瑞光寺元政上人忌・法華懺法会2025/3/(日程時間・・・)
瑞光寺元政上人忌・法華懺法会
瑞光寺元政上人忌・法華懺法会(日程・時間・・・)を紹介しています。元政上人忌・法華懺法会は例年3月に行われています。元政上人忌・法華懺法会では元政上人(げんせいしょうにん)を偲んで法要が行われます。また詩文などに才があった元政上人の遺墨・書画・遺品などを展示する遺品展も行われます。(要確認)(詳細下記参照)
【瑞光寺元政上人忌・法華懺法会2024 日程時間(要確認)】
瑞光寺元政上人忌・法華懺法会2024は2024年(令和6年)3月18日(月曜日)10:00~16:00に行われます。13:00から法要が行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・瑞光寺ホームページ
【瑞光寺元政上人忌・法華懺法会 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市伏見区深草坊町4
最寄り駅・バス停・・・龍谷大前深草駅(徒歩約8分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*祇園四条駅から瑞光寺は京阪電鉄本線
【瑞光寺元政上人忌・法華懺法会 歴史・簡単概要】
瑞光寺元政上人忌・法華懺法会(げんせいしょうにんき・ほっけせんぼうえ)は例年3月に行われています。
元政上人忌・法華懺法会では瑞光寺を開山した元政上人を偲んで、法要が行われます。元政上人忌・法華懺法会では詩文などに才があった元政上人(げんせいしょうにん)の遺墨・書画・遺品などを展示する遺品展も行われます。(要確認)なお懺法会は天台宗の寺院で行われることが多く、日蓮宗(にちれんしゅう)の寺院で行われることは少ないそうです。
元政上人は江戸時代前期の日蓮宗の詩僧で、法華経研究と詩文に才を発揮しました。元政上人は1623年(元和9年)に元毛利輝元の家臣・石井元好の五男として生まれ、9歳で建仁寺(けんにんじ)の塔頭・大統院(だいとういん)に入ったが、13歳から彦根藩城主・井伊直孝に仕えます。しかし泉涌寺(せんにゅうじ)の塔頭・雲龍院(うんりゅういん)の如周律師が法華経を講ずるのを聴くと職を辞し、妙顕寺・日豊の門に入りました。その後1655年(明暦元年)に草庵・称心庵を結び、翌1656年(明暦2年)には母とともに身延山に参詣しました。1668年(寛文8年)に亡くなり、竹三竿を植えて墓標に代えたと言われています。なお元政上人は詩集艸山集・草山和歌集・身延道の記・温泉遊草・本朝法華伝・扶桑隠逸伝などを記しました。
【瑞光寺 歴史・簡単概要】
瑞光寺(ずいこうじ)・元政庵(げんせいあん)は平安時代初期に太政大臣・藤原基経(ふじわらのもとつね)が創建した極楽寺(ごくらくじ)があった場所です。瑞光寺は江戸時代前期の1655年(明暦元年)に日蓮宗(にちれんしゅう)の高僧である元政上人(げんせいしょうにん)・日政(にっせい)が草庵・称心庵(しょうしんあん)を結んだのが起源と言われています。称心庵の名称は中国天台宗の僧・章安大師(しょうあんだいし・章安灌頂(しょうあんかんじょう))の故事に由来するそうです。その後1661年(寛文元年)に仏堂が完成し、中正日護作の釈尊像を安置して、寺号を瑞光寺と改めました。なお元政上人は彦根藩士で、俗名を石井元政(いしいもとまさ)と言ったが、1649年(慶安2年)に藩士の身分を捨て、妙顕寺(みょうけんじ)・日豊の門に入りました。元政上人は洛南深草に隠棲したが、元政上人を慕って集う求道者は続き、門下の子弟の為に「草山要路」を著し、「草山教学」とも言われる教風が起こりました。
瑞光寺は日蓮宗の寺院です。
*参考・・・瑞光寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【瑞光寺元政上人忌・法華懺法会 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
元政上人忌・法華懺法会ではうどん・そばの無料接待も行われます。(要確認)
瑞光寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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