日像上人(にちぞうしょうにん)・妙法と五山送り火
日像上人・妙法と五山送り火
五山送り火の中には起源が明確ではないものもあるが、妙法の内、「妙」は鎌倉時代(1185年~1333年)末期に日蓮宗の僧・日像上人、「法」は江戸時代(1603年~1868年)に大妙寺の僧・日良上人が始めたと涌泉寺の寺伝に記されています。
【五山送り火2026 日程】
五山送り火2026は2026年(令和8年)8月16日(日曜日)20:00から5分間隔で順次点火されます。なお五山送り火は原則雨天決行だが、気象条件によって点火時間が変更になる場合もあります。
五山送り火2026(鑑賞スポット・穴場・日程・・・)
【五山送り火 歴史・簡単概要】
五山送り火(ござんのおくりび)はお盆(おぼん・盂蘭盆(うらぼん))にあの世(冥府(めいふ))から帰ってきたお精霊さん(おしょらいさん)をあの世に送り返す仏教的行事です。五山送り火は宗教・歴史的な背景から「大文字の送り火」とも言われることがあります。五山送り火はいつ始まったかは明確ではありません。一説には多くの灯明を灯して仏神を供養する万灯会(まんどうえ)が山の山腹で行われるようになり、お盆の精霊の送り火(門火(かどび))になったとも言われています。
【日像上人(にちぞうしょうにん)・妙法】
五山送り火の中には起源が明確ではないものもあるが、妙法の内、「妙」は鎌倉時代(1185年~1333年)末期に日蓮宗(にちれんしゅう)の僧・日像上人、「法」は江戸時代(1603年~1868年)に大妙寺(だいみょうじ)の僧・日良上人が始めたと涌泉寺(ゆうせんじ)の寺伝に記されています。ちなみに「妙」の文字は草書体(そうしょたい)、「法」の文字は楷書体(かいしょたい)で時代が異なることを表しているそうです。
妙法が灯される松ヶ崎集落は天台宗(てんだいしゅ)の総本山・延暦寺(えんりゃくじ)がある比叡山(ひえいざん)西麓に位置するところから平安時代(794年~1185年)から延暦寺領で、村内に叡山三千坊に数えられた歓喜寺(かんきじ)がありました。その後1306年(徳治元年)に日像上人が松ヶ崎集落で説法を行って、日蓮宗(法華宗)・「法華経(ほけきょう)」を広め、同年7月16日に歓喜寺の住職・実眼と松ヶ崎集落全体が天台宗から日蓮宗に改宗したと言われています。松ヶ崎集落は洛西の鶏冠井集落とともに京都の中でいち早く日蓮宗・「法華経」が広まりました。日像上人の弟子になった実眼は喜びのあまりに踊りながら太鼓を打ち、題目「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」と唱えると村人も「南無妙法蓮華経」と唱えて踊り、松ヶ崎題目踊り(まつがさきだいもくおどり)の起源になりました。松ヶ崎題目踊りは五山送り火が行われる8月16日とその前日15日に奉納されるそうです。「妙」は鎌倉時代末期に日像上人が西山(万灯籠山(まんとうろうやま))に向かい、「南無妙法蓮華経」の題目から「妙」の字を書き、山に点火するようになったと言われています。ちなみに「南無妙法蓮華経」には「法華経」の教えに帰依をするという意味があります。
なお京都の日蓮宗(法華宗)は妙顕寺(みょうけんじ)などの日像派をはじめ多くの流派が生まれ、応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))前後には洛中に本山だけで21の寺院があって、洛中二十一本山と言われるほど拡大し、京都は「題目の巷」と称されました。
●日像上人は1269年(文永6年)9月7日に下総国(千葉県)の豪族・平賀忠晴の子として生まれました。1275年(建治元年)に兄で、日蓮聖人の弟子・日朗に師事し、その後日蓮聖人の直弟子になり、「経一丸」の名を与えられ、玄旨伝法本尊と言われる曼荼羅本尊を授けられたました。1293年(永仁元年)に日蓮聖人の遺命(京都弘通と宗義天奏)を果たすべく、京都での布教に出発しました。日蓮聖人の足跡を辿って、配流された佐渡に渡って「法華経」を布教し、北陸を経て、1294年(永仁2年)に御所に向かって上奏しました。その後辻説法を行って新興の商工業者に布教したが、1307年(徳治2年)に延暦寺・東寺・仁和寺・南禅寺・知恩寺などの諸大寺から迫害を受け、朝廷に合訴されて京都から追放され、1309年(延慶2年)に赦免されて京都に戻りました。1310年(延慶3年)にも合訴されて京都から追放され、1311年(延慶4年)に赦免されて京都に戻ったが、1321年(元亨元年)に更に合訴されて京都から追放され、直ぐに許されました。1321年(元亨元年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇から寺領を賜って妙顕寺を創建し、1334年(建武元年)に後醍醐天皇から法華宗号を許され、勅願寺になりました。1336年(延元元年・建武3年)に足利将軍家祈願所、翌1337年(延元2年・建武4年)に北朝光厳院祈願所にもなりました。日像上人は後醍醐天皇の京都還幸を祈願するだけでなく、北朝・光厳上皇(北朝初代・光厳天皇)の祈祷も行い、公武から信仰を集めました。日像上人は肥後阿闍梨とも言われ、日蓮宗の京都布教の基盤を作りました。日像上人は「法華講式」・「三秘蔵集」・「宗旨弘通鈔」・「法華宗旨問答抄」・「本尊相承」などを記しました。日像上人は1342年(康永元年・興国3年)12月11日に亡くなりました。1358年(正平13年・延文3年)に菩薩号を勅許されました。
●涌泉寺は1918年(大正7年)5月にいすれも松ヶ崎集落にあった妙泉寺(みょうせんじ)と本涌寺(ほんゆうじ)が合寺して創建されました。妙泉寺は805年(延暦24年)に黄門侍郎牒利(こうもんじろうのりとし)が歓喜寺(かんきじ)として創建したのが起源とも言われています。本涌寺は1574年(天正2年)に教蔵院日生(にっしょう)が創建し、1574年(天正2年)に日蓮宗の僧侶養成・学問所である松ヶ崎檀林(まつがさきだんりん)が開かれました。
【日像上人・妙法と五山送り火 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
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