大将軍八神社大将軍一の市(毎月第1日曜日)

大将軍八神社

大将軍八神社大将軍一の市

大将軍八神社大将軍一の市(日程・時間・・・)を紹介しています。大将軍一の市は毎月第1日曜日に行われています。大将軍一の市では新鮮野菜・お菓子・手作り雑貨・骨董・衣類などが出店・販売されます。大将軍一の市では立体曼陀羅(重要文化財)が公開されたり、講話が行われたりすることもあります。(詳細下記参照)

【大将軍八神社大将軍一の市 日程時間(要確認)】
大将軍八神社大将軍一の市(●コロナによる実施の有無・変更要確認)は毎月第1日曜日に行われます。時間は早朝~15:00頃です。(原則少雨決行)
*参考・・・大将軍一の市ホームページ

【大将軍八神社大将軍一の市 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区一条通御前通西入3丁目西町55
最寄り駅・バス停・・・北野天満宮前(徒歩約5分)、北野白梅町(徒歩約5分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から大将軍八神社は50系統(B2乗り場)、101系統(B2乗り場)
*四条河原町からは51系統
*四条烏丸からは55系統、101系統、203系統
*河原町丸太町からは10系統
路線・時刻表・運賃チェック

*嵐電(京福電鉄)北野線の場合、最寄り駅は北野白梅町駅(徒歩約7分)

スポンサーリンク(Sponsor Link)

【大将軍八神社大将軍一の市 歴史・簡単概要】
大将軍八神社大将軍一の市(だいしょうぐんいちのいち)は2001年(平成13年)に町おこしとして行われるようになりました。大将軍一の市は大将軍一の市実行委員会(一条大将軍にぎわいづくり会議)などが主催して行われています。なお大将軍一の市は毎月第1日曜日に行われています。
大将軍一の市では新鮮野菜・お菓子・手作り雑貨・骨董・衣類などが出店・販売されます。また大将軍一の市では家の不用品を取引する代理販売ブースが設けられたり、生活環境づくり21・NPOフォーラムの協力による健康増進相談・指導などが行われたりすることもあります。更に大将軍一の市では立体曼陀羅(重要文化財)が公開されたり、講話が行われたりすることもあります。
立体曼陀羅となっている大将軍神像群は大将軍信仰が盛んだった平安時代中期から鎌倉時代(10世紀末~12世紀)に造られたとも言われています。大将軍神像群は全て男神像で、甲冑(かっちゅう)を着用した武装像50体・束帯像29体・童子像1体があります。大将軍神像群では腕や持物などが一部失われたものもあるが、これだけの数の神像がまとまって残されているのは珍しいと言われています。
曼陀羅は密教(仏教)において、悟りの境地である宇宙の真理を仏・菩薩(ぼさつ)などを体系的に配列して表したものです。曼陀羅には立体曼陀羅・胎蔵界曼荼羅・金剛界曼荼羅・四種曼荼羅などがあります。なお曼陀羅は古代インドから中国を経由して、日本に伝わりました。

【大将軍八神社 歴史・簡単概要】
大将軍八神社は794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都の際、桓武天皇の勅願により、大将軍神を奈良・春日山山麓から平安京大内裏の北西角の地に勧請したのが起源です。当初、陰陽道のお堂として、大将軍堂と称されました。平安時代中期から鎌倉時代に80体の大将軍神像群(重要文化財)が造られました。1178年(治承2年)に第80代・高倉天皇の中宮・建礼門院徳子の安産祈願の為に奉幣使が参向したと言われています。平安時代以降に王城鎮護の神として、朝廷や武士に篤く祟敬され、その後民間にも拡大しました。南北朝時代から約100年間、八坂神社の管理下にあったと言われています。室町時代中期に応仁の乱で荒廃し、その後村の氏神として信仰されるようになりました。江戸時代以降に京都西方守護で信仰されたり、方除厄除十二社参りの流行で参詣を集めたりしました。
*参考・・・大将軍八神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【大将軍八神社大将軍一の市 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
大将軍八神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

関連記事

京都観光おすすめ

  1. 錦市場(Nishiki Market)
  2. 竹林の道(Bamboo Forest Path)
  3. 嵐山
ページ上部へ戻る