五條天神社の歴史-修学旅行・観光の簡単解説

五條天神社

五條天神社の歴史を時代別年表にまとめ

五條天神社の歴史を簡単にまとめています。五條天神社は794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都の際、真言宗の宗祖である弘法大師・空海が桓武天皇の命により、大和国宇陀郡から天神を勧請したのが起源と言われています。(時代別年表・重要人物下記参照)

五條天神社(アクセス・歴史・・・)

【五条大路・松原通】

●松原通(まつばらどおり)は東端の清水寺門前から西端の佐井西通(さいにしどおり)の一筋西までを東西に走っています。松原通はかつて寺町通(てらまちどおり)から西側が平安京の五条大路(ごじょうおおじ)でした。五条大路はかつて松並木が美しかったことから五条松原通とも言われ、松原通の名称の由来になっています。その後桃山時代に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよしが)が二筋南側を走っていた六条坊門小路(ろくじょうぼうもんこうじ)に五条の橋を架けると五条大路が松原通、六条坊門小路が五条通と言われるようになりました。現在の五条通西詰には牛若丸(うしわかまる・源義経(みなもとのよしつね)と武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)の像が建立されています。

【五條天神社の起源・始まり】

●五條天神社は社伝によると794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇(かんむてんのう)による平安京遷都の際、真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が桓武天皇の命により、大和国(奈良県)宇陀郡(うだぐん)から天神(あまつかみ)を勧請したのが起源と言われています。五條天神社は洛中(京都)最古の社とも言われています。当初、天使の宮・天使社と言われていました。

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【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】

●804年(延暦23年)に弘法大師・空海、天台宗(てんだいしゅう)の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいしょう)が遣唐使として唐(中国)に渡航する際に渡航・帰国の無事を祈願したと言われています。
●久寿年間(1154年~1156年)に「祇園社記(ぎおんしゃき)」によると八坂神社の末社だったと言われています。
●1156年(久寿3年)に保元の乱で焼失したと言われています。
●平安時代後期に「義経記」よると牛若丸(源義経)と武蔵坊弁慶が五條天神社で出会ったと言われています。また「義経記」よると一条堀川に住む陰陽師(おんみょうじ)・鬼一法眼の謀略により、源義経が北白川の印地大将・湛海が五條天神社で闘ったと言われています。

【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の歴史・出来事】

●鎌倉時代前期の後鳥羽上皇(第82代・後鳥羽天皇(ごとばてんのう))の時代に社名が五條天神宮に改めまれました。五條天神宮の社名は北側を東西に走る松原通が五条大路(五条通)と言われていたことに由来します。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】

●1528年(大永8年)に火災で焼失し、その後再建されたとも言われています。
●室町時代中期に応仁の乱(おうにんのらん)で焼失したと言われています。
●室町時代に「宝船図」が宮中や親王・公家に献上されていたと言われています。「宝船図」は日本最古の宝船図とも言われています。「宝船図」は七福神(しちふくじん)が船に乗ったものではなく、船に稲束を一束乗せただけのシンプルなデザインです。「宝船図」には厄除け・病除けのご利益があり、1年を無事に過ごせると言われています。
●室町時代以降に疫神・医道の祖神として信仰されました。五條天神宮ではかつて天皇の病気や疫病流行の際に病気退散の為に社前に靭(ゆき)を掲げて祈願しました。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】

●1788年(天明8年)に天明の大火で焼失し、その後再建されたとも言われています。
●1864年(元治元年)にどんどん焼けで焼失し、その後再建されたとも言われています。

【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】

●明治時代に村社に列せられました。
●大正時代から節分に「宝船図」が一般に授与されるようになったと言われています。

【五條天神社を創建した弘法大師・空海】

弘法大師・空海は774年(宝亀5年)に佐伯直田公と阿刀大足の妹の子として讃岐国多度郡屏風浦(香川県善通寺市)で生まれたと言われています。789年(延暦8年)に母方の叔父・阿刀大足のもとで論語・孝経・史伝などを学び、792年(延暦11年)に官僚育成機関である大学寮に入って官吏としての学問を修めました。その後仏道を志して山林で修行し、三論宗の僧で、東大寺別当・勤操のもとで南都仏教を学びました。804年(延暦23年)に遣唐使として唐(中国)に渡り、長安で青竜寺の恵果のもとで密教を学び、伝法阿闍梨位の灌頂を受け、遍照金剛の灌頂名を与えられました。806年(大同元年)に帰国し、真言密教を日本に伝えて真言宗の開祖になりました。816年(弘仁7年)から高野山で金剛峯寺創建に着手し、823年(弘仁14年)に東寺を賜って真言密教の道場にしました。なお弘法大師・空海は835年(承和2年)に高野山で亡くなりました。

【五條天神社の歴史 備考】
*参考・・・五條天神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia

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