黒川道祐の「雍州府志(ようしゅうふし)」と五山送り火
黒川道祐の「雍州府志」と五山送り火
五山送り火は起源が明確ではないが、江戸時代(1603年~1868年)以降に書物・古文書などに記録・絵などが多く残されています。1686年(貞享3年)に黒川道祐が刊行した「雍州府志」には大文字の大きさなどが記されています。
【五山送り火2026 日程】
五山送り火2026は2026年(令和8年)8月16日(日曜日)20:00から5分間隔で順次点火されます。なお五山送り火は原則雨天決行だが、気象条件によって点火時間が変更になる場合もあります。
五山送り火2026(大文字・妙法・船形・左大文字・鳥居形)
【五山送り火 歴史・簡単概要】
五山送り火(ござんのおくりび)はお盆(おぼん・盂蘭盆(うらぼん))にあの世(冥府(めいふ))から帰ってきたお精霊さん(おしょらいさん)をあの世に送り返す仏教的行事です。五山送り火は宗教・歴史的な背景から「大文字の送り火」とも言われることがあります。五山送り火はいつ始まったかは明確ではありません。一説には多くの灯明を灯して仏神を供養する万灯会(まんどうえ)が山の山腹で行われるようになり、お盆の精霊の送り火(門火(かどび))になったとも言われています。
【黒川道祐(くろかわどうゆう)の「雍州府志(ようしゅうふし)」】
五山送り火は起源が明確ではないが、江戸時代(1603年~1868年)以降に書物・古文書などに記録・絵などが多く残されています。
1686年(貞享3年)に黒川道祐が刊行した「雍州府志」に「横の一畫長さ四十間、左點の一畫長さ八十間、右點の一くわく長さ六十八間なり」と記され、大文字の「横の一」が長さ40間、「左の流れ」が長さ80間、「右の流れ」が長さ68間と記されています。現在、大文字の「横の一」が長さ約80メートル、「左の流れ」が長さ約160メートル、「右の流れ」が長さ約120メートルで、「雍州府志」が刊行された江戸時代(1603年~1868年)中期から大きさがほとんど変わっていないと言われています。ちなみに大文字の画筆(筆跡)には真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(きゅうかい)説、青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)説、公家・近衛信尹(このえのぶただ)説、相国寺の僧・横川景三(おうせんけいさん)説などがあるが、「雍州府志」では弘法大師・空海説を採用しています。
「雍州府志」には「毎年七月六日、村人各々山上に登り、松を伐る、これを割きて、同じく十六日に至りて、各々の門外にさらす、もし、誤りて、この薪木をもって他事に用ゆるときは、その一家、あるいは痢を患ひ、疫を苦しむ、思ふに、かくの如きの霊験にあらずんば、すなはち、八百年来、あに不退転に及ばんや」とも記され、旧暦の7月16日のお盆に行われていた五山送り火に使われる薪(まき)について記されています。毎年旧暦の7月6日に村人が五山送り火が行われる山々に登り、油分が多い松の木を伐採して割り、16日まで住民の門外で乾燥させました。もし五山送り火用の薪を別の用途に使用すると病気に罹って苦しむと記されています。またこのような霊験があるからこそ800年続いているとも記されています。
●黒川道祐は江戸時代前期の1623年(元和9年)に広島藩主・浅野光晟の典医・黒川光信(黒川寿閑)と堀杏庵の娘と子として安芸国(広島)に生れました。黒川家は藤原秀郷を祖先と称し、その後下野国(栃木県佐野市)の豪族になり、更に近江国(滋賀県甲賀郡土田町黒川)に住するようになり、黒川を称したと言われています。父から医学を学び、外祖父である堀杏庵や儒学者である林羅山・林鵞峰の親子に儒学を学びました。黒川家の家督を嗣いで父と同じく、広島藩主・浅野家に家禄400石の儒医として仕えました。医師・武田信成の娘と結婚し、長男・武田信郷(叔安)が生れました。1663年(寛文3年)に日本の歴代名医の伝記や疾病史などを収めた医学史書「本朝医考」を著しました。その後1673年(延宝元年)に広島藩主・浅野家の典医を辞し、京都洛中に住して著述に専念しました。本草家・貝原益軒らと交友したり、近畿一円を旅したりしました。1675年(延宝3年)に「遠碧軒記」、1684年(貞享元年)に山城国(京都府)の地誌「雍州府志」、1685年(貞享2年)に京都の年中行事を解説した歳時記「日次紀事」などを著しました。ちなみに1681年(延宝9年)に大和(奈良)に旅行した際、親しくしていた絵師・狩野永納と美術鑑賞や古刹巡りを話したことを記録に残されています。また「芸備国郡志」・「遠碧軒随筆」・「近畿游覧誌稿」なども記しました。黒川道祐は玄逸・静庵・遠碧軒などと称し、独自の史観により、地誌・医学史に功績を残しました。なお黒川道祐は江戸時代中期の1691年(元禄4年)12月23日に亡くなりました。京都市上京区智恵光院通五辻上ルの法華宗真門流の総本山・本隆寺に墓碑があります。
【黒川道祐の「雍州府志」と五山送り火 備考】
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