左甚五郎(ひだりじんごろう)・鯉山(こいやま)と祇園祭

左甚五郎・鯉山と祇園祭
鯉山の御神体である鯉と波は江戸時代前期に活躍した宮大工・彫刻師である左甚五郎が制作したと言われています。鯉は全長約1.5メートルで、木片の材質調査により、素材は江戸時代前期の1650年(慶安3年)頃の檜であることが判明しました。
【祇園祭2026 日程】
祇園祭2026は2026年(令和8年)7月1日(水曜日)の吉符入から2026年(令和8年)7月31日(金曜日)の疫神社の夏越祭までの7月1ヶ月に渡って行われます。
祇園祭2026日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑(しんせんえん)に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来(やくしにょらい)の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散(びょうまたいさん)を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)
【左甚五郎(ひだりじんごろう)・鯉山(こいやま)】
鯉山の御神体である鯉と波は江戸時代(1603年~1868年)前期に活躍した宮大工・彫刻師である左甚五郎が制作したと言われています。鯉は全長約1.5メートルで、中国・黄河(こうが)の難所である龍門の滝(りゅうもんのたき)を登る奔放な勇姿が表されています。鯉は木片の材質調査により、素材は江戸時代前期の1650年(慶安3年)頃の檜(ひのき)であることが判明しました。ちなみに左甚五郎は1606年(慶長11年)に京伏見禁裏大工棟梁・遊左法橋与平次の弟子になって修行し、その後江戸に下り、1640年(寛永17年)に京都に戻って禁裏大工棟梁になり、江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)、江戸幕府2代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)、江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)が整備した知恩院(ちおいん)の再建に尽力したと言われ、1639年(寛永16年)に再建された御影堂(国宝)正面の軒下に左甚五郎が魔除けに置いたとも言われる忘れ傘が残されています。なお祇園祭では月鉾(つきほこ)の破風蟇股(はふかえるまた)に彫られている兎・亀などの彫刻、八幡山(はちまんやま)の鳥居の上の白鳩もは左甚五郎作とも言われています。
●左甚五郎は1594年(文禄3年)に足利家臣・伊丹左近尉正利の子として播磨国明石で生まれたとも、紀伊国根来東坂本で生まれたとも言われています。父が亡くなると叔父で、飛騨高山藩士・河合忠左衛門宅に身を寄せたと言われています。1606年(慶長11年)に京伏見禁裏大工棟梁・遊左法橋与平次の弟子になり、1619年(元和5年)に江戸に下って、将軍家大工頭・甲良宗広の女婿になり、その後堂宮大工棟梁になり、日光東照宮・上野寛永寺・芝の台徳院廟などの造営に参加しました。また江戸城の改築に加わり、西の丸地下道の秘密保持の為に襲われたが、刺客を倒し、1634年(寛永11年)から老中・土井利勝の女婿で、讃岐高松藩主・生駒高俊のもとに亡命しました。1640年(寛永17年)に京都に戻り、禁裏大工棟梁になって法橋の官位を得て、知恩院の再建などに尽力したと言われています。その後1642年(寛永19年)に高松藩の客文頭領になりました。左甚五郎は江戸時代前期に活躍した宮大工・彫刻師で、講談・浪曲・落語・歌舞伎などの題材になり、左甚五郎作と言われる作品が全国各地に存在します。世界遺産である栃木・日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)の眠り猫・三猿や上野東照宮の昇り竜が有名です。左甚五郎の「左」は左ききだった為とも、右腕をなくして左手で仕事をした為とも言われています。左甚五郎は1651年(慶安4年)頃に亡くなったとも言われています。
●鯉山は起源が明確ではなく、室町時代(1336年~1573年)中期の応仁の乱前の山鉾と地名を記した「祗園社記」に記され、応仁の乱前には既に創建されていたと言われています。また鯉山は室町時代の町人が祇園祭について話し合っている狂言「鬮罪人」に橋弁慶山とともに登場し、室町時代には既に創建されていたとも言われています。その後1788年(天明8年)に天明の大火で被害を受けたが、天保年間(1830年~1844年)に再興されたと言われています。ただ1864年(元治元年)に禁門の変(元治の大火)で鯉やタペストリーなどの織物以外が焼失し、翌1865年(慶応元年)に居祭を行い、1867年(慶応3年)に唐櫃巡行を行い、1872年(明治5年)に再建され、明治時代(1868年~1912年)末期までに飾りを新調しました。なお鯉山は中国・黄河の難所である龍門の滝を登った鯉は龍になるという故事「登龍門」に由来しています。
【左甚五郎・鯉山と祇園祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2026日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)














