三十三間堂・通し矢の完全ガイド|距離・的の大きさなどを解説

三十三間堂通し矢

三十三間堂・通し矢の完全ガイド

三十三間堂の通し矢を徹底解説します。通し矢(全国弓道大的大会)は例年1月15日に近い日曜日に行われています。通し矢では着物袴姿の20歳男女の弓道有段者などが約60メートル先の大的を射って腕を競います。通し矢は新春の風物詩として関西でニュースになります。(詳細下記参照)

三十三間堂見どころ(蓮華王院本堂・千手観音など)

【通し矢(全国弓道大的大会)の概要・概略】

●通し矢(とおしや)・全国弓道大的大会(おおまとたいかい)は江戸時代に各藩の弓術家が三十三間堂(蓮華王院本堂)の軒下で矢を射った大矢数に因んだ行事です。通し矢では例年約2千名の20歳男女の弓道有段者や称号者が大的を射って腕を競います。20歳の女性は華やかな着物袴姿で矢を射ることから新春の風物詩、京都の風物詩になっています。
●新成人による通し矢(大的大会)は1951年(昭和26年)から行われています。大的大会は例年1月15日に近い日曜日に行われています。(要確認)大的大会では2本の矢が大的に射ます。決勝は射た2本の矢が全て大的に的中した皆中者で行われます。
●女性は振袖(ふりそで)に袴(はかま)、または小振袖(二尺袖着物)に袴を着用した華やかな服装です。男性は稽古着、または紋付き(もんつき)に袴です。着物レンタル業者によるレンタル・着付けが人気になっています。

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【距離・的の大きさの解説】

通し矢では射場が三十三間堂(蓮華王院本堂)の西側に設置され、北側から60メートル先に置かれた南側の大的を狙います。60メートルは弓道競技の遠的(えんてき)の距離にあたります。なお三十三間堂の南側は立ち入り禁止になっています。
●60メートル先の大的の大きさは一定ではなく、20歳男女は1メートル、称号者は79センチになります。また2本の矢を全て的中させた皆中者で争われる決勝では20歳男女の的の大きさは1メートルから79センチ、称号者の的の大きさは79センチから50センチに小さくなります。なお予選では4つの大的に対し、12人が一斉に射ます。

【歴史・時代の解説】

通し矢は起源が明確ではありません。通し矢は確証はなく、伝説の域を出ないそうだが、平安時代末期の1156年(保元元年)頃に熊野・蕪坂源太(かぶさかげんた)が三十三間堂で行ったのが起源とも言われているそうです。蕪坂源太は狩りを職業とし、二町(約218メートル)先を走る鹿さえも外さなかったとも言われているそうです。その後通し矢は安土桃山時代の天正年間(1573年~1591年)に盛んになり、1595年(文禄4年)には関白・豊臣秀次(とよとみひでつぐ)が三十三間堂での禁令を出しました。なお通し矢は堂射(どうしゃ)・堂前(どうまえ)などとも言われるそうです。
●通し矢の記録が明確に残っているのは江戸時代前期の1651年(慶安4年)に出された「年代矢数帳」に記されている1606年(慶長11年)の浅岡平兵衛(あさおかへいべえ)の記録が最初だそうです。そして1686年(貞享3年)に紀州藩士で、紀州竹林派の弓術家・和佐範遠(わさのりとお・大八郎)が13,053本中8,133本射通したのが最高記録だそうです。和佐範遠は18歳で、記録達成者として「天下一」と称されました。その後通し矢は18世紀中頃からほとんど行われなくなったそうでう。なお通し矢の起源と言われている大矢数(おおやかず)は一昼夜に何本射通したかを競ったものだそうです。ちなみに的中率を競う百射(ひゃくい)・千射(せんい)なども行われていたそうです。
●1606年(慶長11年)の浅岡平兵衛以来、通し矢は武芸者の栄誉を掛けたものになり、いずれも御三家に数えられた紀州藩と尾張藩の功名争いが人気を高めました。尾張藩士・星野勘左衛門(ほしのかんざえもん)、紀州藩士・葛西団右衛門(かさいだんえもん)の記録が残されています。

【三十三間堂(蓮華王院本堂)の解説】

●通し矢が現在行われる射場は三十三間堂(蓮華王院本堂)の西側に設置されます。三十三間堂は国宝で、1266年(文永3年)に再建されました。三十三間堂には本尊・千手観音坐像(国宝)や1,001体の千手観音立像(国宝)などが安置されています。三十三間堂は内陣の柱間が33あることから三十三間堂と言われています。なお三十三間堂は三十三間堂近くの天台宗の門跡寺院・妙法院(みょうほういん)の境外仏堂で、妙法院が所有・管理しています。
●三十三間堂は全長約121.7メートル、高さ約4.5~約5.3メートル、幅約2.36メートルです。全長は現在行われている60メートルの通し矢の約2倍あります。

【楊枝のお加持の解説】

通し矢は三十三間堂(蓮華王院本堂)での楊枝のお加持(やなぎのおかじ)と一緒に1月中旬頃に行われ、拝観料が無料になります。楊枝のお加持は後白河法皇の頭痛平癒にあやかる霊験あらたかな最重の法要です。楊枝のお加持では本尊・千手観音坐像前で7日間祈祷した浄水を人間の煩悩を除くとされる霊木・楊枝の枝で参詣者に降り注ぎ、無病息災・厄除開運のご利益を授けます。楊枝のお加持はインド伝来の修法と言われているそうです。
●後白河法皇の頭痛には次のような話が残されています。後白河法皇は前世が熊野の修行僧・蓮華坊で、その髑髏(どくろ)が熊野・岩田川に沈み、髑髏を貫いて柳が生え、風に揺られて柳が髑髏に当たることが頭痛の原因になっているというものです。その後髑髏は観音像の頭に納めて祀られ、柳は棟木に使われ、後白河法皇の頭痛は解消したそうです。

【三十三間堂・通し矢の完全ガイド 備考】
*参考・・・三十三間堂(見どころ・歴史・通し矢・・・)ホームページ

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