粟田神社粟田祭2025年10月(日程時間・・・)

粟田祭

粟田神社粟田祭

粟田神社粟田祭(粟田神社大祭)(日程・時間・・・)を紹介しています。粟田祭は毎年スポーツの日の前々日の土曜日から数日間行われています。粟田祭では粟田神社の神職による祝詞奏上・知恩院(ちおんいん)の僧侶による読経という神仏習合で行われたり、神輿渡御の際には青蓮院(しょうれんいん)の門主から御加持を受けたりします。(詳細下記参照)

【粟田神社粟田祭2024 日程時間(要確認)】
粟田神社粟田祭2024は2024年(令和6年)10月12日(土曜日)~15日(火曜日)に行われます。(現在確認中・要注意)
●スポーツの日の前々日(10月12日・土曜日)17:30から出御祭(おいでまつり)、18:30から祇園ばやし奉納、17:00から奉献酒当選番号発表、19:30から石見神楽が行われます。夜店は17:00頃~21:00です。
●スポーツの日の前日(10月13日・日曜日)13:00から剣鉾清祓い、16:45からお迎え行列、17:30から本殿出発祭、18:00から夜渡り神事行列出発、18:30かられいけん祭(瓜生石前)が行われ、その後氏子地区を巡行し、22:00頃に神社に帰着します。
●スポーツの日(10月14日・月曜日)10:00から神幸祭斎行、10:30から神幸祭行列出発、その後氏子地区を巡行し、16:00頃に還幸祭斎行が行われます。
●10月15日10:00~11:00に抹茶の接待、11:00から例大祭・式庖丁奉納が行われます。
*参考・・・粟田神社ホームページ

【粟田神社粟田祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区粟田口鍛冶町1番地
最寄り駅・バス停・・・神宮道(徒歩約5分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは5系統(A1乗り場)、100系統(D1乗り場)
*四条河原町からは5系統、46系統
*四条大宮・四条烏丸・四条京阪からは46系統
路線・時刻表・運賃チェック

*地下鉄東西線の場合、最寄り駅は東山駅(徒歩約7分)、蹴上駅(徒歩約7分)

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【粟田神社粟田祭 歴史・簡単概要】
粟田神社粟田祭(あわたまつり)・大祭(たいさい)は1001年(長保3年)旧暦9月9日の夜、一人の神童が八坂神社に現れ、「今日より7日後に八坂神社の東北の地に瑞祥が現れる。そこに神幸すべし。」と神人に告げ、7日後の9月15日にお告げの通りに瑞光が現れたことから神幸が始まったのが起源と言われています。粟田祭では1832年(天保3年)以来途絶えていた風流灯籠(ふうりゅうどうろう)・粟田大燈呂(あわただいとうろ)が2008年(平成20年)から復活しました。なお粟田祭は室町時代に比叡山延暦寺の影響力により、八坂神社の祭礼・祇園祭が行われなかった際、粟田祭が代わりに行われたとも言われています。
粟田祭は1千年以上の歴史を持つ10月最大の祭礼です。粟田祭はスポーツの日の前々日の御出祭(おいでまつり)、スポーツの日の前日の夜渡り神事(よわたりしんじ)・れいけん祭、スポーツの日の神幸祭(しんこうさい)・還幸祭(かんこうさい)、15日の例大祭(れいたいさい)に分かれています。
御出祭では神輿に本殿に分霊を移します。御出祭の前には石見神楽など伝統芸能を奉納する神賑行事(しんしんぎょうじ)などのイベントが行われます。(要確認)
夜渡り神事・けいれん祭では神職・松明・高張提灯・阿古陀鉾・地蔵鉾・粟田大燈呂(あわただいとうろ)などが氏子地区を巡行します。知恩院(ちおんいん)の黒門近くにの瓜生石(うりゅうせき)前では祭壇を設け、粟田神社の神職による祝詞奏上・知恩院の僧侶による読経という神仏習合で行われます。祭礼の内では瓜生石の回りを神職・僧侶などが3回巡拝するれいけんが行われます。
神幸祭では剣鉾・神輿・子供神輿などが氏子地区を巡行します。巡行途中の青蓮院では普段閉まっている四脚門が開かれ、神輿が青蓮院(しょうれんいん)の中に入り、青蓮院の門主から加持を受けます。なお巡行が終了すると粟田神社に戻り、神輿から分霊を本殿に移す還幸祭が行われます。
例大祭では粟田神社にゆかりがある八坂神社からの幣帛供進(お供え)の為に神職が訪れます。なお例大祭では舞楽(神楽・雅楽)が奉納されます。
瓜生石は知恩院の七不思議に数えられ、誰も植えた覚えがないのに瓜が花を咲かせて青々と実ったとも、八坂神社の祭神・牛頭天王(ごずてんのう)が瓜生山に降臨し、その後瓜生石に来現して一夜の内に瓜が実ったとも言われています。また約400年前の旧暦9月14日の夜、石の上に瓜が覆い、光り輝いていた御金札(金のおふだ)に粟田神社(感神院新宮)の銘があり、神の降臨とされ、御金札は粟田神社に納められ、石は瓜生石と名付けられたとも言われています。

【粟田神社 歴史・簡単概要】
粟田神社は第5代・孝昭天皇の末裔で、奈良時代から活躍し、この地を治めていた古代の豪族・粟田氏が氏神として祀ったのが起源とも言われています。また粟田神社は876年(貞観18年)に第56代・清和天皇が勅を発し、全国の諸神を祀って国家と国民の安全を祈願させた際、大己貴神からの神告により、八坂神社の祭神・牛頭天王(素戔嗚尊)にゆかりがある現在の場所に祀られたのが起源と言われています。勅使として派遣された藤原興世が八坂神社で7日7晩丹精を込めて祈願すると満願の夜に枕元に1人の老翁が立ち、「汝すぐ天皇に伝えよ。叡慮を痛められること天に通じたる。我を祀れば、必ず国家と民は安全なり。」と告げられ、神意を朝廷に奏上し、勅命によって社殿が建立されて神霊を祀りました。1001年(長保3年)に粟田祭が創始されました。同年の旧暦9月9日の夜、一人の神童が八坂神社に現れて神人に「今日より7日後に祇園社の東北の地に瑞祥が現れる。そこに神幸すべし」と告げ、お告げのとおり瑞光が現れた為、御神幸が行われるようになりました。鎌倉時代に青蓮院が鴨川の氾濫を避ける為に三条白川から現在の場所に移り、その後青蓮院の鎮守社になりました。室町時代中期に応仁の乱で焼失したと言われています。1500年(明応9年)に室町幕府が吉田兼倶に命じ、室町幕府10代将軍・足利義稙の産土神として、八坂神社から新たに勧請して再興したと言われています。1703年(元禄16年)に拝殿が再建されました。明治維新後に社名を粟田神社に改めました。
*参考・・・粟田神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【粟田神社粟田祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
粟田祭では御幣守り・身代わり札が巡行中に販売されます。(要確認)
粟田神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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