粟田神社例大祭(日程・時間・・・)

粟田神社例大祭

粟田神社例大祭2015(日程時間・・・)を紹介しています。例大祭は例年10月15日に行われます。例大祭では神事だけでなく、舞楽(神楽・雅楽)なども奉納されます。なお例大祭の前には境内に設けられた席で、抹茶の接待も行われます。(詳細下記参照)

【粟田神社例大祭2015 日程時間(要確認)】
粟田神社例大祭2015は2015年(平成27年)10月15日(木曜日)の11:00から行われます。

【粟田神社例大祭2015 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区粟田口鍛冶町1番地
最寄り駅・バス停・・・神宮道(徒歩約5分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは5系統(A1乗り場)、100系統(D1乗り場)
*四条河原町からは5系統、46系統
*四条大宮・四条烏丸・四条京阪からは46系統
路線・時刻表・運賃チェック

スポンサーリンク(Sponsor Link)

【粟田神社例大祭 歴史・簡単概要】
粟田神社例大祭は粟田神社本来の祭礼で、最も重要な祭事です。例大祭では粟田神社にゆかりがある八坂神社からの幣帛供進(お供え)の為に神職が訪れます。また例大祭では舞楽(神楽・雅楽)が奉納されます。以前には剣の舞(つるぎのまい)・鈴扇の舞(すずおうぎのまい)・浦安の舞(うらやすのまい)・蘭陵王(らんりょうおう)などが奉納されたそうです。
なお例大祭は粟田祭(あわたまつり)の最後の祭事とも言われています。粟田祭(粟田神社大祭)は1千年以上の歴史を持っている祭事です。粟田祭は1001年(長保3年)の旧暦9月9日の夜、一人の神童が八坂神社(祇園社)に現れ、「今日より7日後に八坂神社(祇園社)の東北の地に瑞祥が現れる。そこに神幸すべし」と神人に告げ、お告げの通りに瑞光が現れ、御神幸が為されました。この瑞光が現れた場所が粟田神社で、これが粟田祭の起源とされています。

【粟田神社 歴史・簡単概要】
粟田神社は第5代・孝昭天皇の末裔で、奈良時代から活躍し、この地を治めていた古代の豪族・粟田氏が氏神として祀ったのが起源とも言われています。また粟田神社は876年(貞観18年)に第56代・清和天皇が勅を発し、全国の諸神を祀って国家と国民の安全を祈願させた際、大己貴神からの神告により、八坂神社の祭神・牛頭天王(素戔嗚尊)にゆかりがある現在の場所に祀られたのが起源と言われています。勅使として派遣された藤原興世が八坂神社で7日7晩丹精を込めて祈願すると満願の夜に枕元に1人の老翁が立ち、「汝すぐ天皇に伝えよ。叡慮を痛められること天に通じたる。我を祀れば、必ず国家と民は安全なり。」と告げられ、神意を朝廷に奏上し、勅命によって社殿が建立されて神霊を祀りました。1001年(長保3年)に粟田祭が創始されました。同年の旧暦9月9日の夜、一人の神童が八坂神社に現れて神人に「今日より7日後に祇園社の東北の地に瑞祥が現れる。そこに神幸すべし」と告げ、お告げのとおり瑞光が現れた為、御神幸が行われるようになりました。鎌倉時代に青蓮院が鴨川の氾濫を避ける為に三条白川から現在の場所に移り、その後青蓮院の鎮守社になりました。室町時代中期に応仁の乱で焼失したと言われています。1500年(明応9年)に室町幕府が吉田兼倶に命じ、室町幕府10代将軍・足利義稙の産土神として、八坂神社から新たに勧請して再興したと言われています。1703年(元禄16年)に拝殿が再建されました。明治維新後に社名を粟田神社に改めました。
*参考・・・粟田神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【粟田神社例大祭2015 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
粟田神社例大祭2015では剣の舞が奉納されました。剣の舞には魔除けの意味があるとも言われています。
粟田神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

関連記事

京都観光おすすめ

  1. 錦市場(Nishiki Market)
  2. 竹林の道(Bamboo Forest Path)
  3. 嵐山
ページ上部へ戻る