歓喜光寺(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)
歓喜光寺
歓喜光寺(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。歓喜光寺の地蔵堂に安置されている地蔵尊はかつて京の三大墓地のひとつである鳥辺野(とりべの)に安置され、人々が地蔵尊の前を通る際、「南無阿弥陀仏」と唱えて回向した為、「南無地蔵」と言われています。
【歓喜光寺 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市山科区大宅奥山田10
最寄り駅・バス停・・・大宅(徒歩約10分)
京阪アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*山科駅から歓喜光寺は21系統、26A系統
路線・時刻表・運賃チェック
*地下鉄東西線の場合、最寄り駅は小野駅(徒歩約20分)
【歓喜光寺 拝観時間・時間(要確認)】
9:00~17:00
【歓喜光寺 拝観料金・料金(要確認)】
無料
【歓喜光寺 歴史・簡単概要】
歓喜光寺(かんきこうじ)は鎌倉時代(1185年~1333年)後期の1291年(正応4年)に時宗(じしゅう)の宗祖である一遍上人(いっぺんしょうにん)の弟子・聖戒(しょうかい)が綴喜郡八幡に善導寺(ぜんどうじ)を創建したのが起源です。1299年(正安元年)に聖戒に帰依した関白・九条忠教の寄進により、第52代・嵯峨天皇(さがてんのう)の皇子で、光源氏(ひかるげんじ)のモデルとも言われている左大臣・源融(みなもとのとおる)の六条河原院(ろくじょうかわらいん・塩竃第(しおがまだい))跡に移り、この地にあった歓喜寺(かんきじ)と合寺し、寺号を歓喜光寺に改め、六条道場とも称しました。室町時代(1336年~1573年)中期の1467年(応仁元年)からの応仁の乱後に高辻烏丸に移り、桃山時代(1583年~1603年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の命によって時宗四条道場・金蓮寺の敷地に移りました。1907年(明治40年)に東山五条に移り、1907年(明治40年)に法国寺と合寺し、1975年(昭和50年)に現在の場所に移りました。
歓喜光寺は時宗の寺院です。
*参考・・・歓喜光寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【歓喜光寺 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
歓喜光寺の見どころは南無地蔵です。なお南無地蔵以外にも450体もの地蔵尊が安置されているそうです。
【歓喜光寺 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・+81-75-572-2557
【歓喜光寺 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
【歓喜光寺 おすすめ散策ルート】
歓喜光寺からのおすすめ散策ルートは南にある醍醐寺に向かうルートです。40分ほど散策すれば、山科の自然を感じながら世界遺産である醍醐寺に行くことができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。なお歓喜光寺は市街地から少し離れ、周辺にはあまり観光スポットが多くない為、次の観光スポットに向かい、その周辺を散策するのもいいかもしれません。