岩屋神社の歴史-修学旅行・観光の簡単解説

岩屋神社の歴史を時代別年表にまとめ

岩屋神社の歴史を簡単にまとめています。岩屋神社は本社後背山の山腹に奥之院とも、岩屋殿とも称する陰陽の巨巖(巨岩)があり、磐座として祀られていました。岩屋神社は社伝によると343年(仁徳天皇31年)に創建されたとも言われています。(時代別年表・重要人物下記参照)

岩屋神社(アクセス・歴史・・・)

【高千穂峰】

●本社後背山の山腹に奥之院(おくのいん)とも、岩屋殿(いわやどの)とも称する陰陽の巨巖(巨岩)があり、磐座(いわくら)として祀られていました。陰陽の巨巖は杉木立の山中にあり、それぞれの巨巖前に小祠(しょうし)が祀られています。陰巌(陰岩)の上には小さな窪みがあって水か溢れ、水は龍闕水(りゅうけつすい)とも言われ、霊水として崇められました。

【岩屋神社の起源・始まり】

●岩屋神社は社伝によると343年(仁徳天皇31年)に創建されたとも言われています。岩屋神社は石座信仰の名残とも言われています。また岩屋神社は「山科家礼記」によると853年(仁寿3年)に勧修寺(かじゅうじ)八幡の創建とともに創建されたとも言われています。

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【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】

●寛平年間(889年~898年)に物部氏(もののべし)系の大宅氏が山科を開拓する際、陽巌(陽岩)に天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、陰巌(陰岩)に栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)、岩前の小社に大宅氏の祖神として饒速日命(にぎはやひのみこと)を祀ったと言われています。
●927年(延長5年)成立の「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に「山城国宇治郡 山科神社二座」と記され、名神大社(みょうじんたいしゃ)に列せられたという説があったが、現在は否定説が有力になっています。
●治承年間(1177年~1181年)に天台寺門宗(てんだいじもんしゅう)の総本山・園城寺(おんじょうじ・三井寺(みいでら))の僧徒によって社殿が焼かれ、旧記も失われました。

【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の歴史・出来事】

●1262年(弘長2年)に社殿が再建されました。
●鎌倉時代以降に東・西・上の岩屋三社があり、東が岩屋神社、西が山科神社(やましなじんじゃ)だったと言われています。ただ上は不明です。なお山科神社は社伝によると897年(寛平9年)に第59代・宇多天皇(うだてんのう)の勅命によって創建されたと言われています。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】

●1480年(文明12年)に「山科家礼記」によると山科家雑掌・大沢久守が参詣したと言われています。岩屋神社は山科郷・山科家と関りがあったとも言われています。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】

●1774年(安永3年)に3基の大神輿が再興されたと言われています。
●1787年(天明7年)に「拾遺都名所図会」に大宅岩屋明神として記されました。

【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】

●1873年(明治6年)に近代社格制度で郷社に列せられました。
●第二次世界大戦後に神社本庁に属するようになりました。
●1969年(昭和44年)1月に奈良街道に一ノ鳥居が建立されました。

【大宅氏・物部氏】

大宅氏は物部氏の一族だったと言われています。物部氏は岩屋神社が祭神として祀っている饒速日命を遠祖としています。饒速日命は日本最古の正史「日本書紀」などによると神武東征の前に天照大神から十種の神宝を授かり、天磐船に乗って河内国(大阪府)の河上哮ケ峯に降臨し、その後大和国(奈良県)に移ったとされています。物部氏は初代・神武天皇から大王家に仕え、鉄器・兵器の製造・管理を主に管掌し、大伴氏と並ぶ有力な軍事氏族に成長しました。物部守屋は排仏派で、崇仏派の攻撃により、本拠地だった河内国渋川郡(大阪府東大阪市衣摺)で戦死し、物部守屋一派は没落しました。

【岩屋神社の歴史 備考】
*参考・・・岩屋神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

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