大覚寺ハス見ごろ2024(7月上旬~8月上旬頃)
大覚寺ハス見ごろ(見頃)
大覚寺ハス見ごろ(時期・イベント・・・)を紹介しています。大覚寺では周囲約1キロの大沢池に爪紅の古代蓮で、大覚寺独自の品種である名古曾などのハスが植えられ、ピンク色の花を咲かせます。ちなみに名古曾は一時絶滅の危機にあったそうです。ハスの花は早朝に咲き、昼頃には閉じます。(詳細下記参照)
【大覚寺ハス見ごろ(例年時期)】
大覚寺のハス見ごろは例年7月上旬頃から8月上旬頃です。なおハスの見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都ハス名所・見ごろ
【大覚寺ハス見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市右京区嵯峨大沢町4
最寄り駅・バス停・・・大覚寺(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から大覚寺は28系統(D3乗り場)
*四条烏丸から91系統
路線・時刻表・運賃チェック
*JR嵯峨野線の場合、最寄り駅は嵯峨嵐山駅(徒歩約15分)
【大覚寺ハス見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
大覚寺はハス(蓮)の名所です。大覚寺のハス見ごろは例年7月上旬頃から8月上旬頃です。
大覚寺では周囲約1キロの大沢池(国の名勝)に爪紅(つまべに)の古代蓮で、大覚寺独自の品種である名古曾(なこそ)などのハスが植えられ、ピンク色の花を咲かせます。ちなみに名古曾は一時絶滅の危機にあったそうです。ハスの花は早朝に咲き、昼頃には閉じます。なお大沢池ではハスが見ごろを迎える時期に平安時代にハスを愛でた宴・観蓮節(かんれんせつ)が催され、ハスの葉に酒などの飲み物を注ぎ、茎の切り口から飲む象鼻杯(ぞうびはい)が行われているそうです。(要確認)
大沢池は平安時代前期の814年(弘仁5年)頃に第52代・嵯峨天皇が中国の淡水湖として2番目に大きい洞庭湖(どうていこ)を模して築造したとも言われています。大沢池は日本最古の人工の庭池とされています。なお大沢池は奈良の猿沢池・滋賀の石山寺とともに三大名月鑑賞地とされています。
名古曽滝跡は大沢池とともに国の名勝に指定されています。名古曽滝跡は「今昔物語(こんじゃくものがたり)平安時代末期成立」によると平安時代初期の貴族・画家である百済河成が作庭したとも言われています。名古曽滝跡は京都市内に現存する最古の庭園の遺構と言われています。名古曽滝跡は1999年(平成11年)に復元が完了しました。
ハス(蓮)はインド原産のハス科の多年性水生植物です。ハスは古くに中国から渡来し、食用のレンコン(蓮根)や観賞用のハナハス(花ハス)として、日本各地の池・沼・水田などで栽培されるようになりました。ハスは花托(かたく)の形状が蜂の巣に似ていることから古くは「はちす」と言われていました。ハスの花は蓮華(れんげ)と言われ、その名称は仏教とともに中国から伝来したとも言われています。如来像の台座には蓮華をかたどった蓮華座になっています。ハスは泥水の中から清浄な美しい花を咲かせることから仏の知恵や慈悲の象徴とされています。またハスは泥より出でて、泥に染まらずと称され、清らかさや聖性の象徴ともされています。ちなみに極楽浄土の池には「阿弥陀経(あみだきょう)」によると青・黄・赤・白色の車輪のような大きなハスの花が咲いていると言われているそうです。ハスは夏に水上に花茎を伸ばし、紅・淡紅・ピンク色・白色などの花を咲かせます。ハスの花は径10~25センチ、花弁が20数枚で、芳香があります。なおハスの花は早朝に咲き、昼頃には閉じます。
●大覚寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
大覚寺歴史(嵯峨天皇・空海・正子内親王)
●大覚寺の見どころ(正寝殿・大沢池など)を紹介しています。
大覚寺見どころ(正寝殿・大沢池など)
【大覚寺 歴史・簡単概要】
大覚寺(だいかくじ)は平安時代初期に第52代・嵯峨天皇(さがてんのう)が造営した離宮・嵯峨院があった場所です。嵯峨院では真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が嵯峨天皇の信任を得て、空海が自ら刻んだと言われている五大明王(ごだいみょうおう)を安置する堂を建立して修法を行いました。876年(貞観18年)に嵯峨天皇の皇女で、第53代・淳和天皇(じゅんなてんのう)の皇后・正子内親王(まさこないしんのう)が淳和天皇の第2皇子・恒寂入道親王(ごうじゃくにゅうどうしんのう・恒貞親王)を開山として離宮を寺院に改めて門跡寺院になり、第56代・清和天皇(せいわてんのう)から寺号・大覚寺を賜ったと言われています。鎌倉時代に後宇多法皇(第91代・後宇多天皇(ごうだてんのう))が伽藍を建立して再興し、中興の祖・大覚寺殿とも称され、また院政を行ったことから嵯峨御所(さがごしょ)とも言われるようになりました。後宇多法皇と父・亀山法皇(第90代・亀山天皇(かめやまてんのう))の皇統は後宇多法皇が大覚寺に住したことから大覚寺統(南朝)と称されるようになり、1392年(元中9年・明徳3年)の南北朝媾和では正寝殿で南朝の第99代・後亀山天皇(ごかめやまてんのう)から北朝の第100代・後小松天皇(ごこまつてんのう)に三種の神器が引き継がれました。
大覚寺は真言宗大覚寺派大本山の寺院です。
*参考・・・京都・大覚寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【大覚寺ハス見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
大覚寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報