庭の背景や意図を考えながら眺めるのがおすすめです。庭園は北側と西側が山に囲まれ、鏡湖池に葦原島(あしわらじま)・鶴島・亀島などの中島や細川石・赤松石などの奇岩名石があります。奇岩名石は足利義満に取り入ろうとした諸大名が贈ったとされています。細川石は管領・細川頼之(ほそかわよりゆき)、赤松石は管領に次ぐ侍所長官・赤松義則(あかまつよしのり)が贈りました。細川石・赤松石などは室町幕府の政治情勢を考えるのもいいかもしれません。ちなみに奇岩名石の一部は足利義満が遣明船で、明(中国)の太湖(たいこ)から運ばせたとも言われています。なお庭園は金閣寺と一緒に眺めるのが人気になっています。
  • 歴史-庭園は鎌倉時代(1185年~1333年)の西園寺公経の山荘の時代に作庭され、足利義満が大きく改修し、粋をつくしたと言われています。室町時代(1336年~1573年)中期の応仁の乱の際に樹木が伐採され、その後修復されたとも言われています。また江戸時代(1603年~1868年)後期に当初の姿に戻され、その後現在のように改修されたとも言われています。なお庭園は1925年(大正14年)10月8日に史跡・名勝、1956年(昭和31年)7月19日に特別史跡・特別名勝に指定されました。
  • 規模-庭園は面積約2万8千坪で、鏡湖池だけでも面積約2千坪あります。ただ庭園はかつて現在の1.5倍の面積があったとも言われています。2018年(平成30年)に鏡湖池の南側から池跡が確認されました。
  • 豆知識-庭園は安土桃山時代(1573年~1603年)に豊臣秀吉(とよとみひでよし)が聚楽第(じゅらくてい)を造営した際の石狩りを免れたとも言われています。

【宇喜多秀家が再建し、400年以上の歴史がある不動堂の見所】

  • 概略-不動堂は桃山時代の天正年間(1573年~1590年)に宇喜多秀家が再建し、その後焼失などを免れたことから400年以上の歴史があります。不動堂は煌びやかで、豪華な金閣と対照的な地味な建物で、見落とされたり、印象に残らなかったりすることがあります。ただ不動堂は山内の最古の建物と言われ、長い歴史があります。ちなみに不動堂・不動明王は室町時代(1336年~1573年)に信仰の対象とされ、多くの人々が参詣しました。石不動明王は「石不動」とも言われ、「洛中洛外図(らくちゅうらくがいず)」・「都名勝図会(みやこめいしょずえ)」に描かれています。石不動明王には体の悪い部分と同じ場所をなでると病気が平癒するご利益があると言われています。特に眼病にご利益があるそうです。
  • 歴史-不動堂は桃山時代の天正年間(1573年~1590年)に豊臣政権の五大老の一人だった宇喜多秀家(うきたひでいえ)が再建しました。ちなみに不動堂は西園寺家の氏寺・西園寺に建立されていたとも言われています。西園寺には善積院・功徳蔵院・妙音堂・五大堂・成就心院・法水院・化水院・無量光院なども建立されていたとも言われています。不動堂は1962年(昭和37年)に解体修理が行われました。
  • 構造-不動堂は入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
  • 仏像-不動堂は真言宗(しんごんしゅう)の開祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)作とも言われている本尊(秘仏)・石不動明王(ふどうみょうおう)像や鎌倉時代(1185年~1333年)に造仏された木造不動明王立像(重要文化財)を安置しています。石不動明王は像高約164センチ・肩幅約55センチで、最大幅約2メートル・奥行き最大約2.5メートルの石室に安置されています。木造不動明王立像は西園寺の護摩堂に安置されていた本尊と言われています。
  • 調査-不動堂では石室からは「庚永元(1342年)暮秋下旬」・「庚永二年(1343年)六月」・「應永十二年(1405年)四月十九日」・「南無(なむ)不動明王」・「南無妙法蓮華経(なんみょうほ」・「南無阿弥陀仏」・「南無五大力菩薩」などの年号・名号・題目・人名・梵字(ぼんじ)・線刻画などが書かれていることが分かりました。
  • 行事-不動堂は節分(立春の前日)と五山送り火の日(8月16日)の年2回だけ開扉され、法要が行われます。ちなみに11月28日には山伏が不動堂前で護摩木を焚き上げる大護摩供奉修(おおごまくぼうしゅう)も行われます。

【鎌倉時代の西園寺家の旧跡である安民沢・白蛇の塚の見所】

  • 概略-安民沢は金閣寺創建前、鎌倉時代(1185年~1333年)の西園寺家の旧跡と言われ、700年以上の歴史があります。安民沢は庭園の中心となっている鏡湖池の背後にある山の山腹で、夕佳亭(せっかてい)近くにあります。安民沢は五山送り火に数えられる左大文字がある標高約230メートルの大文字山(左大文字山)からの水が流れ込み、鏡湖池の水源になっています。安民沢は鏡湖池の半分ほどの大きさ(東西約80メートル・南北約40メートル)があり、東寄りの中島に白蛇を祀った五輪の石塔・白蛇の塚があります。白蛇の塚は西園寺家の鎮守だったと言われています。なお白蛇は古くから水神である弁才天(べんざいてん・弁財天)の使いとされています。
  • 歴史-安民沢は鎌倉時代(1185年~1333年)の西園寺家の旧跡です。ちなみに西園寺家は藤原北家閑院流(かんいんりゅう)の一門で、三条・徳大寺・久我・花山院・大炊御門・今出川とともに清華家(せいがけ)を構成し、近衛家・鷹司家・九条家・二条家・一条家から構成される摂家(せっけ)に次ぐ家格を有していました。安民沢では1993年(平成5年)9月から浚渫(しゅんせつ)工事が行なわれ、小さな滝組や池底に埋没していた景石などが発見されました。
  • 豆知識-安民沢は雨賜沢(うしたく)・望雲沢(ぼううんたく)とも言われていした。「雨賜」・「望雲」には雨乞いの意味があるようです。

【金閣寺見所 備考】
*参考・・・金閣寺(見所・アクセス・・・)ホームページ

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