満足稲荷神社の歴史-修学旅行・観光の簡単解説

満足稲荷神社の歴史を時代別年表にまとめ
満足稲荷神社の歴史を簡単にまとめています。満足稲荷神社は文禄年間に豊臣秀吉が伏見城の守護神として勧請したのが起源です。秀吉は文禄の役の戦勝を稲荷大神に祈願したところ霊験が著しかった為、稲荷社を祀ったと伝えられています。(時代別年表・重要人物下記参照)
【伏見稲荷大社・伏見城】
●伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は711年(和銅4年)に伊侶巨秦公(いろこのはたのきみ)が勅命を受け、稲荷山の三つの峯の平らな場所に稲荷大神(いなりのおおかみ)を祀ったのが起源と言われています。稲荷大神は711年(和銅4年)2月の初午(はつうま)の日に初めて稲荷山に鎮座したとされています。
●伏見城(ふしみじょう・伏見桃山城(ふしみももやまじょう))は1592年(天正20年)に関白職を甥・豊臣秀次(とよとみひでつぐ)に譲った豊臣秀吉(とよとみひでよし)が平安時代から観月の名所とされていた伏見指月(しげつ)に隠居所として隠居屋敷を造営したのが起源です。1593年(文禄2年)に豊臣秀頼(とよとみひでより)が誕生し、大坂城を豊臣秀頼に譲る為に隠居屋敷の大規模な改修が始まり、1594年(文禄3年)に城下町の整備も行われ、五奉行などの家臣団屋敷や大名屋敷がありました。ただ1596年(慶長元年)に慶長伏見地震(けいちょうふしみじしん)で建物が倒壊した為、北側約500メートルにある木幡山(こばたやま)に場所を移して築城が再開され、1597年(慶長2年)5月に天守閣が完成して豊臣秀吉が移り住んだが、1598年(慶長3年)8月18日に豊臣秀吉が伏見城で亡くなりました。1600年(慶長5年)に関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)が勃発し、1601年(慶長6年)3月に勝利した江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)が入城し、伏見城の再建と二条城の築城に着手しました。1619年(元和5年)から一国一城令によって廃城が決定し、1625年(寛永2年)に破却が完了しました。
【満足稲荷神社の起源・始まり】
●満足稲荷神社は文禄年間(1592年~1595年)に関白・豊臣秀吉が伏見城の守護神として勧請したのが起源です。豊臣秀吉は1592年(天正20年)から1593年(文禄2年)の文禄の役(ぶんろくのえき)の戦勝を稲荷大神に祈願したところ霊験(れいげん)が著しかった為、伏見城の守護神として稲荷社を祀ったのが起源と伝えられています。社名の「満足」は豊臣秀吉が稲荷大神の霊験に「満足」したことに由来すると言われています。なお豊臣秀吉は1588年(天正16年)に母・大政所(おおまんどころ・仲(なか)・天瑞院(てんずいいん))の病気回復を伏見稲荷大社に祈願し、1589年(天正17年)に伏見稲荷大社で楼門を再建しました。
【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】
●1693年(元禄6年)に江戸幕府5代将軍・徳川綱吉(とくがわつなよし)が現在の場所に移し、法皇寺(ほうおうじ)の鎮守社になりました。なお法皇寺は寺伝によると603年(推古天皇11年)頃に第31代・用明天皇(ようめいてんのう)の皇子・聖徳太子(しょうとくたいし)が第33代・推古天皇(すいこてんのう)の勅願によって創建したとも言われています。平安時代中期に宇多法皇(第59代・宇多天皇(うだてんのう))が落飾した後に寺を行宮(あんぐう)にした為、法皇寺と言われるようになったと言われています。
【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】
●1878年(明治11年)に法皇寺が南禅寺(なんぜんじ)山内に移されて南禅寺の塔頭(たっちゅう)になり、満足稲荷神社だけが残されました。
●1888年(明治21年)に幣帛供進神社に指定されました。
【満足稲荷神社を創建した豊臣秀吉】
関白・豊臣秀吉は1537年(天文6年)に織田信長の足軽・木下弥右衛門と美濃の鍛冶・関兼貞の娘・なか(仲・天瑞院)の間に生まれました。尾張国愛知郡中村郷中中村(愛知県名古屋市中村区)で生まれたとも言われています。先ず今川氏の家来で、引馬城の支城・頭陀寺城城主・松下之綱に仕え、1554年(天文23年)頃から戦国大名・織田信長に仕えました。1561年(永禄4年)に浅野長勝の養女・北政所(ねね)と恋愛結婚しました。その後数々の戦功を重ねて頭角を現し、1573年(天正元年)に浅井氏が滅亡すると長浜城城主になりました。1582年(天正10年)に明智光秀が織田信長に謀反を起こした本能寺の変後、山崎の戦いで明智光秀を破り、京都の支配権を掌握しました。1583年(天正11年)の賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破りました。その後四国・九州・関東・奥羽を平定し、1590年(天正18年)に天下を統一を成し遂げました。ちなみに1585年(天正13年)に関白、翌1586年(天正14年)に豊臣姓を賜って、太政大臣になりました。その後唐(中国)入りを目指し、1592年(天正20年)から文禄・慶長の役が始まりました。なお豊臣秀吉は1598年(慶長3年)に伏見城内で亡くなりました。
【満足稲荷神社の歴史 備考】
*参考・・・満足稲荷神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia














