大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)と葵祭

大伴坂上郎女と葵祭

葵祭では流鏑馬が698年(文武天皇2年)以降に禁じられたり、京都の地元民のみに参加が制限されたりしたが、738年(天平10年)に乱闘しないことを条件に解禁されました。大伴坂上郎女は解禁前の737年(天平9年)に葵祭を見物したと言われています。

【葵祭日程2026(要確認)】
葵祭2026ではハイライトである路頭の儀が2026年(令和8年)5月15日(金曜日)に行われます。(悪天候の場合、翌16日に順延)なお葵祭では例年5月1日から主な前儀・後儀が行われます。
葵祭2026日程(時代行列・流鏑馬神事・・・)
●葵祭・路頭の儀では人約500名・馬約40頭・牛4頭・牛車2台・輿(こし)1丁などの時代行列が巡行します。
葵祭路頭の儀2026

【葵祭 歴史・簡単概要】
葵祭(あおいまつり)は古墳時代後期の第29代・欽明天皇の時代(539年~571年)に京都をはじめ全国が風水害に見舞われて飢餓・疫病が流行し、賀茂大神(上賀茂神社・下鴨神社)の崇敬者・卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)に占わせられたところ賀茂大神の祟りであると奏した為、4月吉日を選んで、馬に鈴を懸け、人は猪頭(いのがしら)を被り、駆競(くち・かけくらべ)して盛大に祭りを行ったことが起源です。その後819年(弘仁10年)に律令制度の中で最も重要な恒例祭祀(中祀)に準じて行われる国家的行事になり、平安時代中期に祭りと言えば、葵祭のことをさすほど隆盛を極めました。
葵祭歴史年表・由来

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【大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)】
葵祭では流鏑馬(やぶさめ)が698年(文武天皇2年)以降に禁じられたり、京都の地元民のみに参加が制限されたりしたが、738年(天平10年)に乱闘しないことを条件に解禁されました。女性歌人・大伴坂上郎女は40歳ぐらいの頃で、解禁前の737年(天平9年)に葵祭を見物したと言われています。葵祭は朝廷の意向に関わらず京都以外からの見物人が絶えなかったと言われています。奈良時代(710年~794年)は現在ほど情報化が進んでいないが、それでも葵祭に大勢の人が集まって人気だったことが都のある奈良まで知られていたようです。
「万葉集」詞書に「夏四月、大伴坂上郎女、賀茂神社(かものやしろ)を拝み奉る時に、すなはち逢坂山(おおさかやま・相坂山)を越え、近江の海を望み見て、晩頭(ゆうぐれ)に帰れ来りて作る歌一首(夏四月、大伴坂上郎女、奉拜賀茂神社之時、便超相坂山、望見近江海、而晩頭還来作歌一首)」と記され、和歌「木綿畳(ゆふたたみ) 手向(たむ)の山を 今日越えて いづれの野辺に 廬(いほ)りせむ我」と詠みました。和歌には木綿を畳んだ御幣を逢坂山の峠の神に手向けて道中の安全を祈り、今夜どこの野辺に仮の宿を結んで過ごそうかという意味があります。ただ和歌は野宿をしたかのように歌っているが、旅愁を漂わせる虚構と言われているそうです。737年(天平9年)4月に日本最古の和歌集「万葉集(まんようしゅう)・奈良時代(710年~794年)末期成立」の代表的な女性歌人・大伴坂上郎女が都がある奈良から40、50キロの道を歩いて賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)を参拝し、旧暦4月の第2の酉(とり)の日に行われていた葵祭(賀茂祭)を見物し、その後山背国(京都)・近江国(滋賀)の国境にある逢坂山を越えて、近江の海とも言われる琵琶湖(びわこ)を望見しました。

●大伴坂上郎女は生没年が不詳です。坂上郎女の通称は坂上の里(奈良市法蓮町北町)に住んでいたことに由来します。大伴安麻呂と石川内命婦の娘の間に生まれました。大伴稲公の姉、大伴旅人の異母妹、大伴家持の叔母です。16歳頃に天武天皇の第5皇子・穂積皇子に嫁ぐが、715年(霊亀元年)の18歳頃に死別しました。その後藤原麻呂の恋人になったが、その後別れました。724年(養老8年)頃に異母兄・大伴宿奈麻呂の妻になり、坂上大嬢・坂上二嬢を産み、その後大伴宿奈麻呂と死別したと言われています。その後大宰府に赴任し、妻を亡くした異母弟である大伴氏の氏長・大伴旅人もとに赴き、その子である大伴家持・大伴書持を養育したと言われています。730年(天平2年)に奈良に戻り、大伴旅人も奈良に戻ったが、730年(天平3年)に大伴旅人が亡くなると大伴氏の婦人の長老として大伴氏の家政を取り仕切りました。大伴坂上郎女は「万葉集」に長歌(6首)・短歌(78首)を合わせて84首が収録され、個人の歌数として第3位です。女性歌人の中で1番多い歌数です。大伴坂上郎女は聖武天皇に献歌し、額田王以降で最大の女性歌人とも言われています。歌風は技巧的でありながら叙情性も兼ね備えています。
●流鏑馬(騎射)は「続日本紀」に「文武二年(698年)三月辛巳。(廿一)禁山背国賀茂祭(葵祭)日会衆騎射(流鏑馬)」、また「続日本紀」に「大宝二年(702年)夏四月庚子。(戊戌朔三)禁祭賀茂神(葵祭)日、徒衆会集、執仗騎射(流鏑馬)。唯当国之人、不在禁限。」、「類聚三代格」に「勅、比年以来、祭賀茂神(葵祭)之日、会集人馬、悉皆禁断、自今以後、任意聴祭、但祭礼之庭勿令闘乱。天平十年(738年)四月二三日」と記され、禁止・制限・解禁されたことなどが分かります。

【大伴坂上郎女と葵祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
葵祭見どころ

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