亀岡ききょうの里2018/6/23~7/22

亀岡ききょうの里は京都の夏の風物詩です。亀岡ききょうの里は毎年6月下旬頃から7月下旬頃まで行われています。亀岡ききょうの里では紫や白、そして珍しいピンクや八重咲きのききょうなど約5万株が咲き誇ります。亀岡ききょうの里では園内の直売所で地元農家の野菜や特産品の販売も行われます。(詳細下記参照)

【亀岡ききょうの里2018 日程時間(要確認)】
亀岡ききょうの里2018は2018年(平成30年)6月23日(土曜日)~7月22日(日曜日)9:00~17:00まで行われます。

【亀岡ききょうの里・谷性寺 アクセス・マップ地図】
場所・・・京都府亀岡市宮前町猪倉土山39
最寄り駅・バス停・・・猪倉(徒歩約5分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR嵯峨野線・亀岡駅から京阪京都交通バス

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【亀岡ききょうの里 歴史・簡単概要】
亀岡ききょうの里(かめおかききょうのさと)は水色桔梗を家紋とする初代丹波亀山城主・明智光秀(あけちみつひで)ゆかりの谷性寺門前で毎年6月下旬頃から7月下旬頃まで行われています。亀岡ききょうの里では紫や白、そして珍しいピンクや八重咲きのききょうなど約5万株が咲き誇ります。亀岡ききょうの里では園内の直売所で地元農家の野菜や特産品の販売も行われます。なお亀岡ききょうの里は面積7,000平方メートルの期間限定のききょう園で、ききょう以外にも1万5,000株のルドベキア・百合なども植えられているそうです。
ききょう(桔梗)はキキョウ科の多年性植物です。桔梗は日本などの東アジアの山野の日当たりのよい場所に広く分布しています。ききょうは日本最古の和歌集・万葉集の中で山上憶良が詠んだ秋の七草の内、朝貌(あさがお)とされています。なお桔梗は環境省レッドリストの中で絶滅危惧II類(VU)に指定されています。
明智光秀は1528年(享禄元年)に清和源氏の美濃・土岐氏(ときし)支流・明智氏の一族として美濃明智庄で生まれ、先ず美濃の戦国大名・斎藤道三に仕えたとも、越前の戦国大名・朝倉義景に仕えたとも言われています。その後義景を頼った室町幕府第15代・足利義昭とともに織田信長に赴き、信長の家臣となって丹波を攻略し、初代丹波亀山城主になります。1582年(天正10年)6月2日に本能寺の変を起こし、1582年(天正10年)6月13日に山崎の戦いで敗れ、落ち武者狩りで負傷して小栗栖(おぐるす)で自害しました。光秀が信長を討って天下人になってからわずか13日後に山崎の戦いで敗れて自害したことから「三日天下」とも言われています。

【谷性寺 歴史・簡単概要】
谷性寺(こくしょうじ)・光秀寺(ひでみつでら)・桔梗寺(ききょうでら)は起源が明確ではありません。谷性寺は平安時代に創建されたとも言われています。天正年間(1573年~593年)に丹波を平定した明智光秀が本尊・不動明王を篤く崇敬し、1582年(天正10年)の本能寺の変の際に不動明王に「一殺多生の降魔の剣を授け給え」と誓願したとも言われています。その後山崎の戦いで光秀が豊臣秀吉に敗れて自害すると光秀の首は谷性寺まで持ち帰られたとも言われています。境内には明智光秀の首を葬ったとも言われる首塚が祀られています。ちなみに光秀は首を守護職に使用が認められた毛氈鞍覆(もうせんくらおおい)に包んで知恩院(ちおんいん)に届けてくれと言い残したとも言われています。また光秀の首は竹藪に隠されたが発見され、信長の三男・織田信孝(おだのぶたか)の元に届けられて本能寺に晒され、その後京都粟田口近くに首塚が築かれたとも言われています。なお明智光秀は1579年(天正7年)に丹波を平定して初代丹波亀山城主になり、1582年(天正10年)6月2日に本能寺の変を起こし、1582年(天正10年)6月13日には山崎の戦いで敗れ、落ち武者狩りで負傷して小栗栖(おぐるす)で自害しました。
谷性寺は真言宗大覚寺派の寺院です。
*参考・・・谷性寺(アクセス・歴史・・・)

【亀岡ききょうの里 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
谷性寺(アクセス・見どころ・・・)情報

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