なで牛(ご利益・お使い・菅原道真・・・)北野天満宮見どころ

なで牛・北野天満宮見どころ
なで牛を解説します。なで牛は牛が横たわった臥牛像で、境内に十数体奉納されています。牛は「「菅原道真が生まれたのが845年(承和12年)の丑(うし)年」などの理由から天神さん(菅原道真)のお使いとされています。
【北野天満宮 基礎知識】
北野天満宮(きたのてんまんぐう)は947年(天暦元年)に西ノ京に住んでいた多治比文子(たじひのあやこ)、近江比良宮の神主である神良種(みわのよしたね)、北野朝日寺の僧である最珍(さいちん)らが神殿を造営し、祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)を祀ったのが起源です。その後菅原道真の左遷の原因になった左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)の甥・藤原師輔(ふじわらのもろすけ)が私邸を寄贈し、大規模な社殿が造営され、987年(永延元年)に第66代・一条天皇が勅使を派遣して国家の平安を祈願する勅祭が行われ、神号「北野天満宮天神」を賜り、1004年(寛弘元年)に第66代・一条天皇が行幸しました。
【なで牛・概要概略 北野天満宮】
- 概要概略・・・なで牛(撫で牛・撫牛)は牛が横たわった臥牛像で、境内に十数体奉納されています。なで牛は牛が「文道の大祖・風月の本主」と言われ、学問の神として信仰を集めている祭神・菅原道真(天神さん)のお使い(神使・祭神の使者)とされていることから頭をなでると頭がよくなると言われています。また自分の体の悪い場所をなでた後、なで牛の同じ場所をなでると悪い場所が治るとも言われています。
- 臥牛・・・なで牛が横たわっている臥牛の理由は菅原道真が大宰府(だざいふ)で亡くなった際、遺体を運ぶ牛が突然座り込んで動かなくなったことに由来しています。つまり神牛は伏した臥牛とされました。菅原道真は「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」と遺言を残し、牛が動かなくなった場所近くにあった安楽寺(あんらくじ)に埋葬されたと言われています。
【なで牛・天神さんのお使い 北野天満宮】
- 天神さんのお使い・・・なで牛・牛舎などの牛は天神さん(菅原道真)のお使い(神使・祭神の使者)とされています。その理由は「菅原道真が生まれたのが845年(承和12年)の丑(うし)年」・「菅原道真が亡くなったのが903年(延喜3年)2月25日で、丑(うし)の月の丑(うし)の日」・「菅原道真は牛車に乗って大宰府へ行った」・「菅原道真を牛が刺客から守った」・「菅原道真の墓所の位置は牛が決めた」・「菅原道真が大宰府に左遷された時に牛が泣いて見送った」などです。
- 菅原道真の神号・・・菅原道真の神号が三つの目と八本の腕を持ち、白い牛にまたがったヒンズー教の神に由来する「天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)」と炎を背負い、水牛にまたがった密教の大威徳明王(だいいとくみょうおう)に由来する「日本太政威徳天(にほんだいじょういとくてん)」であることも理由のひとつと言われています。
【なで牛・立ち牛(欄間) 北野天満宮】
- 立ち牛・・・なで牛・牛舎などの牛は全て横たわった臥牛像です。しかし拝殿(国宝)に吊されている大鈴の上の欄間(らんま)に彫刻されている牛は唯一の立ち牛となっています。その為立ち牛は北野天満宮七不思議のひとつに数えられています。
- 立ち牛・・・拝殿は1607年(慶長12年)に本殿・石の間・楽の間とともに関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の子・豊臣秀頼(とよとみひでより)が建立しました。
【なで牛・牛舎(一願成就のお牛さん) 北野天満宮】
- 牛舎・・・牛舎は境内の北西・乾(いぬい)の方角にある小祠で、古くから「乾の牛さん」・「乾さん」と言われて親しまれてきました。牛舎の覆屋内には北野天満宮内で最も古いと言われるなで牛(臥牛像)があり、なでると一つだけ願いが叶う一願成就所(一願成就のお牛さん)として信仰されてきたそうです。なお牛舎は江戸時代後期の1802年(淳和2年)に行われた900年祭絵図にも載っているそうです。
- 陰陽石・・牛舎の近くには柵を巡らし、注連縄(しめなわ)で囲まれた亀石があります。牛舎のなで牛が陽石・亀石が陰石を象徴し、二つ合わせて陰陽石としても信仰されているそうです。
【なで牛・ずいき祭(瑞饋祭) 北野天満宮】
- ずいき祭・・・ずいき祭(瑞饋祭)は例年10月1日から10月5日まで行われれる北野天満宮の祭事です。ずいき祭では里芋の茎を神輿の屋根を葺いたずいき御輿(みこし)だけでなく、牛が曳く鳳輦(ほうれん)の巡行も行われます。
- 由来・・・ずいき祭は菅原道真が大宰府で彫った木像を随行者が持ち帰り、秋の収穫期に野菜・穀物を供えて感謝したのが起源と言われています。
【なで牛・菅原道真 北野天満宮】
- 菅原道真・・・菅原道真は平安時代前期の845年(承和12年)に公家・菅原是善(すがわらのこれよし)の三男として生まれました。幼少の頃から和歌・漢詩に優れ、862年(貞観4年)に官僚育成機関である大学寮(だいがくりょう)の文章生(もんじょうしょう)試験に合格し、877年(元慶元年)に文章博士(もんじょうはかせ)になりました。893年(寛平5年)に参議(さんぎ)に任ぜられ、太政官(だいじょうかん)の最高幹部として国政を担う公卿(くぎょう)に列し、899年(昌泰2年)に右大臣に任命されるが、901年(昌泰4年)に左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)の讒言(告げ口)により、太宰府に左遷され、903年(延喜3年)に太宰府で亡くなりました。菅原道真の死後、都では悪疫が続き、菅原道真の怨霊の仕業と恐れられました。その為菅原道真の死後20年目に朝廷は菅原道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位(しょうにい)を贈りました。993年(正暦4年)に正一位(しょういちい)・右大臣・太政大臣(だじょうだいじん)を追贈しました。
- 梅花祭・・・北野天満宮では例年2月25日に菅原道真を偲ぶ梅花祭(ばいかさい)が行われています。
- 御誕辰祭・・・北野天満宮では例年6月25日に菅原道真の誕生を祝う御誕辰祭(ごたんしんさい)が行われています。
【なで牛・北野天満宮見どころ 備考】
*参考・・・北野天満宮(見どころ・歴史・・・)ホームページ