なで牛|ご利益・お使い・菅原道真などを解説|北野天満宮見所

なで牛

なで牛完全ガイド|ご利益・お使い・菅原道真などを解説

なで牛はご利益が有名です。頭をなでると頭がよくなるとも、自分の体の悪い場所をなでた後、なで牛の同じ場所をなでると悪い場所が治るとも言われています。なで牛は立った牛ではなく、伏した石造の臥牛像(神牛像)です。北野天満宮は学業成就などのご利益があると言われています。(詳細下記参照)

北野天満宮見どころ(本殿・三光門など)

【概要・概略|なで牛(撫で牛)】

なで牛(撫で牛・撫牛)は立った牛ではなく、足を曲げて伏した石造の臥牛像(神牛像)です。なで牛は牛の置物である境内に十数体置かれています。具体的な数は15体とも、16体とも言われています。牛は「文道の大祖・風月の本主」で、学問の神として信仰されている菅原道真(すがわらのみちざね)のお使い(神使)とされている為、なで牛の頭をなでると頭がよくなると言われています。また自分の体の悪い場所をなでた後、なで牛の同じ場所をなでると悪い場所が治るとも言われています。なで牛は一体一体が形状・材質(御影石・大理石など)などが異なっています。楼門の先に置かれているなで牛は目が赤いことから「赤目の牛」と言われています。赤目の理由は明確ではないが、牛が一睡もせずに菅原道真の帰りを待っていた忠義を表しているとも言われています。また牛が瞬きもせず一心に待ったからとも、牛が参拝客の願いを徹夜で聞いてくれるからとも言われています。ちなみに子連れの牛もいます。
●なで牛が伏している理由は903年(延喜3年)に菅原道真が大宰府(だざいふ)で亡くなった際、その遺体を丑寅(うしとら)の方向に運んでいた轜車(牛車)の牛が突然座り込んで動かなくなったことに由来しています。菅原道真は「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」と遺言を残し、牛が動かなくなった場所近くの安楽寺(あんらくじ)に埋葬されました。安楽寺は現在の太宰府天満宮です。

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【お使い(神使)|なで牛(撫で牛)】

なで牛などの牛は菅原道真(天神さん)のお使い(神使)とされています。お使い(神使)とされる理由は「菅原道真が生まれたのが845年(承和12年)の丑(うし)年(乙丑(きのとうし)の年)」・「菅原道真が亡くなったのが903年(延喜3年)2月25日で、丑(うし)の月の丑(うし)の日」・「菅原道真は牛車に乗って大宰府へ行った」・「菅原道真を牛が刺客から守った」・「菅原道真の墓所は牛が決めた」・「菅原道真が大宰府に左遷された時に牛が泣いて見送った」などに由来しています。また菅原道真の神号が三つの目と八本の腕を持ち、天冠を戴き、白い牛にまたがったヒンズー教の神に由来する「天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)」と炎を背負い、水牛にまたがった密教の大威徳明王(だいいとくみょうおう)に由来する「日本太政威徳天(にほんだいじょういとくてん)」であることも理由と言われています。なお北野天満宮は別名、天満大自在天神社とも言われています。
●菅原道真は845年(承和12年)に菅原是善(すがわらのこれよし)の子として生まれました。幼少の頃から和歌・漢詩に優れ、862年(貞観4年)に官僚育成機関である大学寮の文章生試験に合格し、877年(元慶元年)に文章博士になりました。893年(寛平5年)に参議に任ぜられ、太政官の最高幹部として国政を担う公卿に列し、899年(昌泰2年)に右大臣に任命されるが、901年(昌泰4年)に左大臣・藤原時平の讒言により、太宰府に左遷され、903年(延喜3年)に太宰府で亡くなりました。菅原道真の死後、京都では悪疫が続き、菅原道真の怨霊の仕業と恐れられました。その為死後20年目に朝廷は左遷を撤回して官位を復して正二位を贈り、993年(正暦4年)に正一位・右大臣・太政大臣を追贈しました。

【唯一の立ち牛|なで牛(撫で牛)】

なで牛・牛舎などの牛は全て足を曲げて伏した臥牛像(神牛像)です。しかし拝殿(国宝)に吊されている大鈴の上の欄間(らんま)に彫刻されている牛は唯一の立ち牛とされ、北野天満宮の七不思議に数えられています。立ち牛は雄々しい姿で、本殿に祀られている菅原道真に一番近い牛です。一般的に拝殿は神社で祭祀・拝礼を行なう為の社殿で、本殿前に建立されています。ただ拝殿がない神社や拝殿が2つある神社などがあります。
●拝殿は1607年(慶長12年)に本殿・石の間・楽の間とともに関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の子・豊臣秀頼(とよとみひでより)が建立しました。拝殿は本殿・石の間・楽の間とともに1棟の建物として、八棟造(やつむねづくり・権現造(ごんげんづくり))です。単体の拝殿は屋根が入母屋造(いりもやづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。

【牛舎(一願成就のお牛さん)|なで牛(撫で牛)】

牛舎(乾大神)は境内の北西である乾(いぬい)の方角に祀られている小祠(しょうし)で、古くから「乾の牛さん」・「乾さん」と言われて親しまれてきました。牛舎では覆屋内に北野天満宮内で最も古いと言われるなで牛(臥牛像)があり、なでると一つだけ願いが叶う一願成就所(一願成就のお牛さん)として信仰されてきました。特に学業成就・入試合格の祈願で篤く信仰を集めました。なで牛は長年なでられ続け、頭部は少し欠け、体も丸みを帯びてきています。牛舎の近くには柵(さく)を巡らし、注連縄(しめなわ)で囲まれた亀石があります。牛舎のなで牛が陽石、亀石が陰石を象徴し、二つ合わせて陰陽石としても信仰されています。これは古代信仰の名残りとも言われています。なお牛舎は1802年(淳和2年)に行われた「900年祭絵図」にも載っているそうです。
●北野天満宮は都の守護を司った乾(北西)に位置し、牛舎は境内の乾に位置することから特に神聖な場所とされてきました。

【ずいき祭(瑞饋祭)|なで牛(撫で牛)】

ずいき祭(瑞饋祭)は例年10月1日から10月5日に行われれる北野天満宮の祭事です。ずいきは里芋の茎(くき)である芋苗英(いもずいき)のことで、ずいき祭では里芋の茎を神輿の屋根を葺いたずいき御輿(みこし)が巡行します。また牛が曳く御羽車も巡行します。祭事に牛が参加することは京都でも珍しいことです。
●ずいき祭は菅原道真が大宰府で刻んだ木像を西ノ京の神人(じにん)が持ち帰り、秋の収穫期に野菜・穀物を供えて感謝したのが起源と言われています。ずいき祭は第62代・村上天皇の時代(946年(天慶9年)~967年(康保4年))に始まったとも言われています。またずいき神輿は慶長年間(1596年~1614年)頃に北野祭(例祭)で供えた野菜を大型御輿として作り飾り付けたのが起源と言われています。

【なで牛|北野天満宮見所 備考】
*参考・・・北野天満宮(見どころ・歴史・なで牛・・・)ホームページ

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