請田神社保津の火祭り2023/10/(日程時間・・・)
請田神社保津の火祭り
請田神社保津の火祭り(日程・時間・・・)を紹介しています。保津の火祭りは例年10月に行われています。保津の火祭りでは50基以上の高張提灯を先頭に花傘・太鼓・榊・剣鉾・神宝などの神幸行列が保津八幡宮に向かいます。保津八幡宮では境内で火が焚かれ、榊持ちの子どもなどが火の周りを3回周って、捧持物を神前に供えます。(詳細下記参照)
【請田神社保津の火祭り2023 日程時間(要確認)】
請田神社保津の火祭り2023(●コロナによる実施の有無・内容要確認)は2023年(令和5年)10月日(曜日)夕方から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・亀岡市ホームページ
【請田神社保津の火祭り アクセス・マップ】
場所・・・京都府亀岡市保津町立岩4
最寄り駅・バス停・・・保津(徒歩約30分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR嵯峨野線・亀岡駅から亀岡市ふるさとバス
【請田神社保津の火祭り 歴史・簡単概要】
請田神社保津の火祭り(ほづのひまつり)は例大祭の宵宮祭です。保津の火祭りではその年の五穀豊穣に感謝し、無病息災などを祈願します。
保津の火祭りでは請田神社の頓宮(御旅所)である保津八幡宮からご神体を迎える行列が出発し、その後請田神社からご神体が出発します。ご神体を迎える行列とご神体は荘園政所で合流し、荘園政所で神事が行われます。神事終了後、50基以上の高張提灯を先頭に花傘・太鼓・榊・剣鉾・神宝などの神幸行列が保津八幡宮に向かいます。保津八幡宮では境内で火が焚かれ、榊持ちの子どもなどが火の周りを3回周って、捧持物を神前に供えます。ちなみに火に当たるとその年の健康が約束されるとも言われているそうです。なお火は祭神・大山咋神が大己貴命(大国主命)とともに古来湖であったとされる亀岡盆地の開拓の為に保津峡を開削した際、堰となっていた流木など燃やした為とも、江戸時代に嵯峨の土倉業・角倉了以が保津峡を開削した際、岩盤を火を使って砕いた為とも言われているそうです。
例大祭は俗称で、正式には大祭式例祭(たいさいしきれいさい)と言います。例祭は神社が毎年行う祭礼の内、最も重要な祭礼とされています。例祭は1年に1回行われることが多いが、神社によっては春・秋など1年に2回行われこともあります。
保津川では平安時代以前から筏を使って丹波から京都まで木材を輸送していました。その後江戸時代に角倉了以が保津峡を開削したことから木材だけでなく、米・薪炭などを高瀬舟を使って輸送するようになりました。しかし1899年(明治32年)の山陰線の開通やトラック輸送の発達などにより、水運は徐々に衰退しました。
【請田神社 歴史・簡単概要】
請田神社(うけたじんじゃ)は永禄年間(1558年~1570年)に兵火によって社殿・文献が焼失した為、起源が明確ではありません。請田神社は社伝によると709年(和銅2年)に創建されたとも言われています。また請田神社は「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」に記されているとも言われ、それ以前から祀られていたとも言われています。請田神社の名称は対岸に祀られている桑田神社(くわだじんじゃ)から湖であった亀岡盆地の開削が開始されたとされ、その鍬入れを受けたことから「請田(うけた)」になっているとも言われています。その後永禄年間の兵火によって焼失し、宮ノ上(保津八幡宮)に移されたが、寛永年間(1624年~1645年)に現在の場所に戻されました。ちなみに宮ノ上には現在分霊が祀られて保津八幡宮となり、請田神社の頓宮(御旅所)になっています。なお請田神社は大山咋神(おおやまくいのかみ)・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと・狭依姫命)を祀っています。
*参考・・・請田神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【請田神社保津の火祭り 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。