なで牛(ご利益・お使い・菅原道真・・・)北野天満宮見どころ

なで牛

なで牛(ご利益・お使い・菅原道真・・・)

なで牛を解説します。なで牛は牛が横たわった臥牛像(牛の置物)で、なで牛の数は十数体です。なで牛は一体一体の形状・大きさ・素材などが異なり、楼門の先に置かれているなで牛は目が赤いことから赤目の牛と言われています。(詳細下記参照)

北野天満宮見どころ(本殿・三光門など)

【なで牛の概要・概略】

  • 概要・概略:なで牛(撫で牛・撫牛)は牛が横たわった臥牛像(牛の置物)で、境内に十数体置かれています。牛の数は16体とも言われています。なで牛は牛が「文道の大祖・風月の本主」で、学問の神として信仰されている祭神・菅原道真(天神さん)のお使い(神使・祭神の使者)とされていることから頭をなでると頭がよくなると言われています。また自分の体の悪い場所をなでた後、なで牛の同じ場所をなでると悪い場所が治るとも言われています。
  • 臥牛:なで牛が横たわっている臥牛の理由は菅原道真が大宰府(だざいふ)で亡くなった際、遺体を運ぶ牛が突然座り込んで動かなくなったことに由来しています。つまり神牛は伏した臥牛とされました。菅原道真は「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」と遺言を残し、牛が動かなくなった場所近くにあった安楽寺(あんらくじ)に埋葬されたと言われています。
  • 赤目の牛:なで牛は一体一体の形状・大きさ・素材などが異なっています。楼門の先に置かれているなで牛は目が赤いことから赤目の牛と言われています。赤目の理由は明確ではないが、牛が一睡もせずに菅原道真の帰りを待っていた忠義を表しているとも言われています。また牛が瞬きもせず一心に待ったからとも、牛が参拝客の願いを徹夜で聞いてくれるからとも言われているそうです。
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【なで牛は天神さんのお使い】

  • 天神さんのお使い:なで牛・牛舎などの牛は天神さん(菅原道真)のお使い(神使・祭神の使者)とされています。その理由は「菅原道真が生まれたのが845年(承和12年)の丑(うし)年」・「菅原道真が亡くなったのが903年(延喜3年)2月25日で、丑(うし)の月の丑(うし)の日」・「菅原道真は牛車に乗って大宰府へ行った」・「菅原道真を牛が刺客から守った」・「菅原道真の墓所の位置は牛が決めた」・「菅原道真が大宰府に左遷された時に牛が泣いて見送った」などです。
  • 菅原道真の神号:菅原道真の神号が三つの目と八本の腕を持ち、白い牛にまたがったヒンズー教の神に由来する「天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)」と炎を背負い、水牛にまたがった密教の大威徳明王(だいいとくみょうおう)に由来する「日本太政威徳天(にほんだいじょういとくてん)」であることも理由のひとつと言われています。

【なで牛と唯一の立ち牛】

  • 立ち牛:なで牛・牛舎などの牛は全て横たわった臥牛像です。しかし拝殿(国宝)に吊されている大鈴の上の欄間(らんま)に彫刻されている牛は唯一の立ち牛となっています。その為立ち牛は北野天満宮七不思議のひとつに数えられています。
  • 立ち牛:拝殿は1607年(慶長12年)に本殿・石の間・楽の間とともに関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の子・豊臣秀頼(とよとみひでより)が建立しました。

【なで牛と牛舎(一願成就のお牛さん)】

  • 牛舎:牛舎は境内の北西・乾(いぬい)の方角にある小祠で、古くから「乾の牛さん」・「乾さん」と言われて親しまれてきました。牛舎の覆屋内には北野天満宮内で最も古いと言われるなで牛(臥牛像)があり、なでると一つだけ願いが叶う一願成就所(一願成就のお牛さん)として信仰されてきたそうです。なお牛舎は江戸時代後期の1802年(淳和2年)に行われた900年祭絵図にも載っているそうです。
  • 陰陽石:牛舎の近くには柵を巡らし、注連縄(しめなわ)で囲まれた亀石があります。牛舎のなで牛が陽石・亀石が陰石を象徴し、二つ合わせて陰陽石としても信仰されているそうです。

【なで牛とずいき祭(瑞饋祭)】

  • ずいき祭:ずいき祭(瑞饋祭)は例年10月1日から10月5日まで行われれる北野天満宮の祭事です。ずいきは里芋の茎(くき)である芋苗英(いもずいき)のことで、ずいき祭では里芋の茎を神輿の屋根を葺いたずいき御輿(みこし)だけでなく、牛が曳く御羽車の巡行も行われます。
  • 由来:ずいき祭は菅原道真が大宰府で彫った木像を随行者が持ち帰り、秋の収穫期に野菜・穀物を供えて感謝したのが起源と言われています。なおずいき祭は第62代・村上天皇の時代(946年(天慶9年)~967年(康保4年))に始まったとも言われています。

【なで牛と菅原道真】

  • 菅原道真:菅原道真は平安時代前期の845年(承和12年)に公家・菅原是善(すがわらのこれよし)の三男として生まれました。幼少の頃から和歌・漢詩に優れ、862年(貞観4年)に官僚育成機関である大学寮(だいがくりょう)の文章生(もんじょうしょう)試験に合格し、877年(元慶元年)に文章博士(もんじょうはかせ)になりました。893年(寛平5年)に参議(さんぎ)に任ぜられ、太政官(だいじょうかん)の最高幹部として国政を担う公卿(くぎょう)に列し、899年(昌泰2年)に右大臣に任命されるが、901年(昌泰4年)に左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)の讒言(告げ口)により、太宰府に左遷され、903年(延喜3年)に太宰府で亡くなりました。菅原道真の死後、都では悪疫が続き、菅原道真の怨霊の仕業と恐れられました。その為菅原道真の死後20年目に朝廷は菅原道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位(しょうにい)を贈りました。993年(正暦4年)に正一位(しょういちい)・右大臣・太政大臣(だじょうだいじん)を追贈しました。
  • 天満大自在天神:菅原道真は死後に神号「天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)」を賜りました。大自在天は八本の腕と三つの眼を持つ八臂(はっぴ)三眼で、天冠を戴き、白い牛に跨がり、3つの穂を有する槍である三叉戟(さんさげき)を手にしています。なお北野天満宮は別名、天満大自在天神社とも言われています。

【なで牛 備考】
*参考・・・北野天満宮(見どころ・歴史・なで牛・・・)ホームページ

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