平岡八幡宮の歴史-修学旅行・観光の簡単解説

平岡八幡宮の歴史を時代別年表にまとめ
平岡八幡宮の歴史を簡単にまとめています。平岡八幡宮は809年(大同4年)に真言宗の宗祖である弘法大師・空海が高雄山寺の鎮守社として大分・宇佐八幡宮から勧請し、自ら描いた僧形八幡神像をご神体として祀ったのが起源と言われています。(時代別年表・重要人物下記参照)
【宇佐八幡宮・宇佐八幡宮】
●宇佐神宮(うさじんぐう・宇佐八幡宮)は社伝によると571年(欽明天皇32年)に祭神・八幡大神(はちまんのおおかみ)の神霊が初めて宇佐の地に示顕(じげん)し、725年(神亀2年)に社殿を建立して八幡大神(第15代・応神天皇(おうじんてんおう))を祀ったのが起源とも言われています。宇佐郡厩峯(まきのみね)と菱形池(ひしがたいけ)の間に鍛冶翁(かじおう)が降り立ち、大神比義(おおがのひき)が祈ると三才の童児になり、「われは誉田の天皇広幡八幡麿なり。わが名は護国霊験威力神通大自在王菩薩で、神道として垂迹せし者なり」と託宣(たくせん)があったと言われています。
●高雄山寺(たかおさんじ)は奈良時代(710年~794年)後期に平安遷都の提唱者だった和気清麻呂(わけのきよまろ)が和気氏の私寺として創建し、白雲寺・月輪寺・日輪寺・伝法寺とともに愛宕五寺(愛宕五坊)とも言われました。和気清麻呂は781年(天応元年)に神願寺(じがんじ)を河内(大阪)に創建し、824年(天長元年)に和気清麻呂の五男・和気真綱(わけのまつな)と六男・和気仲世(わけのなかよ)の要請により、高雄山寺と神願寺が合寺して神護寺(じんごじ)になりました。
【平岡八幡宮の起源・始まり】
●平岡八幡宮は809年(大同4年)12月10日に真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が高雄山寺(神護寺)の鎮守社として大分・宇佐八幡宮(うさはちまんぐう・宇佐神宮)から勧請し、自ら描いた僧形八幡神(そうぎょうはちまんしん)像をご神体として祀ったのが起源と言われています。平岡八幡宮は山城国(京都)最古の八幡宮です。弘法大師・空海は809年(大同4年)に高雄山寺(神護寺)に入寺し、812年(弘仁3年)に高雄山寺に住し、密教の重要な儀式である灌頂(かんじょう)を行ったと言われています。
【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】
●平安時代末期に一時廃絶したと言われています。
【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の歴史・出来事】
●1190年(建久元年)に真言宗の僧・文覚上人(もんがくしょうにん・遠藤盛遠(えんどうもりとお))が再興しました。
●鎌倉時代前期に文覚上人の高弟・浄覚(じょうがく)が平岡八幡宮を現在の場所に移したとも言われています。
【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】
●1407年(応永14年)に焼失して荒廃したが、その後室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が社殿を再建しました。足利義満の奥方が女官とともに高雄で紅葉狩りした際、荒廃した姿に心を痛め、足利義満が再建したと言われています。
●室町時代中期に本殿前にブナ科のツブラシイが植えられました。ツブラシイは樹齢600年以上で、京都市内で最大径級のシイとも言われています。
【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】
●1826年(文政9年)に第120代・仁孝天皇(にんこうてんのう)の命により、現在の本殿(京都市指定有形文化財)が再建されました。上嵯峨の宗兵衛・室町の中川常右衛門藤原忠寛が大工として再建しました。
●1827年(文政10年)に画工・綾戸鐘次郎藤原之信が本殿の内陣天井に44種の花の絵を極彩色で描きました。本殿の内陣天井は「花の天井」と言われています。
【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】
●1868年(明治元年)の神仏分離令により、神護寺から独立しました。
●明治時代前期に村社に列せられました。
●2009年(平成21年)に神輿が初めて神護寺まで巡行しました。
【平岡八幡宮を創建した弘法大師・空海】
弘法大師・空海は774年(宝亀5年)に佐伯直田公と阿刀大足の妹の子として讃岐国多度郡屏風浦(香川県善通寺市)で生まれたと言われています。789年(延暦8年)に母方の叔父・阿刀大足のもとで論語・孝経・史伝などを学び、792年(延暦11年)に官僚育成機関である大学寮に入って官吏としての学問を修めました。その後仏道を志して山林で修行し、三論宗の僧で、東大寺別当・勤操のもとで南都仏教を学びました。804年(延暦23年)に遣唐使として唐(中国)に渡り、長安で青竜寺の恵果のもとで密教を学び、伝法阿闍梨位の灌頂を受け、遍照金剛の灌頂名を与えられました。806年(大同元年)に帰国し、真言密教を日本に伝えて真言宗の開祖になりました。816年(弘仁7年)から高野山で金剛峯寺創建に着手し、823年(弘仁14年)に東寺を賜って真言密教の道場にしました。なお弘法大師・空海は835年(承和2年)に高野山で亡くなりました。
【平岡八幡宮の歴史 備考】
*参考・・・平岡八幡宮(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia